テレビ局の仕事納めなどあってないようなものだが、一応は世間と同じ28日に昼を過ぎてからフロア内の大掃除が始まり、部長室代わりのパーティションの向こうになった阿久津も動き回っている。
「稲葉さ~ん。これ、しまっちゃいますよー」
「え、え、ちょっと待って~!」
ADの声に慌てて走ったリカは段ボールからいくつかディスクを引っ張りだした後、残りを預けてから自分の席に戻って再びキャビネの中を引っ張り出す。
たまりにたまった企画書は、ぱらぱらとみて、破棄するものともう少し残すものとを分けていく。
「やだもう!終わんない!」
離れた場所から聞こえる珠輝の悲鳴にくすっと笑いながら、ばさっと捨てる書類を床の上に放り出した。
大祐とは一時期一緒に暮らせていたが、今はまた離れて暮らしている。年末は戻ってくる気があるらしいが、それもいつだったか。
今年はカレンダーで行くと、世間の人にとっては長く休みが取れるのだろうが、リカたち情報局では年明けから生番組と続いていて、リカも二日には一度仕事に出なければならない。
その年によって担当が変わるのだから仕方がないが、今年のリカは自分の部屋の大掃除もままならない状態である。
「稲葉さん!急がないと機密書類ボックス一杯ですよ」
「嘘っ」
通りかかった誰かの声を聴いて、リカは待ってとつぶやきながらとりあえず床の上に放り出した廃棄書類をかき集めようとして、膝をついた。
くらりとめまいがして、頭を押さえたリカは大きく息を吸い込む。朝から頭痛がしていたが、先ほどから走り回っているうえに急に動いたからだろう、と自分で決めつけて書類を抱え上げた。
廊下に出ると、確かにそれぞれの廃棄ボックスは既にいっぱいになっていて、次の回収を待っている状態ではあったが、次々を運ばれてくる廃棄物はその周囲に積まれていく。リカも、傍に置かれた臨時の回収段ボールに押し込んで、急ぎ足で自分のデスクに戻る。
年末年始らしいバタバタに追われているのもいつも通りと思えば、それも大変だという感覚にならないものだ。リカは、少しずつひどくなってきた痛みに顔をしかめながらなんとか机の周りを片づる。
その合間に、納会のための買い出し指示をADたちに出し始めた。
ミーティング用の大きなテーブルを窓際に寄せて、ペーパーカップや箸を並べ始める。
皆で買い物して持ち寄ったオードブルや飲み物を並べて、フロアごとにささやかなだが一年を締める大事な場だ。缶ビールやノンアルコールを思い思いに手をして、準備ができたところで、輪の中にいた阿久津に声をかける。
「じゃ、阿久津さん。お願いします!」
「あ、あー。じゃあ、皆。今年も一年、お疲れさん!乾杯」
阿久津の掛け声で一斉に手にした飲み物を周囲の人たちと乾杯して歩く。
色々あってもこうして一年の区切りをつけられるのはいいことだ。日本人らしいことも時にはいいのかなと思える瞬間でもある。
「珠輝、今年もありがとうね」
「稲葉さん、こちらこそです。ていうか、来年はもっと役に立ちますからね!」
「期待してる!」
そういいながらフロアの中を歩きまわるリカは、頭痛のせいか、いつも以上に回りが早いなと思いながら、疲れてすぐに座り込んでしまった。
「稲葉」
「あ!阿久津さん、今年もお世話になりました」
「それはお互い様だけど……。お前、顔真っ赤じゃないか?大丈夫か?」
そういわれて、自分の顔に手を当てたリカは、確かにビールを持っていた手で頬に触れてその熱さに驚く。
「いわれてみれば……。ずっと頭が痛くて……」
「お前、もう医者終わるぞ。ちょっとすぐ今から行ってこい。まだ間に合うだろ」
局の近くでよくお世話になる病院も今日が最後のはず、と言われれば確かにと思う。この年末で体調不良はさすがにまずいと思ったリカは、ビールの缶をおいて、病院に向かった。
だが、リカは結局そのまま家に帰る羽目になる。
なぜなら、病院で測った体温は三十八度を超えていたからだ。
結局、一人暮らしに戻ったとはいえ、結婚後に少し広い部屋に引っ越したリカは、タクシーで家に向かうと、とぼとぼマンションの入り口をくぐった。
大祐の戻りも二転三転していたから正月の支度は休みに入ってからと思っていただけに、部屋の中はいつものままで冷蔵庫も空っぽのままだ。
「……なんでこんな日にインフルなの~……」
鍵を回して、割れそうな頭痛を抱えてドアを開けて、ずるずると部屋に入るとそのままベッドに倒れ込む。着替えなければとか、化粧をせめて落とそうとか、頭の片隅では考えていたが、そこからぷっつりとリカの意識は途切れた。
―― 寒い……
ふっと、頭に浮かんだことでうつらうつらしながらも熱がまたあがるのかと思う。そして、なぜか体にかかってる布団を引き寄せた。
病院で測ったときはすでに三十八度半ばを指していたから今頃はもっと上がっているかもしれないと思いながら、再び眠りの中に戻る。
いつもよりも早い時間に上がったのに、大祐には何の連絡もしていなかった。だから、眠りに落ちたリカは気づいていないがため息をついてその様子を大祐が見ていた。
リカと同じように早めの納会の後、リカに連絡したが読まれた後もないまま、ひとまず部屋に戻ってきて手にしていたカバンを思わず床に落としてしまった。
「えっ?リカ?」
ベッドに倒れ込んでいるリカは吐く息も熱く、すぐに熱があるのはわかった。呼びかけにも答えないくらい眠り込んでいるリカをとにかく布団の中に入れて、キッチンに向かう。アイスノンを手にしてタオルでくるむと頭の後ろに手を差し入れて、枕と交換する。
倒れていたリカのバッグから持ち帰った薬と明細を見た大祐は一気に状況を理解して、来ていたジャケットを脱いだ。
「さてと」
スーツから部屋着代わりのスェットに着替えた大祐は、静かに部屋の中を歩いて回る。スーツを片付けた後、ゆっくり見て回った大祐は玄関に飾ってあるツリーを部屋に持って行ってリースのしまってあるクローゼットを開けた。かろうじてリースだけはしまっていたらしいが、その中にそっとしまいながらクローゼットの中でリカがとりあえずしまっていた服をきちんとかけなおした。
「……と、いうことは」
こんな風にクリスマスの片づけができていない上に服もおざなりというのもリカが忙しかったのだろうと推測が付く。
結婚して自分もリカも一般の休みや繁忙期とはずれがあることもだいぶわかってきた。だからこの様子なら大掃除も休みに入ってからやろうと思っていたはず。
リカの様子を見るとまだまだ起きる様子もない。
財布と携帯を手にした大祐はダウンを羽織って家を出た。
前のリカの家とは違って、今の家は少し歩けばホームセンターとスーパーが一緒に入っているビルがある。一通り家の中をチェックしたので、洗剤やらリカがやりたかったはずの掃除道具のほかに、お正月飾りと、スポーツドリンクを買い込んで家に戻った。
一本は常温のまま、もう一本は冷蔵庫にスポーツドリンクをいれておいて、玄関周りから大祐は掃除を始める。
棚の誇りを払って、下駄箱の消臭剤を取り換えて、トイレの掃除だ。もともと家にいる時間が少ない二人の部屋なので、目立つ汚れというのは少ないが、それでもと掃除を済ませてマットやカバーを外して取り換えていく。
バスルームの掃除を終えて、キッチンマットも取り換えてから先に一度洗濯機を回す。
さすがに掃除機はかけられないので、静かに床を拭いてからキッチン周りの掃除に手を付けた。
レンジフードやガスレンジ回りを終わらせて時計を見るとさすがに十一時近い。
お湯を沸かしておいて、リカの様子を見るとさすがにそろそろ目を覚ましそうだ。常温のスポーツドリンクを手にしてベッドに近づいた。
「……リカさん」
「……??」
「喉乾いたでしょ。起きられる?」
「なん……」
がさがさの声で話そうとしたリカを抱き起してとにかくスポーツドリンクを飲ませる。一気に半分くらいまで飲んだあと、ようやくリカが大祐の顔をまじまじと見た。
「……なんで?」
「ていうか、今自分わかってる?」
「……多分?インフル……。あっ、離れて!移っちゃう」
苦笑いを浮かべた大祐はリカの頭をぽんぽんと叩いた。
「ごめん。鞄倒れてさ。中に入って他のみたからわかってる。で、忙しかったみたいだし、休めってことだよ」
「あー……。そうだ。やば……」
「とにかく!連絡もなんも明日だよ。今日は寝ること」
「……はい」
ばふっと布団に戻ったリカのベッドサイドにペットボトルを置くと、再びキッチンに戻る。
「リカさーん。あとね、悪い癖また出てるよ。忙しいと食べるのおろそかにするでしょ。冷蔵庫空っぽだったー」
キッチンから叫んでもリカには聞こえているはずだ。きっとぶつぶつと言い訳を繰り返しているんだろうなと思いながら、くすっと笑ってカフェボウルに少しのご飯とお茶漬けの元を入れて湯を注ぐ。
二人ともで決めたのはリビングは床に座れるようにしようということで、ローテーブルにそれを運ぶ。
「リカさーん、食べられそうだったらこっちきて食べて薬飲んで」
「……大祐さん、厳しい」
むすーっと拗ねた顔でベッドから起きだしたリカにパジャマを差し出す。
「それ、着替えてからね」
「あぁ~……。そのままだったー……」
「ていう姿見たら厳しくします。さ、さっさとやる!」
珍しくビシッと大祐に言われたリカのほうも、久しぶりに会ったのに、とぶつぶつこぼしながら着替えを済ませて腰を下ろす。
「はい。食べて」
「……はい」
じろっとにらまれるとさすがに素直になるしかない。
その間に、キッチンでせわしなく動いている大祐は、買い込んできた食材で何かを作っているらしいが、リカからはよくわからないまま、素直に出されたものを食べて薬を飲むとう再びベッドへと戻る。、
「あ。アイスノンだった」
「リーカさん。早く寝る」
「う……、携帯くらい……」
「怒るよ」
今回はさすがに不可抗力だといいたいところだが、このタイミングでインフルエンザにかかるというのも狙ってできるものではない。医者では前日先延ばしにしっぱなしにしていた健康診断に行ってきた場所でもらったのだろうといわれてきた。
しおしおとベッドにもぐりこんだリカを見て、満足げな大祐は再びキッチンに戻っていく。
出汁をとった鍋はそのまま火を止めて、自分も台所で立ったままお茶漬けをかき込んだ大祐は、一通り片づけてからローテーブルにノートパソコンをおく。二人で一緒に使っている住所録ソフトを立ち上げて、年始の出と入りをチェックしながら今年新しく年賀状を送る相手を足していく。
結局、熱が早々にさがったものの、大祐にベッドから出ていいといわれるまでに二日かかり、大みそかも何とか拝み倒してソファで丸くなって過ごす。
「大祐さん。初詣……」
「一月中ならいつでもいいらしいから」
「でも一緒に」
「はい。三が日は却下。年末年始は寒波で寒いってニュース聞いてないの?」
すっぱり言い切られたリカは、むぅ、と黙り込んだが、大祐のほうもむっとしている。
その頬を伸ばした指先でつつくと、ぱくっとその指にかみつかれる。
「あのね。しょうがないとはいえ、俺も面白くない。リカに少しもくっつけない」
「……は?」
「でも、家から全然でないで一緒にいられるのもすごくもったいないし!だから!もう、ほっといて」
―― 大祐さん。それは、どーいうことですか……
年末らしい特番をザッピングしている大祐の頬を再びつん、とつつく。振り返った大祐に、リカは笑い出した。
「今年もお世話になりました」
「……来年もよろしく」
「こちらこそ」
……本年もよろしくお願いいたします。
—end