改めてリカはハンディカメラを持って西村の会社に向かった。
珠輝には、リカがわざわざ行かなくても、と呆れていたが、阿久津はなぜか二つ返事で許可してくれた。
「俺も現場にはこだわったからな。お前は、現場に出られるうちはやってこい」
「ありがとうございます!」
久しぶりにガツガツのリカが復活だと、ヒールの音を響かせて走り出した。
秋山ではなく西村に直接面会を求めたリカは、驚いた顔の西村ににっこりと微笑んだ。
「こんにちは。改めて、帝都テレビの稲葉です。今日から密着取材をさせていただきます」
「本当にいらっしゃったんですか」
「ええ。今日から、お願いします」
そう言って、リカは鞄からハンディを取り出して見せた。まだ本当に撮影する気なのか納得できない西村に、リカはまっすぐな目を向けた。
例え、ミニ番組でも、ちゃんと取材をしてからにしたい、と言ったリカに渋々西村は頷いた。
「全部撮影されては、お客様の情報もありますので困ります」
「もちろん。放映するデータは西村さんにも確認していただきます。でも、その前に私は西村さんがどういう方かを知りたいんです。インタビューはその結果で決めます」
「……そんなことできるんですか?」
「私がディレクターで、上司の許可もとってきました」
はぁ、と急に頭を下げた西村にリカが驚く。おろおろと声をかけると、のっそりと西村が首を振った。
「もう、ここ1週間はずっと終電で、朝もめちゃくちゃ早かったので、肌もぼろぼろだし、靴も買いたいのにぼろぼろのをとりあえず履いてるし、服だって週に3回同じ服着てるのに……」
「……ぷっ」
「テレビの方はきれいにされてますけど、笑いごとじゃないんですよ?」
「いえ。私も、報道の記者だったころ、5日ずっとお風呂にも入らずに同じ服で家にも帰らなかったことがあります」
ゆらっと眼鏡越しにリカを見上げた西村の口元が少しだけ笑った気がした。
細長のメガネの奥は、少しも笑っていなかったけど。
「……それでも若くて美人なら許されます。私みたいなおばさんは駄目」
その返事を聞いて、リカがカメラの電源を入れる。西村に向けようと構えた瞬間、西村の背がすっと伸びた。
「席を離れるのに、何も準備をしていなかったので、一度フロアに戻ります」
「はい。ついて行きます」
「駄目です。今日は、何の準備もしていないので、映されると困るんです。こちらで少しお待ちください」
わかりました、とリカが答えると、ロビーにリカを置いて、西村は足早に戻っていった。
秋山からは連絡がいってはいたようだが、連絡無く直接現れるとは思ってもいなかったらしい。受付の女性は、正面を向いていたが、西村とロビーで話していた時に通りすがりの女性がちらりと視線を投げていた気がする。
待合スペースに移動して、空いていた椅子に腰を下ろしたリカは吹き抜けのロビーを見上げた。
帝都テレビもロビーは吹き抜けになっているがこのビルも同じように吹き抜けていて、二階にも面談のスペースがあるらしい。
さすがにポスターのようなものは一切なくて、オフィスビルという入りがたい雰囲気が漂っていた。
その間に、リカは手元の手帳に書き留めてきた西村のことを読み返す。
藤枝たちの取材の方で知ったことも書いてあった。
西村朋。年齢はアラフォーの声を聞く頃で、独身。バツイチは秋山から聞いた。
コンテンツソリューション部という横文字の部署でリーダーをしている。リーダーというのは一般的に言えば主任クラスらしい。
一つのチームを取りまとめていて、複数の案件を抱える優秀なチーム。
チームは5名で動いていて、西村以外は男性だそうだ。
「男性を引っ張ってる女性リーダーか。……ありがちな姐さん像にはしたくないな」
肩ひじ張っている、男勝りな女性には見えなかったから。
パタン、と取材手帳を閉じると、ハンディとテーブルに置いて、リカは西村を待った。
一日、西村に張り付いたリカは、局に戻って素材を見返しながらそこに入れるべきナレーションを考えていた。
取材する対象に寄り添うのは今もあまり変わらない。ただ、西村に対して妙に入れ込んでしまったのは、どこかで同じにおいを感じたからだ。
真面目で、頑固で、思い込んだらまっすぐで。
本当はもう少し柔らかく肩の力を抜いたら、もっと周りは優しくなる。
それをリカが知ったのは、空井のおかげだったが、西村は知りながらも一人、その険しい道へと突き進もうとしているように見えた。
顔も靴もぼろぼろだと言った西村。
再生していた画像を止めると、リカは携帯を取り出して藤枝を呼んだ。
「なんだ、何用だよ?」
「あのね。お願いがあるの」
「うわ、なんだよ、やめろよ」
頭を下げたリカに不気味だと言ってわざとらしく震えて見せた藤枝は近くにあった椅子を引っ張ってリカの傍に腰を下ろした。
フロアの隅の、再生機材の前に座っていたリカは、止めていた画面をちらりと見る。
「あのね。西村さん、取材することにした」
「おお。あれな。いんじゃね?お前が決めたんだったら。阿久津さんの許可もとったんだろ?」
「うん。それで、お願いなんだけど、西村さんの取材に協力してくれない?」
首を傾げた藤枝は、俺が?と意外そうな顔を見せた。
「西村さんの場合、本人のインタビューよりも、周りの視点で語ったら面白いかなと思って。それも私と藤枝、女からの目線、男からの目線で取り上げたいの」
職場で、難しい立場の西村を見る女の目と、職場で共に働く男達と同じ男の目線。
同じ一人の人物であっても、きっとそれは真逆かもしれないし、同じかもしれない。それを見せたかった。
机の上のハンディに手を伸ばした藤枝は、現実的なことを口にする。
「んでもさ、俺、密着取材するような時間、あんまとれないぜ?」
「大丈夫。私も空幕の密着してた時だって、決まった時間だけだったし、1日中っていうわけじゃなくてもいいの」
「そういってもなぁ……」
「藤枝は、一度、彼女を取材してるでしょ?だからこそ頼みたいの」
いくらリカの頼みとはいえ、勝手にこの手の仕事を引き受けるわけにはいかない。それが組織というものだ。
「うちの上に、話を通してみないと何とも言えないな」
「じゃあ、正式に話通してもいい?」
「……お前。相変わらず」
まっすぐで、一度、こうと思ったらすぐに動かずにはいられない。そして、取材する相手と同じ目線に立とうとする。
―― 人妻になったんだから少し大人しくしとけっての……
だからと言って、リカがかわるはずないことも、自分がそれでかわるはずないこともよくわかっているのに。
「お前の頼みだからな。一応、俺からも話してやるよ」
仕方がない、と言って立ち上がった藤枝は、自分の上に許可をとるためにフロアへと戻った。