すべては誰かの掌の上で 3

守備範囲外の話題には、普段の反応速度が極端に鈍くなる藍沢は、昨日からの短時間しか自分と接していないはずなのに的確に表現してきた真田をじっと見つめた。

「さあ。それがあっているかどうかはわかりませんが、あまり騒がないでください。状態がよければ夕方にも病室のほうに移動しますから」

スイマセン、と笑いかけた真田にそう言い置いてナースステーションに戻る。
術後の経過も人それぞれ、あの様子なら実際に夕方には病室のほうに移動だろう。そのあと、さらに様子を見て循環器内科の病棟に移ってもらう。

CCUがある場合はそこでみるところだが、翔北はICUとHCUしかないので結果的にそういう流れになる。

「あれ?藍沢先生、どうかした?」

眉間のしわをそのままにした藍沢をみて白石が足を止める。ふと、つい今しがたの話が頭をよぎった。

白石なら。

―― ……天然系、女医か?それとも……

一瞬頭に浮かんだ考えに自分自身で驚いて、首を振る。

「……いや、なんでもない。真田さん、様子をみて夕方には病室に移動しよう」
「わかった。橘先生と話しておく」
「頼む」

いつも通りの会話。

それなのに、すぐそばを白石が通り過ぎた後、一瞬だけ無意識に指先を擦り合わせた藍沢は振り返った。

「ん?」
「いや……」

無自覚。

無意識。

自分自身でも首をひねりたくなった藍沢は即座に頭の中を切り替えた。考えてもわからない類のことは、極力考えない。考えるべきは少しでも、一つでも新しい技術、新しい知識を得ることだ。

だがしかし。

真田という患者が持ち込んだ[思考]というウイルスは思いのほか感染力が強く、恐ろしい勢いで広がっていった。

昼を過ぎて、いつもの如く遅い時間に食堂に姿を見せた藍沢と白石は、緋山と藤川が妙な盛り上がりを見せていることに気づいた。

「なんか……、あの二人、テンション高そうね」
「……離れて座るか」

トレーをもってメニューを選んでいるところにまで緋山の勢いのいい声が聞こえてくる。

「そう!それ、いいと思わない?!あたしさぁ……」

経験上、藤川の残念な疎ましさだけでなく緋山が盛り上がっているということはあまり近づかない方がいい。
そんな危険信号に顔を見合わせた二人は2つも通路を挟んで離れたテーブルに腰を下ろしかけた。

が。

「ちょ、藍沢!しーらーいーしも!こっち来なさいよ!」

目ざとい。
というよりも、待ち構えていたのだろう。確かに遮るもののない食堂の中、入ってきてメニューを選んで清算して、テーブルに着く。ここまでの間で見つからないようにするのは、よくよく気をつけていなければ無理な話だ。

椅子を引いて腰を下ろしかけた二人は、顔を見合わせた。

「……仕方ないだろ」

その一言を残して、藍沢がトレーをもって藤川の隣へと歩いていく。テーブルに片手をついて、深いため息をこぼした白石も落ちてきた髪を背中に流すと、トレーをもって緋山の隣へ腰を下ろした。

「ねぇ、恥ずかしいからやめてよ」

つい、そんな言葉が口から出てしまう。
すでに黙々と食べ始めている藍沢は、視線を上げることなく、トレーの上を見たきりだ。

「いいじゃん。そんなことよりさ。白石、あの人としゃべった?」
「誰?」
「ほら!昨日の心カテの、真田さん」

ああ、とクラブハウスサンドに手を伸ばした白石は、くるんである包み紙を食べる場所だけ開く。

「朝ね。話したよ?」
「ちが、そーじゃなくて!あの人さ、劇団の人だって言ってたじゃん?そこそこどころかすっごい有名なとこみたいよ?」
「へぇ。そうなんだ」

少なくとも、藍沢よりはテレビも見るし、世間の流行りくらいは一応知っているつもりの白石だが、演劇などというジャンルはそもそも興味がない。それよりは、この病院の食堂はメニューも豊富で患者が見れば病院食との差に激怒されそうなくらい味もいい。

今日のクラブハウスサンドも野菜が多く、パンもバゲットをつかって、色々が具が入っている。一つ一つ包まれているから食べきれないときや、急な呼び出しの時は包みを戻して後で食べるものもいる。

端から零れそうになったトマトを手で受け止めながら食べるほうに集中しそうになっていると、緋山にかなりな勢いで肩を叩かれた。

「そうなんだ、じゃないでしょ!あの人ねぇ、面白いのよ」
「そ!俺なんかさ」
「あんたはいいから」

藤川が話に乗ってくるとぴしゃりと遮られる。しゃべりたくて仕方がない緋山が口を開きかけたところに、俺もだ、という声が入った。

「俺も。なんか変わってるな」
「あんたも?そう、あの人芝居つくってるとかでさ、なんかあたし……」

そこまで言いかけて、ぴたりと緋山の笑顔が張り付いた。

「なに?」

きちんとしつけられたお嬢さん、という印象そのままに、きっちりと飲み込んでから白石がきくまでたっぷり数秒は経過したが、緋山は慌ててその勢いをひっこめた。

「……なんでもない」
「なによ?」
「なんでもないったら」

何が起きたのかと、怪訝そうな白石に、こんな時はまさに適役の藤川がにやにやと緋山を指さした。

「こいつさ、真田さんに俺たちがフェローだってこと話したんだよ。したら、『フライトドクターを目指す優秀な女医』の役だとか言われちゃってさ。すげー、浮かれてんの。白石もおんなじようなこと言われてたらと思ったんだろ?」

それで恥ずかしくなったんだろ。

空気が読めない、といえば藤川の右に出るものはいないだろう。そう思うほど、藤川の一言は緋山には聞いたらしい。
くわっと目を見開いた緋山が一気に反撃を始める。

「なにいってんの?!そんなこと思ってないし!大体、あたしがこの子と同じはずないでしょ?!ただ、騒ぎすぎたかなと思っただけよ!あんたこそ、浮かれてたじゃないの!」

ふふん、と鼻先で笑い飛ばした緋山が言葉をきったのは途中で止めようと思ったからではなく、ただ単に、ペットボトルの水を飲んだからだけで。
ニヤリと笑った後に自分が投げつけられたのの数倍の威力を込めて投げつけ返す。

「合コン行ったらイケメンの最後においしいところを頂く医者、だって?はっ!そもそも合コンにも呼ばれないくせに」
「なんだよ、お前!さっきまでは、あたしもあたしもーなんつってたくせに」
「あんたが余計なこと言うからでしょ?!」

元々テンションが高かっただけに、それがくるりとひっくり返ると同じ勢いで言い合いが始まる。近くのテーブルからもちらちらと視線が着始めていただけに、白石が割って入る。

「いーから!もう、やめなよ。話はその真田さんのことでしょ?」

せっかくのクラブハウスサンドを置いて仲裁に入った白石だが、これもまた性格が出るところである。
瞬殺、という勢いで緋山にじろりと睨みつけられた。

「あたし、あんたのそういういい子ちゃんなところ大っ嫌い!」
「ひどっ……」
「白石が優等生なのは今更だからそれを言っても仕方ないと思うが、俺もたいして話してないのに、ちょっと困った」

完全な八つ当たりを食らった格好の白石に、フォローなのか駄目押しなのかわからない一言が話の流れを変えてくれた。

投稿者 kogetsu

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