新しい指輪を互いに身につけるようになって、いくらもたたない頃。お昼休みを狙ったのか、リカからLINEが飛んできた。
『大祐さん、もう絶対に跡つけちゃだめだからね!』
――……え?
いきなりどういう意味かとしばらく、悩んでからやっぱり思い当たることはひとつだけで。一度、考えなしにしてしまってから、散々リカに怒られて以来、気をつけているのになんでだろうと思う。
考えるだけ考えてからそれでもわからなくて、結局、返事はこうなる。
『わかったけど、どうしたの?俺、失敗してた?』
思い返しても記憶にないなあと思っているとすぐに返事が返ってきた。
『蚊に刺された跡を疑われて、違うって言ったの。そしたら、運悪く藤枝がいたから!突っ込まれて、空井くんのスケジュールがわかるって!』
その返事を見て、今頃、リカが顔を真っ赤にしてぷりぷりと怒っている姿が目に浮かぶ。
あの人は……と、思わず苦笑いしながら天を仰ぐ。相手が藤枝ならそれは言いそうだと思うのと同時に、それならそれで、今度は本人が気づかない場所につけてやろうかと思ってしまう。
わかったよ、と携帯の画面に小さく答えながらうっかり口元がニヤけた。
「でたよ、空井の嫁さんタイム!顔見てりゃわかんだよ!」
この変態!と昼休みでおのおの、自分の席やその周りにうろうろしていた隊員が、近くにあった書き損じの書類を丸めて投げつけてくる。
そんな呑気な昼下がり。
ふざけるだけふざけた後、見事な切り替えで仕事に戻る。しばらくして、外出していた山本が渉外室に戻ってきた。
「なんだ、空井。後ろに何か落ちてるぞ」
「あ、これさっきの……」
昼過ぎに幾つか投げつけられた書損じの1つを片付け損ねていたらしい。
立ち上がった大祐が椅子の後ろに落ちているものを拾った。
「室長、まーた、空井の奴、嫁さんタイムでニヤニヤしてたんすよ」
「なんだ、またか」
豪快に笑いながら自席についた山本が机の上の書類に手を伸ばす。
「今日も愛しの稲葉さんか。なんだっけ、リカぴょん?そーだ!リカぴょんな」
「ちょ!やめてくださいよ、室長まで!」
新婚の大祐がふにゃ〜っとした顔で惚気るものだから山本でさえ、リカの愛称を覚え始めた。
薄ら赤くなった空井が両手で皆を制するのかと思っているとそうではない。ぴしっと片手を挙げた空井が山本の目の前に立つ。
「室長、リカぴょん、が許されるのは自分だけです!他の人は鷺坂室長含め、稲ぴょん、でお願いします!」
真顔でそういった大祐にがくっと、見事なリアクションを見せた山本が奇怪なものでも見るような顔になる。
「あー……それは、アレか。いや、お前、そもそも稲葉さんは旧姓だろ?」
「仕事は旧姓のままなので、問題ありません!」
何の問題もない、と、ビシっと片手を上げた空井から視線を外した山本は、当然のようにひらっと片手を振って見せた。
「全員、襲撃よし!」
「えっ?!」
唐突な山本の言葉に、大祐が目を丸くする中、勢いよく紙やらペンやらが宙を飛んで来る。
中には直接飛びかかるものもいて、大祐もそれなりに応戦するものの、ヘッドロックどころか背後から羽交い締めにされてしまう。
「吐け!空井、お前、まさかあの時までリカぴょんって呼んでるんじゃねえだろうな」
「ばっ!まさかっ……!」
はっと反論しかけた空井が口をつぐむが時すでにである。
一斉に冷やかしの声が飛んだ。
「やっらしーなー、お前!」
「う、うるさいっ!絶対違いますからね!」
「ほー、じゃあ、リカぴょんなのか」
「……っ!」
ここで否定すればまた想像を掻き立て、肯定してもまずい。
ぐっ、と言葉に詰まった大祐の乱れた制服を見て、1人がばっと腹の辺りをめくり上げた。
大祐にとっては右の腰骨の辺りにその辺にあった赤いペンで不細工なウサギを描き始める。
「うわ!なにするっ、ちょ!それ、油性ペン!」
「ひっひっひ、これでお前、次の時このウサギと一緒だぜ」
「リカぴょんに爆笑されて相手にされねーかもな」
ドッと笑いが広がって、解放された大祐はあ~……と呟いた。まるでリカが描いたような不細工なウサギもどきが自分の腰骨の辺りでため息と共に、もぞっと動いた。
さすがに油性ペンでは落ちるのに時間がかかるだろう。明るい中で堂々とコトにおよぶわけではないが、それでもこれは馬鹿馬鹿しいほどに恥ずかしい。
「おちねーだろ、これ……」
「お前もそのくらい痛い目見りゃいーんだ!」
仲間の手荒い悪戯に苦虫を噛み潰した大祐は、ひどく情けない顔で制服を直した。
次に大祐が旅行届けを出した後、皆に結果を問い詰められたのはまた別の話。
—end