FLEX151~浅い眠り

まだ暗い部屋の中で目が覚めた。

なんだかおかしいと思ってから自分が泣いていることに気付く。
意地を張っているわけでもなく、強がっているわけでもない。別に堪えているわけでもないから、泣きたくなれば泣くだけなのに、起きている間はそんなことを思いもしない。

―― だったらいっそ、起きている間に泣けばいいのに……

夢の中では、一緒に空を見上げて笑っていたのに、次の瞬間に、知らない誰かに話しかけられて離れていく空井さんを目が追ってしまう。
密着取材をしていても、それは仕事だけの事で、プライベートなんて何一つ知らないくせに、親しくなれたつもりにいつの間にかなっていた自分が馬鹿だと思う。
親睦を深めるための飲み会も、休日の見学もどれもこれも仕事だからだったのに。

気づけば、合間にたくさん話をして、何もかも知っているような錯覚と、思い込みと、刷り込みと。

―― わかってくれてるなんてずうずうしかっただろうなぁ……

『わかってます。勢いでいったんですよね。煽られて』

わからないで、と言いながらわかっていてくれることがくすぐったいほど嬉しくなっていた。

『今、通ります』

父の見せてくれた光景を見せたいと言ってくれた。
本当には見せられなくてごめんなさい、と言いながら笑ってくれた。

「……私のことだって何も知らないのよね」

きっと、仕事相手だから気遣ってくれただけで、何一つ知らないだろう。
私のプライベートなんて。

ベッドの上に起き上がった頬を、新しい涙が零れ落ちた。

違う。

一瞬だけ、プライベートが交差して、心臓が止まりそうだった。

近いようでいて近くない。まさかね、を繰り返した距離が一気に近づいた気がしたのに。

手の平から零れ落ちてしまった欠片を今更嘆いても仕方がないのに、こんなに時間がたってから自分自身に忘れないでと言われてる気がした。

「……空井……さん」

元気でいますか。
笑っていますか。
誰かを想っていますか。

私を覚えていますか。

胸が締め付けられるような痛みに、目を閉じた。

目をあけて、薄暗い部屋の中で飛び起きる。

起き上がった部屋の中はしん、としていて真夜中なんだとますます不安になる。まだドキドキしている心臓に大丈夫、と言い聞かせて水道の水を口にした。

自分の香りだけだった部屋の中に違う人の香りが混ざっている。
怖い夢を見たという事だけは覚えているのに、夢の中身はどんどん思い出せなくなっていく。

「そっか。今日は帰れないって言ってたんだっけ」

一度、帰るよ、と連絡がきてからしばらくして携帯がなった。

「大祐さん?」
「リカ?ごめん」
「どうしたの?」

少し前にメールが届いていたのに、と電話に出たリカは申し訳なさそうな大祐の声にさっとPCを開いた。

「うん。ちょっと今夜は帰れなくなったんだ」
「あ、うん」

生返事をしながらお気に入りに追加してある災害情報を確認する。天気予報の専門サイトでは、災害の警報なども細かく配信されているからだ。

「もしかして災害派遣?」
「え、なんで?」
「や、なんか、警報たくさんでてるし……」

話しづらくて電話をかけてきたはずの大祐が、妙にうろたえていておかしくなる。くく、と笑うのも状況が状況だけに不謹慎だな、と思い直したリカは大丈夫ですよ、と言った。

「これでも、自衛官の奥さんになってそれなりになりますから。私も雨がすごいから早めに帰ってきたし、明日は状況によっては休んでもいいかなと思ってる」

丸くなってきたお腹に手をあてながらそういうと、あからさまにほっとした声音に代わる。

「そっか。それならいいんだ。うん。リカの言うとおりで、ちょっと帰れないから」
「わかった。私のことは気にしないで。ちゃんとおとなしくしてるから」

心配しないで、と言って慌しく電話を切った後、携帯に向かってにこっと笑って見せる。シャッター音と共に笑顔を写した。もう見ないかもしれないと思いながらも携帯に送った。

男性は特にそうなのかもしれないが、仕事にかかるとすっぱりと意識を切り離してしまう。
リカならば、頭の片隅には必ず大祐がいるが、大祐は完全に頭の中からは追い出してしまうらしい。

時には寂しく思うこともあるが、そのくらいでなければ勤まらない仕事だと言うこともわかっている。

ぼんやりしていると、冷蔵庫やテレビの微かな駆動音が響いていた。
どこかで点滅している明かりに気づいて携帯に近づく。

『寝てるよね。起こさないようにそっと帰るね』

時間を見ると十分ほど前である。
明かりはつけないままで、タオルケットを引っ張ってきてソファに横になった。

きっと帰ってきたらすぐにシャワーを浴びて、そうっと着替えてから水を飲んで。部屋の中を見回すだろう。

じっとしたまま大祐の帰りを待つ。

どのくらいたったのか、そうっと鍵を回したのだろう。かちっと音がした後、しばらく間があって、玄関が開いた音がする。

足音もおさえているのだろう。ひた、ひた、と言う音がして、そのまま洗面所に向かった気配についつい口元に笑いが浮かぶ。

―― 大祐さん、予想通り……

シャワーの音がした後、着ていたスーツを掴んでハンガーにかけたらしい。消臭剤の音がした後、冷蔵庫が開く。
勢いに任せてごくごくと飲む音を聞きながら、リカは暗い中で目を開けた。

近づいてくる気配にそっと起き上がる。

「うわわぁっ」

オーバーなくらい驚いた大祐がペットボトルを床に落としたらしく、慌てて拾い上げて、肩に乗せていたタオルで床を拭う。くすくすと笑いだしたリカは、クッションを背にして少しだけ体を起こした。

「そこまで驚かなくても」
「びっ……くりしたー……!何してるの。そんなところで」
「や、なんか、目が覚めて……。違うな。すごく変な夢を見て、起きたのね。それからボーっとしてたら大祐さんからメールが入ってて、もうすぐ帰ってくるのかーって思いながら、何となく帰ってくるところ想像してたの。きっと帰ってきたらそーっと入ってきて、シャワーだろうなーとか……、静かにお水飲んでぼーっとしてから様子見に来るんじゃないかなーとか」
「う……」

何でわかるの、という顔で大祐はソファの下に胡坐をかいて座り込む。

「それで?リカは怖い夢でもみたの?」
「……忘れちゃった」

ぺろりと舌を出して見せたリカに仕方ないなぁ、という顔で苦笑いを浮かべる。時計はもう朝方に近い。
今からではいくらも眠れないかもしれないと思いながらも、朝は変わらずに出なければならない大祐は手を差し出した。

「無理して寝なくてもいいけど、よければ一緒にむこうで横になろう」
「うん」
「体冷えてない?」

部屋の温度は寒すぎないはずなのに、心配してくる大祐の手をぎゅっと握る。

差し出した手が空を切っていた夢はもうどこかに沈んでしまった。
一緒にベッドに移動して、向かい合って横になる。

「ママが寝不足だとこの子も寝不足にならない?」
「ならない。私が起きていても寝てる時の方が多いものでしょ?」
「そうなの?」

うん、と頷いたリカが大祐の手を腹部に持っていく。ぽこっとしたあたりに手を添わせると、すぐに引っ込む。

「この子ねぇ。私が会議のときとかに起きてるとすごーく暴れるの。たぶん、この辺が足なんだけどすごく蹴ってくるの」
「そうなの?」
「うん。こうしてちょっと押したら押し返されるくらい。それがね。大抵、私がちょっと……、その……」

気分が伝わるなんて認めたくはないが、面白くない展開になっている時は必ず暴れている気がする。
歯切れが悪くなったリカに気付いた大祐がわかった、と声を上げる。

「ガツガツ?」
「今は!……ちょっとしかガツガツは出してません!」
「リカさぁん……」

ごつん、と額をぶつけられて、腰に回された手で引き寄せられる。

「もうすぐ休みに入るんだしね?」
「まだ先だもの!」
「それにしたって……」
「違っ……、そうじゃなくて!だから、その……。ああもう何言うか忘れちゃった」

お腹に手を当てたままぴたりとくっついていると、鼓動がシンクロしてくる気がする。

「リカはリカらしいのが一番だけどさ。ほどほどにしてよ?」

入間に移動してから、大祐の勤務は以前ほど日勤だけではないことが増えた。
傍にいられるだけましだといえばましなのだろうが、最近の大祐は心配性な気がする。

―― ああ。でも、それが心地良いのもあるのかも……

独りだけじゃないとわかってはいても、こんな風に思うことは少ないからだ。
ふと、リカは覚えてはいない夢のことを思い出す。ただひどく悲しかった後味だけが胸の奥に残っている。

今はもう、大丈夫だと自分に言い聞かせるためにあんな夢を見たのかもしれない。

それでも時々、思い出すのかもしれない。

今、幸せだと知るために。

「あと……少しだけでも寝よう。リアルな夢を見るかもしれないけど、一緒にいるから」
「……うん」

目を閉じて、触れる肌をただ感じて、静かに呼吸を重ねる。

「大祐さん……」
「うん」

夜が明けるまで、あと少し。

 

—end

投稿者 kogetsu

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