「コーサク!」
「ラナ」
「ねぇ。食事、どう?もう終わりでしょう?」
「いや。俺はいい」
あっさりと答えた藍沢に話しかけた女性は肩を竦める。
こうして断るのは何度目だろうか。
足早に藍沢に追いついたラナと呼ばれた女性は、並んで歩きだす。
「コーサクは日本でもそうだったの?」
「何が?」
「日本人はシャイだっていうけど、コーサクは特にそうなのかなと思ったのよ。だって、あなたほとんど自分のことは話さないでしょ?」
足を早めることなく、そのまま歩きながら藍沢は黙ったままだ。
だが、ラナもそれで引き下がるわけではなく、隣を歩いている。
足を止めた藍沢は大きくため息をついた。
「俺はここに仕事に来ている。プライベートは関係ないだろう」
「コーサク……。私たちはお互いに信頼がないと一緒に戦えない。それにはお互いのことを知るのはいいことだわ」
「それは君の考えだ。俺は君のプライベートを知らなくても構わない。ただプロの仕事をしてくれればいい」
それだけを言い切ると、藍沢はラナをその場に置いたまま歩き出した。
トロントにきて半年がたとうとしていても、藍沢の様子は変わらなかった。
サイボーグと呼ばれ出しても本人はまったく気にも留めない。
どんな時でも、患者がいれば姿を現して対応に当たる。それが何時で、どのくらい長時間でも全く変わることなく動くからだ。
「またふられたね」
「ジェイ」
ラナと藍沢のやり取りを見ていたらしい同僚が一人ラナの傍に立つ。
藍沢の後ろ姿を見ていたラナは首を傾げた。
「コーサクは、本当にサイボーグなの?仕事の事しか頭にないみたい。ワーカーホリックっていうレベルじゃないわ」
「そう思う?」
「聞いてるのは私よ」
意味ありげに笑ったジェイにつづいて医局に戻ったラナは、手招きされてもうすでに姿のなくなった藍沢のデスクに近づいた。
ワイヤーのついたPCと、医学書。目の前のボードには空と海の絵葉書が貼ってある。
その隣に、写真が何枚か貼ってあった。
「写真が増えてる!」
「そ。前は持って歩いてたけど、ファイルに挟まったりするからって貼ってた」
「へーえ。コーサクの友達?」
「いや。“ホーム”なんだってさ」
彼らにとっては家族の写真を職場に置くことはよくあることでそれがホームといっても釈然としない。
ラナが肩を竦めるとジェイはくしゃっと顔をゆがめて笑った。
「コーサクはあれで、なかなか面白いやつだよ」
そういうと、少し前のことを話し始めた。
* * *
朝までかかった手術が終わり、ジェイは家に帰ろうとして仮眠室に向かう藍沢を呼び止めた。
「コーサク。帰らないのか?」
「ああ。どうせ帰ってもすぐに病院に戻るからな」
「少しは切り替える時間も必要だぞ?」
プライベートな話はほとんどしない藍沢を呆れもするし、いっそ変人くらいに思っていた。だから一応、声をかけてはいるが正直なところ、関わるつもりももうほとんどなかったのだ。
そんな藍沢が珍しく、朝焼けの窓の向こうを眺めて口を開く。
「ジェイ。君は帰って家族の顔を見てくればいい。日常は大切だ」
「サイボーグも人間らしいことを言うんだな?」
「俺の……同期の医者がいて、その男も君と同じだ。愛する妻がいて、一緒に戦って、一緒に生きてる」
色白で、いつも笑顔で賑やかで。
そんな男を思い出す。
目元がほんの少し、変わっただけで、驚くほど表情が変わって見えたことに驚いて、ジェイは離れようとしていた足を逆向きに変えた。
「……コーサクの親友か?」
「いや。家族以上に家族だ」
「家族以上?それは……コーサクの親は寂しがるんじゃないのか?」
「俺に親はいない。子供の頃に死んだ。祖母に育てられたが、その祖母も死んだ」
「そうか。……それはすまない」
首を振って、藍沢はただまっすぐに日が昇るのを眺めている。
「構わない。その分、俺にはずっと一緒に過ごしてきた仲間がいる。彼らが俺の家族みたいなものだ」
「……悪いが、想像できないな。双子の弟か何かじゃないのか?」
からかい気味のジェイにふっと藍沢は笑った。
初めて、トロントに来て初めての藍沢の笑顔に驚くのと同時に、ただのいけ好かない日本人だった藍沢が“人”に見えた。
「俺はこういう男だからな。だが……、お人好しで、面倒な奴だが、人一倍優しい男と、優秀で冷静でお調子者の男を包み込める温かい女と。自分勝手で、わがままだが誰よりも患者のことを一番に考える女がいて」
人のことを自分の事のように考えて、全部を抱え込み切れないのに、抱えようとしてどんなに辛くても頑張る奴がいて。
「プライベートをほとんど知らなくても、俺にとって彼らは家族以上に家族なんだ。それくらいの時間を過ごしてきた」
「コーサクは、クールな男だと思っていたけど、実はホットな男だったのか?」
「どうだかな。サイボーグと呼ばれてるって言ったら、全力で頷きそうな後輩はいるな。ただ……、俺がここに来てどう過ごしてるかなんて、奴らなら言わなくてもわかってくれている。だからいいんだ」
愛おしいもの。
離れていても、心のなかで、もしここにいたらどうするか、すぐにわかる。
ばしん、と藍沢の肩をジェイが叩いた。
「見てるこっちが恥ずかしくなるな。シャイなのか、オープンなのか、クールなのか、ホットなのか。お前は本当に面白いよ」
「ミステリアスでいいだろ」
「おいおい。今でも、お前のクール顔がいいってスタッフがいるんだぜ?勘弁してくれよ」
ジェイが叩いた肩を笑いながら押さえた藍沢は、ジェイの肩を叩き返した。
「ジェイこそ、結婚しててももてたいのか?」
「当たり前だろ。それとこれとは別じゃないか。あ……、これはうちの奥さんには内緒だけどな」
「俺には不必要だな。わかってほしいのも気持ちを伝えるのも一人だけだ」
ひゅう、と口笛を吹いたジェイは、藍沢の肩に腕を回してそのまま引き寄せた。
「そこから先はぜひ、うちにこないか。コーサク。うちの奥さんを紹介するよ。自慢の手料理もな」
頷いた藍沢を連れてジェイは家に帰って行った。
* * *
「わぉ……、としか言いようがないわ。本当にコーサクの話なの?それ」
「嘘を言って俺がコーサクのポイントをあげて何かいいことがあるか?」
「それはそうだけど……。コーサクって独りよね?」
「さあね?」
眉をあげたジェイにラナは目を丸くしてから、何とも言えない笑顔をみせた。
「今度こそ、コーサクを食事に誘ってみるわ」
「いいね。俺もそうするよ」
「じゃあ、協力しましょ!」
トロントに来てほとんど誰とも絡まなかったのに、彼らと居た時間がこうして今を繋いでいく。
藍沢のデスクの上で、クリップに挟まった写真には、ドクターヘリと彼らと、タンポポが写っていた。
–end