「藤枝の連絡先?」
「うん。この前、リカの携帯に藤枝さんが出た時、飲みに行こうって言われてたから、誘ってみようかと思って。駄目?」
携帯に視線を落としたままでそんな事を言ったのは、目の光をうまく消せるかわからなかったから。
松島に戻る日にそんなことを聞いてみたら、リカは少しだけ困惑気味に聞き返す。
「次に東京に来る時に連絡しようと思うんだ。リカを迎えに行きがてら、一緒に飲むのもいいかなって」
理由は本当にそうだ。
藤枝さんのことは嫌いじゃない。あの飄々としたスタイルもそれでいて男っぽい一面も片山さんや鷺坂室長の匂いを感じさせる。
携帯に手を伸ばしたリカは、少しだけ戸惑った顔を見せてからアドレス帳を開いてくれた。
「いいんだけど、そんなに真面目に受け取らなくてもいいかもしれないですよ?藤枝の言うことだし」
「でも、誘ってもらったから俺も実現させたいし、リカも一緒に来てくれるよね」
それはもちろん、と答えてくれたリカにだけは少し後ろめたい。
きっと、俺も藤枝さんも都合よく調子を合わせるはずだからだ。
ありがとう、と礼を言って俺は携帯をしまった。
それからしばらくして、早めにあがれそうな金曜日。俺は、リカに連絡するよりも先に、藤枝さんにメールをしていた。
『今日、そっちに行くんです。もしよかったら飲みませんか。帝都テレビの近くで構いません』
昼前に送れば、ほかの仕事で忙しくても、夕方までには返事が来るだろう。
そう踏んで送ったメールへの返事は昼過ぎに届いた。
『おー。了解です。楽しみにしてますよ。稲葉には連絡済み?』
まさか。
そんな風に小さく呟いた俺は、リカにはこれからだと送ると、今度はすぐに店の指定と、リカは遅れるはずだから、先に男同士でやってましょう、と可愛い顔文字付きで返事が来た。
だろうな、と思うのは、俺だったら間違いなくそうするからだ。
仕事を早めに切り上げた俺は、いつもなら荷物を持ってまっすぐに東京に向かうところだが、基地でシャワーを借りてからスーツに着替えて東京へ向かった。
「お久しぶりです」
「空井君、久しぶりー。固いよ、固い。これでも二人の結婚式の司会までしてんのよ?いいよ、もっと砕けて」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
リカがよく行く店はどうやら藤枝さんにとってもそうらしくて、地下に降りたその店では、合コンをしたこともあるし、槙さんと柚木さんをハメたこともある。そして、偶然、藤枝さんに会った場所でもあった。
入り口から階段を下りてすぐに、先に来ていた藤枝さんが片手をあげてくれて、並んでカウンターに座る。
「何飲む?」
「じゃあ、ビールで」
マスターにビールを頼んでいる間に、おしぼりとお通しのナッツが置かれる。
グラスが来てから、乾杯、と軽くグラスを当てて一杯目を飲み干した。
「いくねぇ。空井君って結構飲むんだ?」
「まあ。職場ではどうしても男同士が多いんで、自然と鍛えられますね。藤枝さんも強そうですけど」
「そりゃね。女の子より弱いと色々大変だから」
ふざけた口調の藤枝さんは、相変わらずスマートにニットを着こなしていて、イケメンぶりも変わらない。軽く袖を引き上げた腕からふわりと香ったものに、つい反応してしまった。
「これ……。この前、リカのジャケットから同じ香りがしたんで藤枝さんかなって思ってたんですけど、やっぱりそうですね」
「ん?なんか……匂い、する?」
くん、と自分の匂いを嗅いでいる姿もきっと女性から見たら恰好いいんだろうなぁと思いながら、俺はおかわりのビールを黒に変えて、次のグラスを待った。
「香水、ですか?」
「んー……、仕事の時はつけないようにしてるんだけど、これはね。一応、身だしなみだから」
さらりとそう答える藤枝さんは、隣から俺をちらりと見て笑った。
「空井君こそ、最近、週末に来るときは稲葉の香水の匂いが変わるんだよね。あれ、空井君でしょ?」
リカは普段、少しだけ甘いノートの香りを好む。私がガツガツだから、香りまでガツガツだともう、尖がってしょうがないでしょ?というが、周りはそのギャップに萌えるんだってことを知らない。そのリカが、買い物の最中に自分の香水と一緒に俺のも選んでくれると言ったのだ。
「大祐さん、普段からいい香りだからいらないと思うけど、私が選んでみたいの」
確かそんな風に言ってくれた。
仕事の時にはつけられないことを知っていて、それでもスーツの時はいいですよね、と小さく笑う。そんなリカに、俺は提案した。
ユニセックスなものでリカもつけられるようなグリーンノートのものがいいと。
「リカも一緒にいるときは同じ香りをつけてくれる?」
「嬉しい」
傍からみたらそんな甘ったるい話から、リカが選んでくれたのだ。
「すぐわかるよ。あいつ普段は違うから」
「そうかな。変わらないですよ」
なぜか軽く眉を顰めた藤枝さんに、俺はそう言い返す。
リカは変わらない。そんな香り一つで変わる女じゃないと言い返したくなる。
普段でも、こんな乱暴に近い飲み方はしない方だが、カウンターに置かれたビールを再び一息で飲み干した。
それを見た藤枝さんが、同じようにビールを飲み干すと一足先にロックを頼んだ。
「空井君さぁ。結婚しても気が気じゃないんじゃないの。あいつもああいうやつだし?」
ん?と眉を上げるのは藤枝の癖なのかな、と思う。いつかの牽制の時も、同じ顔をしていた気がする。
そして、空になったビールグラスを押し出すと、藤枝さんと同じものを頼んだ。
「ピッチ、早くない?飲みたいならいいけどさ」
「早くないよ。ビールでスタートした分だけまだまし」
覚悟を決めて、口調を変えると藤枝さんはおや、という顔になる。
二人で丸い氷を浮かべたグラスを手にしながら、香水を買った時の話を藤枝さんにも話して聞かせた。
「だから、俺が選んだんじゃないんだ」
言い訳じみたその言い方に、藤枝さんは、ふん、と鼻で笑った。
―― なんだよそれ。俺がせっかく……
すきっ腹にビールを煽ってからロックを飲み始めればさすがに俺も藤枝さんも酔っぱらってくる。それもいつもよりも格段に早く。
「だから、空井君もたいへんだろうなって思うわけですよ。だから!俺がね。その場は野郎しかいないし、取材相手だから稲葉も断りづらかろうと!そういうことなんだよ、あれは!」
リカのジャケットについた香り。俺の代わりにだよ、という藤枝さんの腕をがしっと俺は掴んだ。
「わかる。わかりますよ。だって、リカってば自分に向けられる視線にあまりに疎いと思わないですか?あんなに可愛いんだから、言われたことは素直に受け止め……って無理か。だからリカだもんな」
「そう!その通り!」
話し方がちゃんぽんになるくらい酔っ払いだしたなと思っているけど、共感してくれる相手にはついつい頷いてしまう。
だが、次の瞬間、藤枝の肩をバシッと叩いた。
「でも!あれは駄目です。リカにほかの男の匂いを付けるなんて絶対に許せません」
「ちょ、ちょちょ、空井君。ちょっと待て。それ以前に、あれだってどうなのよ。リカが選んだ香水ってさ、意味わかってないんじゃないの?」
「意味ぃ?なんですか。俺だって、わかってますよ。離れてても一緒にいられるって」
「違う!違うなぁ~。いい?空井君。あの稲葉が、だよ?旦那である空井君がモテるから変な女よけに自分の選んだ香水をつけさせようってそういうことでしょ?わかってない!あの稲葉を女としてそこまで花開かせたって少しくらい自覚しろよ」
―― 何言ってるんだろう。この人……
ぼーっとして話を聞いてから、しばらくたってあれっ!と飛び上がりそうになった。
「え?え?そういうことですか?」
「今気づいたのかよ!ムカつくほど余裕だなぁ」
「ムカつくのはこっちも一緒ですよ!」
むーっと互いに睨みあった後、グラスを持ち上げてから空になっていたことに気づく。
「「おかわり!」」
同じタイミングでロックを注文したところに、からん、と店のドアが開いた音がした。
「ごめんなさい!遅くなっちゃって……って、藤枝も大祐さんも何酔っぱらってるんですか!」
階段を足早に降りてきたリカが驚いているのはわかったけど、なんだか楽しいような、悔しいような気分がそこにあった。
「なんだよ。お前来るの早いよ。なぁ、空井君」
「いえ!そうだけど、そうじゃありません!」
「大祐さん、何言ってるかわかりませんよ……。もう、いいから帰りましょう」
べろべろになった二人を苦い顔で見比べたリカぴょんが会計をしてくれて、先に藤枝さんが出た後、俺も腕を添えられて、階段を上がった。
表にでれば、冷えた空気で少しだけ頭が冷静になる。
「空井君。楽しかった!また飲もうぜ」
「望むところです!何度でも撃墜しますよ!」
「撃墜って、何がだよ。俺、敵機じゃねぇし……。じゃ、俺タクシー拾うわ」
ふらりと足元は危うかったが、俺よりも飲んでいない藤枝さんは大通りを目指して歩いて行った。
俺はリカの手を取りながら、延々と、リカに絡んでしまう。
「俺以外の、人にね?」
「わかった!わかったから歩いて。私、大祐さんのことは抱えられないから」
「藤枝さんは、いい人だし、俺の気持ちもわかってくれるからいいけど駄目だからね!」
「もう、何が駄目なのかわかんないけど、わかったから。お願いだからタクシーに乗って」
やっとつかまえたタクシーに押し込まれて、俺はリカの手をぎゅっと握って夢の中で呟いた。
―― リカは俺だけに甘い香りをさせてて。俺と同じ香りをさせてて
その答えを俺はまだ聞いていないけど、きっと目が覚めたら。