「……っ、え?」
思わず息を飲んで振り返ったリカは、そこにジャケットを着てまさに移動してきたばかりという風情の大祐に目を丸くした。
「やっぱり。今日、アポだった?」
「あ、うん。どうして?」
リカの肩越しにエレベータの上を押した大祐は、額に浮かんだ汗を手の甲で拭ってリカに顔をしかめられる。
ポケットから取り出した真っ白なハンカチで改めて汗を拭った。
「暑いね」
「ん、そりゃジャケット着てれば……」
「イベントの件でちょっとあってね。予定外だけど、来たほうが早いから来たんだ」
ぽーん、という音と共にエレベータが開いて二人揃って乗り込んだ。
扉が閉まった瞬間、よほど暑いのか、ネクタイとシャツの間に人差し指を差し込んで、きゅっと緩めた襟元に思わず目が釘付けになる。
「ん?」
「ううんっ!なんでもない」
「先週、帰れなくてごめん」
出掛けに見ていた本のせいか、話よりも大祐の姿や動きの方に目が行ってしまう。
「聞いてる?」
隣に立っていたはずの大祐がぐっと近づいて顔を覗きこんでくる。
「うわっ!近っ」
「え、おっそ。何?今日、変だけど?」
ふるふると首を振ったリカはどぎまぎと視線を逸らした。
しばらくじっと見られている視線を感じて、視線を避けているのがありありとしているのを見て、少しだけ意地の悪い笑みを浮かべる。
大祐はわざとリカの耳元に近づいて囁く。
「どうかしましたか?稲葉さん」
びくっと驚いたリカの顔が赤くなるのを見て、声を上げて笑い出した。
「あははっ。本当にどうしたの?」
「な、なんでもないからっ」
「変だなぁ。今日の稲葉さんは」
エレベータの回数表示が変わって、ドアが開く寸前、大祐はリカの左手をぎゅっと握った。
大祐と同じ指輪をくるっと回して手を離す。
「その顔でいけるの?」
「……っ!誰がっ!」
誰のせいだといいそうになったリカを先にエレベータから降ろして、ドアストッパーから手を離した大祐が降りる。
頬を染めたリカにふっと笑った。
「僕が先に行きますから、少ししてから来たらいいですよ」
そういって先を歩いていく背中はあの頃と変わらずに、まっすぐ伸びていた。
「……ばか」
ぽつりと呟いたリカは、バッグから化粧ポーチを取り出して自分の顔を見る。
ほんのり赤い気がしたものの、そのくらいは誤魔化せる、とふんだリカは改めてバッグを握り締めて歩き出した。