FLEX12*~病める時も健やかなる時も

朝からリカが普段行くという医者の所に一緒に行って、風邪と過労だと聞いた大祐の顔がひくっと引きつった。
ちらっとリカの視線が何度も向いたのは気が付いていたが、深いため息だけで、何も言わない。リカの具合を見ながら近くのスーパーに立ち寄って、今週末までのリカの食事を考えて買い物を済ませた。

「あの……」
「とにかく、もらった薬飲んで。着替えて、あったかくしてベッドに押し込みたいところだけど、寝てるのも辛いだろうからソファに横になること」

一言も反論の余地を残さずにそういうと、買ってきたものと共に大祐は台所に立った。片っ端から冷凍しておけるもの、日持ちのするものを考えて料理を作っていく。

カウンターの上も使って出来上がったものを冷ましている間に昼食の支度まで始めてしまう。
オクラをゆでて、とろろをすりおろすと、汁を先に作っておいてうどんを茹でる。茹であがったうどんを丼に入れると汁を入れてからオクラと、とろろをそれに乗せた。

二つの丼を運んで、一緒に冷えた水を用意する。

「来て。リカ」
「……はい。でも、あんまり食べられないかも」
「食べられるだけでいいから」

いつものローテーブルの定位置に座ると、リカが上目づかいに見上げてくる。
リカが何を言いたいのかもわかっていたが、今はあえて触れなかった。

「話は後にしよう。あったかいうちに食べて。俺も落ち着いて話したいし」
「……わかったけど、大祐さん。怒ってるでしょ」
「怒ってないよ。心配してるだけ」

リカは、それが一番堪えるのにと思いながら、うどんを口にする。自分が作るよりもはるかにおいしいうどんにますます落ち込みながら、リカは食べられるだけ頑張った。
せめての、反省をこめて完食するつもりで頑張ったが半分食べたあたりで、挫折してしまう。

「無理しなくてもいいよ。リカは、普段からあんまり食べないんだから」
「ごめん……」
「いいよ。もらっていい?」
「あ、駄目。風邪うつるってば」
「今更だよ」

そういうと、ずずっとすすり上げて見事に平らげていく。なければないで構わないと言い切るくせに、食べるときは本当にたくさん食べる大祐は、リカが残すだろうというのも見越して作っていたらしい。きれいに空になった丼を重ねて、食べ終えた大祐が後片付けをすませた。

食後のお茶を入れて戻ってきた大祐がリカの分の水をずいっと差し出すと、大人しく薬を飲んだリカが大きなショールにくるまってぺたりと座りなおす。それをみて、大祐も向かい合って座りなおした。

「あのね。リカ」
「はい」

すわ、叱られる、と身構えたリカに穏やかな声が聞こえた。

「約束してくれる?」

―― 来た。絶対怒られる……

そっと俯いたリカの頬に手を添えて、優しくすくいあげる。

「無理してもいい。無茶なこともたまにはいいよ。でも、疲れたり、具合が悪い時は俺を呼んでくれる?」
「えっ?」

てっきり、無理も、無茶もやめてくれと言われると思っていたリカは目を丸くして驚いた。

「……怒らないの?」
「どうして俺がリカを怒るの。それに、俺だって仕事してれば無理するときもあるよ。……まあ、無茶はしないけど。でも、俺もリカも、自分の仕事をしてるんだし、いざって時はお互い、傍にはいられない仕事をしてるんだから余計に約束して。疲れたり、具合が悪いときは、ちゃんと夫である僕にも甘えて頼ってください」

リカから手を離してお願いします、と大祐が頭を下げた。
大祐だけではなく、リカの仕事も、いざという時は動かなければならない。今は報道ではなくても、メディアという特殊な環境に身を置いている限りは必ずそういう時はあるだろう。女性だからと言って、それを避けて通る人でもないことも十分わかっている。
だからこそ、夫婦になって初めて大祐からリカに求めた約束だった。

にっこり笑う大祐の顔を見て、リカの目の奥が揺れる。

「でも……、大祐さんだって、仕事があるわけだし、いい大人が自分の事も出来ないなんておかしいじゃない。たかが風邪くらいで大祐さんに甘えてたら、私、ただでさえ自衛官の妻として家を守るってこと、何一つできてないのにもっと駄目になっちゃう」

真面目だからこそ、どこまでも頑ななリカの言葉にゆっくりと大祐は首を振った。

ゆっくりと伝える。

全神経をリカに向けているうちに自然とそうなっていく。
広報の仕事をするようになって、特に忙しい業界の人たちに、アポを取って話を聞いてもらうために自然に身についた癖。大事なところは、簡潔に結論を話してから、ゆっくりと説明すること。
もし相手が何か言いたいなら、最後まできっちり言わせておいて、反論せずに受け入れる事。

何もかも、後ろ向きで唯一の夢であり、誇りでもあったパイロットという仕事を初めは侮辱するようなことを口にしたリカから少しずつ教えてもらったことだ。

「リカは、そんなことで駄目になるような人じゃないよ。普段から自分に厳しいくらいだから、他の誰がしなくても、俺だけはリカを甘やかしていいんだ」
「……私は、大祐さんのこと支えてあげられてないのに?」

その言葉に本音がほの見えて、ぐりぐりとリカの頭を撫でた。

「あのね?俺達、夫婦になったんだよ?リカは、十分俺の事を支えてくれて、やりたい仕事もさせてくれてる。俺の我儘を聞いてくれて、淋しいときも我慢してくれてるし。会えた時は俺の我儘をたくさん聞いてくれてるし。そんなリカは俺の自慢の奥さんです。そんな奥さんを甘やかすこともできない俺の方が駄目な夫じゃない?」
「違っ……!大祐さんは」

ぴた。

目の前にぴっと大祐が人差し指を立てる。しーっと遮るとじっとリカの目を覗き込む。

「約束してくれる?」
「……本当にいいの?」
「もちろん」

たくさん、思うことはあるのにうまく言葉にできないことが、リカにとってよかったのかもしれない。夫婦という言葉が、リカを強く支えてくれる気がした。

「全部じゃなくていいんだよ。できることからやっていこう。俺だって、呼ばれてもすぐには動けない時だってあるかもしれないんだよ?だから、そんなに深く考えなくてもいいんだ」
「……大祐さん、私のこと、甘やかしすぎ」
「だからいいんだってば。俺はリカを甘やかしていいの」

とん、と大祐に寄り掛かったリカの重さを満足げに受け止める。
普通の夫婦なら一緒に暮らして、一緒の時間を過ごすところが、大祐とリカは初めから違っているのだから、いっそ二人だけの夫婦の形を作っていけばいい。

「それに、言ったでしょ?素直なリカって、普段以上にめちゃくちゃかわいいって。もう可愛すぎてどうしようかと思うくらいだよ。あっ、だからこういう時だけ特別可愛いのかな?!俺が暴走しないようにってことかな」
「ばっ!馬鹿なこと言わないで!」
「いや、でもそれでも我慢できない時があるかも!……やばいな、俺自信ない」
「大祐さん?!考えてること、全部口に出してるから!」

あぁっ?!と慌てふためいた大祐が真っ赤になってリカから離れた。うわぁ、と言いながら両手で顔を覆った大祐の耳が真っ赤になっている。

―― ……大祐さんって……、やっぱり『空井さん』だ

二人で初めて飲んだ時の大祐の様子を思い出す。同じ人なのだから当たり前なのだが、好きになったその人のままだと思うと嬉しくなる。

「ふ……、ふふっ。大祐さん、かわんない」
「えっ?何が?あっ、俺、別にそんないつもいつもそういう風に思ってるわけじゃなくて、いや!相手がリカだからそりゃ、仕方ないっていうか、ああ、もう!俺何言ってるんだろ」
「あははっ、もう、やだぁ」

すっかりツボに入ってしまったリカが笑うのを見て、ぱんぱんっと自分の顔を叩いた大祐は目尻に涙を浮かべて笑っているリカをひょいっと抱き上げるとベッドに運んだ。

「いいから少し寝てて。今週いっぱい分のリカのご飯、作っておくから。それと、元気になったら覚悟しておいてね。奥さん」

鎖骨の真ん中、くぼんだ少し下にキスマークを残して大祐がキッチンに戻っていく。
くすぐったくなるような優しい気持ちで、リカは聞こえてくる音に耳を傾けながら目を閉じた。

投稿者 kogetsu

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