FLEX106~青空の絵

仕事帰りに、珍しく待ち合わせして、二人で展覧会へ足を運んだ。
今日までだからどうしても見たいの、というリカの願いは、大祐にとってお安い御用だと思っている。

正直なところ、大祐には並んだ絵の価値や良さは分からなくて、リカがゆっくりと歩いていくのに合わせてその後ろをついて歩いているだけに近い。ただ、時々、きれいだな、とか、雰囲気がいいなと思って眺めるくらいだ。

柔らかいライトの中を壁沿いに沿って歩く。
あれだけ行きたいとねだったのに、当の本人は時々、ため息をつきながら、ゆっくり眺めていく。
帰り道、食事でもして帰ろうか、という大祐に生返事を返す。人通りの多い道を歩きながら、リカはどこか上の空に見えた。
気になって、わざとおどけて話しかけてみる。

「渋谷に来たの、久しぶりだよ。用がないとわざわざこないもんなぁ」
「……そうね」
「リカ?疲れちゃった?お腹すいた?」

リカの顔を覗き込んだ大祐にリカはゆっくりと首を振った。手をつないで、駅まで歩くのはなし崩しだが、手を繋いでいるだけでなくぴたりとリカが寄り添ってくる。その様子に外で食事をするよりも家に帰ることを選んだ。
大祐は人を避けて歩きながら。

「……今日のリカは元気ないね?」

一緒に歩いているのに、どこか気持ちは余所に行っている。それだけは伝わってくるのに、ひどく頼りなげな様子に不安になる。
人の流れに乗って、スクランブル交差点で信号が変わるのを待っていると、思いがけない言葉が耳に入った。

「キス、したいな」

いきなりそんな呟きが耳に入って、大祐は言葉の意味をきちんと理解するのに妙な時差ができた。

えっ、と驚いて隣を見るとしまった、という顔で俯いたリカがと慌てて横を向く。驚く大祐の視線を避けるように、視線を逸らして周りを落ち着かなげに見ていた。
今、なんて言ったの、と聞きたくて顔を覗き込んだら泣きそうな顔をしていて、ますます大祐は驚いてしまう。

「どうしたの、急に」
「なんでもない。何も言ってない。なんでもないからっ!」

必死に言い訳をするリカの頬に手を添えて大祐は、自分の方へと向かせた。

信号が変わるまでまだ時間がかかる。周囲にはカップルも、若者も、年配の人も、様々な人が同じように立ち止まって信号を待っている。
こんな人のいる場所でリカがそんなことを言うなんて想像さえしたことがない。それだけに、間抜けな程驚いた顔をしてしまったのは確かだ。

頬に触れた温かい手にみるみる盛り上がってきた涙が瞼を閉じた瞬間、零れ落ちた。

「……!」

手の上に零れた涙を感じたのと、ほぼ同時だったはずだ。
唇がふれたのは。

夜遊びなのか、賑わうイベント終わりなのか、こんな街の中で、思いがけない一瞬に動揺する。
大祐がきっちり胸の内で数えて離れると、リカが肩の辺りに額を押し付けた。

「……1日、ダメなことはかりで……。だから……」

小さな声がして、どうしていいかわからなくなったのだろう。周囲のちらちらという視線がいたかったが、今はぎゅっと抱きしめた。
自分自身でも驚いているが、なぜだか構うものかという気持ちの方が強い。

「リカ。無理に聞き出そうとは言わないけど、悲しいことがあったら言って?」

ふるふると首をふったリカは、ざわざわと信号が変わって動き出した周囲を感じ取って、赤くなった顔を上げる。

「ごめんなさい。行きましょ」

大祐の腕から離れて、歩き出そうとしたリカを繋いだ手が止めた。

「待って。本当に大丈夫?」
「いいの。ごめんなさい、変なこと言って」

目を合わせずに首を振ったリカに、引き戻した大祐は、もう一度強引にキスをする。

「……っ!恥ずかしいよ」
「構わないよ。見るなら見られても。俺にはリカの方が大事」

―― もちろん、リカのこんな顔他の人に見せたくないけど

道の脇で、柄にもなく抱きしめあって、キスをして。
いい大人が何をやってるんだろうと思うと、恥ずかしくなって、リカは、ゴメン、と口元をへの字にして詫びた。

「もう大丈夫。帰ろ?」
「……わかった」

手を繋いで、再び信号待ちの列に並び直す。ざわざわと周囲のざわめきを聞きながら、指を絡めた手がぎゅっと強く握られる。

「前、好きだったの。あの画を描く人。……でも、嫌いになって思い出したくなかったんだけど、今回を逃したらしばらくないだろうから見たかったの」
「そうか。やっぱり嫌いだったの?」
「ううん。好きだけど……嫌いになった理由思い出しちゃった。なんかセンチね。ちょっと疲れてるのに無理したからかな」

震災があって、大祐からの別れのメールで大祐が好きなブルーの空を描いていた絵が嫌いになった。
会えない日も自分の部屋にかけたその画は、見上げた真っ青な空を思い出して、まだ繋がっていると思わせてくれていたのに、だからこそ辛くて、嫌いになった。
画を見てしまうと、その気持ちを思い出してしまうからだ。

言葉少なに帰りの電車に乗った二人は、最寄駅についた後、ぽつり、ぽつりと話しながら歩く。

「疲れてたなら言ってくれればよかったのに。いつでもよかったんだよ?俺はね」
「うん。いいの。はぁ……」

ため息をついたリカが苦笑いを浮かべて大祐の顔を振り返った。

「白状しちゃおうかな。あの画の人、青空の絵がすごくきれいで人気なの。私も持ってたのよ。それを見てたら大祐さんと繋がってる気がしていられたから。でも……ね。だから嫌いになったんだけど、やっぱり見たらきれいで泣けてきちゃうものね」

ぎゅっと手を握りしめた大祐は、リカを引っ張って、大股にマンションへと向かう。
鍵を開けて玄関に入ったところで、ぎゅっとリカを抱きしめる。そのままキスして、後ろ手に鍵を閉めた。

キスしているのも今だから、悲しい気持ちを追いやる様に嵐のようなキスを繰り返す。

―― 忘れないで。俺はここにいるから
―― 刻み込んで。悲しい気持ちに溺れないように

二人の気持ちが交わって、鞄も服も、点々と二人の行動の先を示すように置き去られていった。

end

 

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pixivからの転載~。

投稿者 kogetsu

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