胸にあるのはForget Me Not

「手、繋いでいい?」
「ん?……ああ」

隣を歩いていた白石に言われて、無造作に手を伸ばした。
控えめにそっと伸ばされた手が手の中に納まる。

伸ばした手の向きが悪かったな、と引き寄せて繋ぎ直す。

「……」
「何?」
「……ううん」
「いや、何か言いたいなら言って」

磨かれた床の上は、たくさんのカートやキャリーが行き交っていて、そこを歩く足音が妙に大きく響く気がした。

「いやー……ねぇ」
「何」

身軽なその人は、気軽に遊びに来たような姿に見えるが肩にかけているバッグ一つは普段、彼が持ち歩いていないものだ。

「だって、ほら、ねぇ。今まだこういう状況だから当分、身動きできないだろうなって」

妙に奥歯にものが挟まったような言い方に、ふっと笑った気がした。

「なによ」
「いや。言いたいことはほかにあるのかと思って」
「ほか、ほかにって、別にないわよ。あなただったらどこででも何とかするでしょ」
「それはな」

あっさりと応えるその人は、全くいつもと変わらない。普通に仕事に行くようだ。

日本だけでなく世界中の情勢が変わって、近くどころか遠くへ移動することもなかなか難しい日々が続いていたのに、気が付けば交換の形で海外に行くことになっている。

相談はされたものの、仕事の状況や思いを聞けば止めたりはしない。感情とは別な話だ。

「荷物、その少なさはありえなくない?」
「前の時もこんなもんだったろう?」

さらりと答えるが、大きなバッグ一つで海外に数か月単位で行く人はなかなかいないだろうと言いたくなる。

「私にはわかんない」

国内線と違って、海外線は出国手続きもあるからギリギリに入るなんてできなくて、さらに空港で軽く食事ができるくらいの時間についていた。

繋いでいた手をひいて、ショップが並ぶ方へと連れていかれる。

「何?」
「何かあるかなと思って」

普段はそんなことをしない人なのに、あっさりと連れていく。空港のショップは土産物をかねているから、名前の知れたショップが多い。

その一つ、チョコレートショップの前で足を止めた。

「食べるか?」
「えっ?なんで?」
「チョコ、好きじゃなかったか?」
「好き……だけど」

急に何を言い出すのかと目を丸くしている間に、目についたものなのか、いくつかを頼んでさっさと受け取って歩き出す。

「お土産、にするの?」
「何を?」
「それ」

手にした袋を指差すと、ぬっと差し出された。

「……え?」
「なんで土産にするんだ」
「お前が持って帰れ」
「あっ……。え?」

一瞬、わかったような気がして、結局わからなくて聞き返す。その白石の手を引いて袋を握らせた。

「家に帰ってゆっくり食べれば」
「あ、ありがと……」

ふ、と小さく笑われた気がして顔を上げると、本当に目の前で笑っていた。

「たまには、ちゃんと言え」
「はい……?」
「寂しいとか、苦しいとか、嬉しいとか」

そういわれて、ストン、と蓋をしていた隙間に何かが入り込んだ。

ただでさえ、ほかの仕事以上に人と会ったり、どこかに出かけたりしづらい日々は変わりがない。職場では話ができるが、それも限られている。

誰かと一緒に暮らすことに助けられていた。

「なん……」

なんでそういうこと、今いうの。

つないでいた手を引かれて、お店が並ぶ辺りから空港の中を移動していく。飾られているもの目当ての海外の方がちらほら眺めていくくらいで人の少ない場所まで移動する。

階段を上がれば、サイズ違いの木造の橋がある。そこをわざわざ渡る人は少なくてそれを見上げるように立った。

「なあ」
「……はい」
「もう慣れてるとわかってるけど、お前はため込みすぎるから。なんかあれば言え。今ならいつでもちゃんと聞くから」

泣かない。

泣かないと思っていたのに、今にも何かがこぼれそうになって、慌てて下を向いた。
気づけばそっと腕を回されて、そんな姿を隠してもらっていた。

「反対するとは思ってなかったけど、何も言わないだろ。お前。もっと早く言えばよかったのに」

口を開いたら泣いてしまう。
黙って首を振った頭をぽんぽん、と叩かれた。

「……言わないわよ」
「別にいい。言ったからってお前のせいにすることはないぞ」
「そういう事じゃないもの」
「まあいいさ。やっと本音がでたからな」

落ち着くのを待ってから、ゆるゆるとゲートに向かう。

「んじゃ、帰り気を付けて」
「ん。気を付けて」

手を離す瞬間、なんでもない事のように離れようとした。その手をもう一回手を掴み直された。ぐいっと掴まれたことよりも、目の前の人よりもその向こうのゲートの先を見てしまう。
「じゃあ」

その手が離れて、藍沢は背を向けて歩き出した。

期間は未定。

ため息も出さないように気を付けて背を向けた白石は、ふと繋いでいた左手の小指にリング見た。
驚いて、今ならまだつながる携帯を手に取る。足を止めたその周りを、かつてよりははるかに少ない人が行き交う。

『次はちゃんとしたのを買ってくる』

届いていたメッセージを見て、口元がへの字に歪んだ。

「……ばか」

そのまま、その場にいたら本当に泣いてしまいそうだったから、急ぎ足で電車に乗るために歩き出した。

—end

投稿者 kogetsu

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