「リカ……」
「ん……ぁ……」
少し掠れた彼女の声に、低く流れている曲が重なった。
最近、彼女がよくきいているのだという。携帯に入っている、音楽のフォルダの中には、洋楽が多くてあまり得意じゃないよね?と控えめに聞いたら、話すのは得意じゃないけど、歌は好きなの、と答えが返ってきた。
頭のいい人だから、普段機会がないだけで、話せることは知っていたけど、日常的に使うような言葉でもない。
仕事で使う時もたまにはあるんだけど、大祐さんにはとても、と控えめに笑う彼女が部屋の中で聞いているらしい。
たまたま、東京に来ていた時に、風呂から出てくるとリカが音を押さえて音楽をかけていた。
なんだかテレビって気分じゃないから、と言って低くかかる曲はまたセンスのいいもので。
ジャンルも幅広くて、驚いたな、と言うと、恥ずかしそうに笑う。
「どこかできいたことがあるものばかりでしょ?」
「そういえばそうだね」
「そんなに詳しくないの。ただ、聞いて素敵だなって思った曲を覚えてて、調べたりして何となく集まってるだけ」
ピアノがメインのインストだろうか。ああ、有名な映画音楽だと気づく。
ぼんやりと曲を聞く、というのが新鮮で、濡れた髪もそのままでソファで聞き入ってしまう。
乾かさないと風邪ひいちゃいますよ、という手が髪に触れて、くしゃくしゃとタオルドライをしてくれた。
短いから、このままでも平気だよ、と言うと、しばらく何か考えていたらしい。
「ねぇ。大祐さん、お酒でも飲みましょうか」
不意にそういうと、濡れたタオルを片付けて、リカはキッチンに向かった。
からん、と氷の音がして、いつもはビール派の彼女なのに、グラスに氷を用意しているらしい。しばらくすると、グラスを二つに、お酒のボトルを持ってくる。
「焼酎なんて飲むの?」
「これは大祐さんと飲みたくて、買っておいたの」
その銘柄は俺がいつか表で飲んだ時に、好きだと言っていた奴で、嬉しくなって、ボトルを手に取ると、まだ未開封だった。
「……ほんとだ。まだあいてない」
「一人でボトル開けてるほど飲んべじゃありません」
ガラスのボトルに水を入れてきた彼女が、テーブルにそれを置いてから座らずにそのまま壁際のキャビネットに向かう。何か奥から出してきたリカの手にあるものがなんなのかわからなくて、じっと様子を見ていると、かちん、と金属音がして炎が灯る。
ライターでキャンドルに火を灯したのだとわかるのに時間がかかった。
「アロマキャンドルなんだけどね。たまーに使うの。この炎の揺らいでるところを見てるのが好き」
壁にある照明のスイッチを切ると、部屋の中はキャンドルの明かりだけで不思議な気分になる。
「すごいおしゃれだね。俺の部屋じゃ考えられないよ」
「ほんと、こんなのいつもじゃないから。もう、年に一回あるかないかなんだから」
恥ずかしそうにそう言ってから、テーブルの真ん中にキャンドルを置く。リカは俺の手からボトルを受け取って、グラスに注いだ。
ロックで飲めると知っているから、指二本分、注がれる。
自分のグラスには指一本分くらいで、そこに水が追加されて、氷が混ざり合う水と酒の間を泳いだ。
「なんか、いいね。こういうの」
「ふふ。そう言ってくれてよかった。ちょっとバーにでもいるみたいね」
「ほんとだ」
ちん。
薄いガラスのグラスが音を立てて、部屋の中にはエアコンの動く音と、低く唸る電化製品の音。その間を曲が流れていく。
「あ」
「ん?」
「これ……」
知ってる曲だと思ったのと同時に、リカに向けているような気がして、一緒に口ずさんだ。
「……大祐さん、知ってるの?」
めちゃめちゃうまいんですけど。
目を丸くして、驚いた顔をしていたリカが、少しずつ、はにかんだ少女のような顔になって、視線をそらすと、グラスから舐めるように酒を飲む。
「この曲、俺が思ってるのと一緒だなと思って……。普段、歌詞なんかちゃんと聞かないんだけど」
Joe Cockerという人の曲だ。こんな風にハスキーでかっこいい声なんかじゃないよ、と思う。
でも、曲は好きだった。
君は美しい、僕にとってはね、と繰り返し歌っている。
「……やだ。そんな風に言われたら、私だって、歌詞を聞いて好きになったわけじゃないんだもの」
恥ずかしい、と呟くリカが選んだ次の曲を聞いて、慌てて止めようと腰を上げたリカを隣に座った俺が引き寄せた。
「だ、大祐さん」
「いいよ。そのまま聞かせて。リカが好きな曲。次は何?」
「これ……、シュレックの中でかかってるんだけど、私はこっちのバージョンの方が好きなの」
K.D.ラングという人のライブバージョンなんだと、諦めて携帯を操作したリカが曲のプロフィールを見せてくれた。
映画の中では男性が歌っているらしいがリカが選んだのは女性の声だ。
―― まるで俺みたいで、確かに口説いてるみたいな感じが……
並んで座って、リカの肩を抱いて、時折その首筋を指先で撫でる。
リカには多いのかもしれないが、指二本分のロックなんてあっという間だ。空になったグラスにリカが透明な液体を注ぐ。
「リカ。そんなに飲まされたら酔っぱらうよ」
「酔ってもいいですよ。おうち飲みなんだから平気」
「うん。でもこのまま酔っぱらうと」
―― 困るのはリカだよ?
耳を食むように囁くと、そのまま耳から顎のラインへと唇を滑らせる。リカをもっと抱き寄せて、もう片方の手を頬に添えると、俺の方へと顔を向けさせた。
顎の先にキスをして、同じ酒の香りのする唇に触れた。
ハレルヤ。
君の美しさは。
「……は」
蕩けるような吐息が聞こえて、俺を支配し始める。
耳から、俺を。
君の声が支配して、溶かして、キャンドルのように揺らして。
「リカ。もっと、聞かせて……?」