朝でもテンションの高いのが藤川のいいところでもある。
「なぁなぁ。今日さ、なんか俺、中華の気分なんだよねぇ」
エレベータに乗って、いつものように藍沢と藤川は両端に立って浮遊感を味わう。
「そうか」
「だからさ、今日、昼中華にしようと思って。お前もどう?」
「……」
朝一番に着替えてから直後に昼飯の話をされても藍沢が答えるとは思えない。それでもにこにこと話しかけるのが藤川である。
エレベータから降りてもなお、中華のメニューを呟き続ける藤川に答えはなかった。
昼になったからといって、病院の食堂に人が集中することは少ない。特に藤川や藍沢たちの昼は昼が食べられる時間が昼休みでもある。
朝から中華、中華と言われ続けて存外素直な藍沢はカウンターに並ぶメニューに手を伸ばす。
トレイに乗せて、会計を済ませて、テーブルにトレイを置く。
その隣に、当たり前のようにトレイを置いた緋山と白石が腰を下ろす。
「ね、今日さ。藤川が中華、中華ってうるさくない?しかもわけのわからない……」
ポケットに入れている自分の携帯を取り出した緋山は、藤川から届いたメッセージを開いた。
「これさ。……え?藍沢、あんたそのメニュー何よ?」
緋山のトレイにはいつものようにサラダボウルとサプリ、白石のトレイにはあんかけ焼きそばが乗っていた。そのメニューは見てわかっていたから、白石は自然に藍沢のトレイに目を向ける。
一瞬、目を見張った後、緋山が盛大に笑い出した。
「ちょ、あんた、それ、なくない?!」
「……何が」
「だ、だってあんた、それ、組み合わせおかしくないの?!」
指さした緋山の目の前にはなぜか、酢豚とちゃんぽんスープが乗っている。しかもなぜか、ちゃんぽん麺ではなくちゃんぽんスープであり、麺が入っていない。
しばらく目の前のトレイを眺めた後、気を取り直したのか、藍沢は何事もなかったようにスプーンを手に取る。
「……別に」
「だって、あんた、この組み合わせの上にご飯ないじゃん。え、なに、なんかダイエットとかそーいうこと?!マジで?」
「誰もそんなことは言ってない。それに俺は時間があればジムに行くし。お前こそサプリで取れる栄養は」
珍しく、というべきか、本人もしまったと思ったからなのか、緋山だけでなく藍沢も言い返し始めて放っておけばエスカレートしそうな気がして、白石が割って入る。
「ストーップ!緋山先生も藍沢先生も!貴重なランチなんだから!……でも、その組み合わせ、たしかにちょっと変……」
取りなしたようでいて、最後の一言が逆にとどめを刺す。
ほらね、とばかりにニヤニヤと笑っている緋山と、片眉を上げた藍沢の間に、元凶というべき藤川が姿を見せた。
「なになに?盛り上がってんじゃん」
「「うるさい!」」
緋山と藍沢から同時にぶつけられて、二人の顔を交互に見比べる。
「え。なに、俺、なんかした?」
「そもそも!お前がこんなもの送ってよこすから悪いんだろ!」
むっとした顔の藍沢が携帯を勢いよく、テーブルに置く。ただ、画面は出していないから緋山と白石には何があってなのか、状況がみえないでいると、へらへらと藤川は自分の携帯を取り出した。
「え、なんで?こんなものって今日の昼はこれにしようぜって送っただけだろ。ほら」
そういって、自分の携帯を取り出した藤川の画面を緋山と白石がのぞき込む。
「ぶはっ!」
「……っ!ふ、ふじ、藤川先生、これ……」
飲みかけた水を吹き出して笑い転げている緋山と、その隣で必死に笑いをこらえようとしている白石が携帯の画面を指さす。
「え?何?俺なんか変なこと書いた?」
「だ、だって意味が……」
そこまで言ってさすがにこらえきれなくなった白石までテーブルに突っ伏して笑い出す。
その目の前で藍沢だけはむっつりとした顔で、酢豚の皿を空にしてスープに手を伸ばしている。
「……だから!俺は、もともと藤川が言ってたことを聞いてたからそれに合わせただけで!」
きょとん、としていまだに状況を理解していない藤川が携帯を見直した。
「あっ!!」
『Today’s lunch at champion-soup and suburb.(今日は、チャンピオン-スープと郊外の昼食です。)』
ようやく意味を理解した藤川が慌てて携帯を持っていない方の手を振り回す。
「違う!違うんだよ!これは携帯が勝手に予測変換したんだよ。俺、ちゃんとちゃんぽんスープと酢豚って打った!!」
藤川の苦しい言い訳にますます笑いのツボに入った緋山と白石は結局笑いがどうにも収まらず昼を食べ損ねる羽目になる。
笑い転げるだけ笑い転げた緋山はサプリだけを飲み込んで、トレイを返す。少し遅れて、結局諦めた白石もむっとした藍沢が席を立つのに合わせて立ち上がった。
「藍沢先生。意外と付き合いいいんですね」
「うるさい」
「……ふ」
少しだけまだ肩を震わせて笑っている白石を珍しくじろりと藍沢が睨む。
お前なぁ、と口を開きかけたところでエレベータが開いた。
「おう」
エレベータには新海が乗っていて、お互いに目を合わせた瞬間、軽い挨拶を口にする新海に、藍沢は軽く顎を引いた。
「白石先生、昼終わりですか?」
「はい」
「なんだ。惜しかったな。今度、飯とかどうです?イタリアンとか。俺、うまい店知ってるんですよ?」
え、と表情を変えないまま、目を泳がせた白石が答えるよりも先に、藍沢がエレベータに乗ってしまい、慌てて閉められる前に白石が乗る。
その白石にひらりと新海が手を振ってエレベータの扉が閉まった。
「今のってやっぱり……」
前にも新海には通りすがりに食事に誘われていたが、単なる挨拶なのかどうなのか真面目過ぎる白石には判断がつかないでいる。
「誘ってるんだろ」
「……ふ……ん。だよ、ね」
「行くのか」
自分の指先を見つめている藍沢はさっきよりも、機嫌が悪そうに見えた。以前、白石が誘われていた時には、放り出すようにしていたくせに、今は急につついてくる。
「なによ」
「別に」
「じゃあ、なんで」
「イタリアン」
ポーンと、音がしてドアが開く手前で藍沢がぽつりと呟く。
「あいつがイタリアンに誘うのはそこそこ本気だぞ」
「え、ちょっ……」
むっとしたままエレベータを降りて行った藍沢が、数歩先を歩いてから立ち止まったままの白石を振り返った。
「俺なら創作料理の店だな」
「え?」
ブルーのシャツの背中が先のほうへと歩いていくのを呆然と見送った白石は、はっと我に返って、閉まりかけたエレベータから降りた。
「白石先生?」
ぼんやりした顔で歩いていた白石を灰谷が呼び止める。
「あの、どうかしましたか?」
「うううううん。なんでもない。なんで?」
「なんか、顔が赤いような」
ぱしっと両手で顔を押さえた白石は、力いっぱいそのままで顔を振る。
「全然!なんとも!まったく!」
「は、はい」
「そう!何でもないから!」
そういってすたすたと歩いていく白石を今度は灰谷が呆然と見送る。
昼は、すれ違いで一緒に食べられなかった冴島と藤川がちょうど背中を向けあってそれを見ていた。
「あのさぁ」
「ん?」
手元の書類に目を落としたまま藤川が口を開いた。
「中華ってさ。なんか、人数いっぱいで食べるイメージあるじゃん」
「ああ。中華テーブルですか」
「そう。なんか、こう、みんなでワイワイしながらさ。そういうのって憧れるっていうか」
「いいですね。そういうの」
すとん、と返された一言に藤川の口元が歪む。
「うん。いいよな。そのうち、みんなで行けるといいよな」
なんだかんだと言いながらも、同期の繋がりはほかの何にも代えがたくて、つい口をついて出る。
「それはどうでしょう」
「え?!」
いい雰囲気と思っていたのに、いきなり否定された藤川が振り返ると、今にも吹き出しそうな顔で冴島が見ていた。
「ちゃんぽんって、中華じゃないですから」
「え?だって、中華屋さんにあるじゃん?!」
「ありませんよ。それ、チェーン店のちゃんぽん屋さんでしょう?」
くすくすと笑って歩いていく冴島の後を追いかけて、藤川がナースステーションから出ていく。
「すぐそばにいるからこそ、気が付かない、か」
一人呟いた緋山は落ちてきた髪を手早くひねってまとめなおす。
藤川が中華といったのは、きっと未来の、家族の姿を思い描いた無意識なのだろう。
素直にそれを喜べない冴島も本当は同じ気持ちで。
「……あたしも頑張ろっと」
外来に呼ばれて、緋山は一人ナースステーションを出ていった。
そして、処置室で患者を運んだ後の後始末をするのは、フェローだけでなく、白石や藍沢もだ。誰もが同じようにできるようになることは、白石がスタッフリーダーになって決めたことでもある。
「ねぇ」
処置室のベッドの上に新しいシーツを広げて、その後ろで機材を片づけていた藍沢を呼ぶ。
看護師たちは、倉庫から滅菌したガーゼや器具を運ぶために処置室を出ていく。
「さっきの創作料理、おいしい?」
ふいにそんな問いかけをした白石と背を向けあったままの藍沢は、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「ああ。正確には和食とフレンチの間だ」
「ふうん。ちょっと、食べてみたいかも……」
手のひらで折りたたまれたシーツのしわを伸ばして、きっちりと折りこむ。その隣に背の高い姿が立った。
「いつがいい」
「え……、と、藍沢先生は?」
「俺は明後日が休みだ」
―― 明後日って……
その日は、世間でもそんな日だからと、藤川が冴島と一緒にいるために当直に代わって、代わりに休みだった白石と緋山が交代して、緋山は日中デートらしく……。
黙ってしまった白石の携帯がポケットの中で震えた。
「……夜ならあいてるだろ」
「なんで知って……」
「緋山に聞いた」
振動する携帯に慌ててポケットから取り出している間に、藍沢はポケットに手を入れて処置室を出ていく。
どちらを見ればいいのか、慌てた白石の携帯には、メールが届いていた。
「……予約……」
店の場所と予約の通知が同報メールで送られてきていた。
宛先には白石だけでなく藍沢のメルアドも入っている。
驚いて目を見開いた白石は、ふとさっきの後ろ姿を思い出した。
なんとなく感じた違和感。
―― 耳、赤かった……?
口元がへの字に歪んで、苦笑いを浮かべた白石は、一通り確認し終えると、処置室を後にした。
—end