Honey Trap 20

分厚いチューハイのグラスが運ばれてくると、お疲れ様、とグラスを軽く当てる。
周りについた水滴を指でなぞりながら、初めの一口を口にすると、リカの顔に笑みが戻った。

「ふふ。なんだか、嬉しい」
「そう?」
「うん。だって、朝、一緒に仕事に出たのに、こうしてるなんてなんか、……嬉しい」

―― 可愛いことを言うなぁ……

久しぶりに会って、昨日はリカが疲れて眠るまで話をして、それから一緒に朝食を食べて。
いつも、肩ひじを張って、精一杯頑張ろうとしているリカが、今日は妙に力が抜けていて可愛い。ついついにやけそうになる口元に手を当ててそれを隠すと、なにか食べよう、と言った。

「そうだった。なんかもう、今日はなんでも食べられそう」
「忙しいと、相変わらず食べるの忘れてる?」

ついうっかり本音が出てしまったリカは、あわててメニューを見ていくつか見つくろうと、奥の方へ向かってすいませーん、と声を上げる。

「ちゃんと、食べてるよ。取材のときは、どうしようもない時もあるけど、でも、ちゃんと食べてます」
「ふーん。じゃあ、今度藤枝さんに聞いてみよう」
「なんで藤枝?!」
「リカのことよく知ってるから」

なんで藤枝よ、と髪に手をやったリカは、ふっとその時手に触れたピアスで思い出した。
今なら大祐に話しても、終わったことだと説明できるかもしれない。

ごとん、とテーブルにジョッキを置いたリカは箸を手にすると運ばれてきたふわふわのオムレツをきれいに割った。

「あのね。今度の番組、初回は藤枝とキリーが出てるでしょ?でも、ほら。この前、家の傍のレストランでばったり会った人。緊張しちゃうって言ってた人で、その人も出るの」
「……うん。そうかなってちょっと思ってた」
「なんかねぇ。ほんと、一時はどうしようかなって思ってたんだけど!やっぱり初回の取材が始まって、なんかわかってくれたみたいで……、大祐さん?」

知らず知らずのうちに、目つきが鋭くなっていたらしい。それに気づいたリカが顔を覗き込んでいた。

「あ、ごめん。うん、聞いてる」
「なんか、あった?」
「いや。で?その人がどうしたの?」

怪訝な顔になったリカに無理やり笑みを向けると、深くは追及せずに、リカが続きを話し始めた。
元々、藤枝とは違う雰囲気で格好良くて、藤枝のように噛みはしないが、上滑りするところが押さえられたらいいのにと思っていたこと。昔の自分のように、まっすぐの方向が少しだけ間違っている気がしたこと。

「あ、のね。えっと、私とはまた違う感じで間違ってるんだけど、でも、すごくもったいないなって思ってて。それがね。今日、番組外されたのかって心配して来て、また使ってほしいって言ってくれたの。それが」
「あのさ」
「ん?」

はっきりと眉間に皺を刻んだ大祐は、ジョッキをぐっとあおってから、強めにテーブルに置いた。何かにあたりたかったのか、持ち手はそのまま握りしめている。

「……リカらしくていいと思うんだけど、俺はもう少しリカに考えて欲しいと思う」
「え……何を?」
「だから、その相手の人のことは良く知らないけど、そういう人が何もしないのにそんな風にころっと変わるなんて、簡単に信じていいのかな」

それまで浮かれていたリカは、急に冷水を浴びせられた気がした。
大祐が何を言っているのか、すぐには頭に入ってこない。いや、入ってきているからこそ、冷水だと感じたわけだし、そんなことを言うのかと思ったはずだ。

「あの、でも!あ、ほらこれ」

急いで、鞄の中から高柳にもらったピアスの箱を取り出した。それをテーブルに乗せて差し出すと、大祐の目が初めて見るくらい冷やかにそれを捕らえた。

「何?」
「色々、その、仕事のために嫌な思いさせたかもしれないからお詫びだって」
「普通、仕事のお詫びにこんなことしないでしょ」

中身を見もせずに押し返した大祐にむっとしたリカはそのパッケージを開いて見せた。

「そうかもしれないけど!でも、変にお菓子とか持ってくるより、こういうの、女の子にはいくらあっても困らないものだし」
「じゃあ、相手が誰でもそういうのもらったら嬉しいの」

―― 違う。そういうんじゃなくて……。ただ……

「俺は、婚約指輪もいらないって初め言われたけど、そういうのだったら受け取ってくれたの?」
「それとこれとは!それに、これはそんなに高そうでもないし」
「金額の問題じゃないでしょ」

上手く伝えられないもどかしさと、大祐をどうやら怒らせてしまったらしいことに正直、動揺していた。もっと以前、リカが初めて広報室に足を向けた頃、大祐を怒らせた時のように、一見、冷やかでその下に今にも爆発しそうな怒りが見える。

「そういうの、はっきり言って不愉快だよ」
「じゃ……」

―― どうすればよかったの……

毎日、顔を合わせる人が相手で、ぎすぎすと疑って毎日過ごせばよかったというのだろうか。

まっすぐに大祐の顔が見られなくて、視線がテーブルの上を彷徨う。反応できないでいるリカに畳みかけるように大祐が続けた。

「リカは、まっすぐだからそういう風に人のことも見ようとするけど、人によってはそういう風に見せかけてもっと何か考えてるやつだっているんだよ。ちょっと簡単すぎてどうかと思う」

ぐいっと大祐が残りのグラスを空にしたところにちょうど注文していた料理が運ばれてくる。
生をひとつ、と追加すると、ジョッキを差し出した大祐の前から、黙り込んだリカがピアスの箱を閉じると鞄に押し込んだ。

ふう、と息を吐いた大祐は自分でも言いすぎた自覚はあった。

だが、どうしても。

今はリカの夫として言いたかった。少しは自覚をしてほしいとどれだけ言ったらわかってくれるだろう。よく今まで何もトラブルに巻き込まれなかったと思うくらい、無防備すぎるのだ。

「……やめよう。この話。どうしてもするなら家に帰ってからにしよう」

ほら、食べて、と皿を押し出されてもリカの胸の中は一気に色を変えていた。昨夜から今日も、明日も会えることが嬉しくて、上手くいきそうになった仕事が嬉しくて。
そんな浮かれていた足元をすくわれるように、気分は一気に灰色になった。

「……はい。やめましょう。食べます」

自分に区切りをつけるためにきっぱりとそう宣言すると、リカは次々と運ばれてきた料理に箸を伸ばした。グラスはあっという間に空になって、リカは店の奥に向かって酎ハイ一つ!と叫ぶ。

黙ったまま、勢いよく食べていかないと、今にも泣いてしまいそうで。口にするものと、酒で、きゅっと喉の奥を締め付けるような痛さを飲み込んだ。

投稿者 kogetsu

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