真昼の月 8

受け付けからの連絡をじりじりして待っていたリカは、内線で秋山の来訪を聞くと、すぐにフロアを飛び出していく。
受付前で秋山を迎えたリカは、二階の来客用打ち合わせスペースに腰を下ろした。

「すみません。わざわざいらしていただいて」
「いえ、こちらこそ」

秋山の顔を見てやはり、リカは会ってみてよかったと思う。その顔には何か理由があるとはっきり書かれていたからだ。

「あの!ほかにも候補者の方々がいらっしゃいましたが、どうして西村さんになったんでしょう?すでに、取材を受けていらっしゃるのもわかっていて、どうしてでしょうか」

リカの直球の質問に覚悟をしてきたらしい。秋山は頷いてからスーツのボタンを外した。

「社の方ではなくこちらで、というのはやはりそこですね。ご配慮いただきありがとうございます」
「いえ、配慮だなんて……」
「社の方では話しにくいと思ってくださったことは感謝します。お恥ずかしい話なので、どうかここだけの話にしていただければ助かります」

はあ、と頭を下げたリカに、秋山は初めて素顔らしい笑みを浮かべた。

「不自然な話ですから疑問を持つのは当然でしょうね。外部の方には本当にみっともない話なんですが、西村の部署は社の中でもこのところ業務が増えている部署でもあります。そのため、ほかの部署からもやっかみと言いますか、そういう目を向けられるわけでして……。特に西村は、女性では数少ないリーダー職を務めていることもありますし、仕事にまっすぐな分だけ女性社員から浮いているというか」

その話を聞いていると、西村はきっと真面目な女性なのだろう。こつこつと努力型だからこそ、ほかの女性からは余計に気に障るのだろう。
ましてや、女性管理職と言えばますますそう見えるかもしれない。

そんなところに広報からの依頼とはいえ、テレビ局の取材を受けたとなればますます風当たりは強くなるのも無理はない。

「秋山さん、妙に詳しくないですか?いくら広報でも……」
「そうですね。たしかに取材を受けることになったり、色々波風が立っている社員ではありますから」

そう言った秋山は、椅子の背にもたれかかって周りを眺めた。

「彼女は、別れた私の妻です」
「ああ、なる……。はい?!」

さらりと言われた言葉に頷きかけて、衝撃的な言葉にひっくり返りそうになった。社内では周知の事実というやつで、と言いづらそうに説明する秋山の言い方には気遣いが見えた。

「つまり、離婚したんです。色々あったんですが、お互い仕事が好きで、それをちゃんとやりたいという彼女の意志を尊重するっていう大義名分ですが、正直に言えば、自分と同じかそれ以上に仕事をしていて、家に帰ってもいっぱいいっぱいな彼女に自分が疲れたんです」

穏やかな秋山の言葉がぐさっとリカに突き刺さった。

―― 共働きで、仕事でいっぱいいっぱいになってって……

どこかで聞いた話、というよりもたったそれだけでも身に覚えがありすぎる。ましてや、リカと大祐の場合はそこに遠距離という要素も加わるのだ。ついつい、身を乗り出して聞いてしまう。

「あの……、やっぱり共働きはやっぱり難しいんですか?」
「え?」
「あ、いえ……」

つい自分に置き換えて考えてしまったリカに、訳が分からないなりに秋山は真面目に答えてくれた。

「広報という仕事は、時に時間制限があってないようなことがあります。ましてや男ですから付き合いや飲み会を全くしないわけにはいきません。彼女は彼女で、リーダーを任せれるくらいになるには、重い案件をいくつもこなして顧客からも彼女でなければと言われるくらいで。コストに合わない仕事は引き受けるような真似はしませんが、これ以上部下が引き受けられない仕事を自分でこなしたりしていれば、当然帰れなくなりますしね」
「み、耳が痛いです」

ふっと、リカの左手に光る指輪をみて秋山が苦笑いを浮かべた。打ち合わせで何度か話した事しかないが、仕事柄、人を見ることはよくある。

「稲葉さんもそういうタイプでしたら、注意した方がいいですよ。なんでも完璧にしようとしないところからですね。適度に旦那さんと分担して背負いすぎちゃ駄目です」
「肝に銘じます……。じゃなくて!えーと、西村さんはそう言うこともあって、女性社員の皆さんからは……てことですか」
「ええ。仲のいい者がいないわけじゃないみたいですけど、今回はその候補者が下りたのはそういう事情です。社としては取材していただくことはありがたいですし、特に西村のソリューション部がますます盛り上がってくれたらいいという思いもありますので……」

聞いている間に膝の上で握りしめた手がぎゅっと強くなる。
女だからこそ分かる。どんな会社でも大なり小なり、やっかみはあるものだ。どれだけ仲が良くても、誰かがうまくいけば喜ぶ半面、羨む思いもある。
それはあって当然で、それなくして成長も何もありはしない。だが、女性には布を織りなすように複雑な糸が絡み合う。

秋山は、広報という一般の企業としても花形部門でおそらく出世コースなのだろう。その秋山と離婚したという西村は、そんな秋山絡みの嫉妬も背負っているのだろう。

「秋山さん。西村さんへの取材、改めてお願いしてよろしいでしょうか」
「それは、こちらとしてもそのまま進めていただければこちらもありがたいですが」
「秋山さん。本音を聞かせてください。秋山さんご自身はどう思っていらっしゃるんでしょうか?」

リカの申し出に戸惑いを見せた秋山は、言葉を切った後、視線を彷徨わせた。ほぼ、初対面に近いリカに、秋山が正直に答えるとは到底思えなかったが、リカのまっすぐな思いは秋山に届いたらしい。

「もう、彼女へのこだわりはありませんが、取材を受けることで少しでも現状を打破できるなら、と思います」

そう告げた秋山は、自身にはすでに新しい相手がいることも明かしてくれた。

「僕らはお互い納得してますし、わずらわしいノイズがなければもっと互いにいい仕事ができる。そう思います」
「わかりました。改めて企画内容を詰めたうえで、ご連絡させてください」
「承知しました」

よろしくお願いします、と互いに頭を下げた後、秋山を見送ったリカは、両手で顔をぱんぱん、と軽く叩いた。

「大祐さん。私、間違ってるかな」

家に帰っていつものように松島と繋がっていたリカは、普段なら滅多に迷わないことを口にしていた。
西村と秋山の話を聞いて、やってみようと思ったこと。それをほかでもない大祐に相談するなどリカ自身、よほど迷いがあったのだろう。

「そうだなぁ……。少し考えてもいい?」
「うん。もちろん」
「リカは、どうしてその西村さんていう人のことを取材したいの。その番組のネタがなくて困るから?」

初めはそれもあった。だが、今は……。
共働きだった西村の離婚理由を聞いてしまった今は、その立場の難しさも合わせてなんとか力を貸したいと思ってしまった。

「だって……。同じ女として放っておけないじゃないですか」
「でも、リカが取材したから変わるの?」
「……それはわからないけど。でも少しでも変わるなら」
「うん。じゃあ、俺もそう思うよ」

電話の向こうの声が柔らかく同意を伝えてくる。

「俺にはよくわからないことが多いけど、リカがそう思うんでしょ?俺は、リカと一緒に仕事をしたことがあるから、どういう風に仕事に向き合うか、わかってる。相手の立場に立って考えられる公正な人だと思ってるから」

―― わかってるよ

耳元から聞こえる声にリカはほっと安堵する。一人だったら間違いなくただ闇雲に突っ走ったかもしれない。
でも今は一人じゃない。

「もし……」
「もし、リカが間違っていたらちゃんとリカの周りにいる人たちが止めてくれる。そうじゃなかったら協力してくれるはずじゃないかな」
「……うん。そうだよね。やってみる。ありがとう。大祐さん」
「どういたしまして。俺でもリカの役に立てるなら嬉しいよ」

電話を切った後、リカは企画書を読み返して鞄にファイルを押し込んだ。家に帰ってきてから散々悩んでまとめたものだ。

いつ、誰でも、女性ならぶつかるかもしれない壁。

―― 私も、いつそうなるかわからないのよね

だからって何ができるのか。
そこからが私の仕事だから。

リカはそう思った。

投稿者 kogetsu

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