ポケットの中で振動した携帯に出たリカの名前にとりあえず出るだけは出る。日中に連絡が来ることも少なくないが、その日は少しだけ様子が違った。
「空井さん、ごめんなさい。仕事中に。今、少しだけいいですか?」
「もしもし?うん、少し待って」
通話ボタンを押して電話に出た瞬間、少し早口で抑えたリカの声が聞こえた。
リカの名前を出さなかったのは、周囲の皆に電話の相手を悟られないためだ。そそくさと、大祐は席を立って廊下の端まで移動すると、もう一度耳に携帯をあてる。
「お待たせ。リカ、どうしたの?」
電話にでた瞬間、空井さん、と呼んだリカに、仕事中でしかも誰か側にいるとあたりをつけた大祐は、手短な問いかけを口にした。
「ごめんなさい。今度の週末、カレンダーだと連休なんだけど、それどおりに休みがとれそうだったから、大祐さんの仕事の様子が聞きたくて……」
「ああ。そういうことか。うん、俺も休みになりそうだから、そっちにいこうかなって思ってた。いいかな?」
「ほんとに?」
声のボリュームを落としていたリカの声が最後だけ少し、跳ね上がった。
すぐその後に、何か電話の向こうで声が聞こえて、慌てている気配がするところをみると、うっかりあげた声にからかわれたらしい。
言い訳をするリカの声が聞こえて、すぐ、ヒールの音が続いた。
「ああ、もう!ゴメンなさい!会議の途中だったんだけど、確認しろって言われて……。じゃなくて、週末こっちにきてくれるなら……、のまえに、東京でいいの?私が行ってもいいんだけど」
「もちろん、かまわないですよ。こっちじゃ家の傍なんて何もありませんけど、そっちなら多少遅い時間についてもなんでもあるじゃないですか」
「そんなものですか?……とにかく、じゃあ、週末は連休ですね。私もあわせるようにお休み確保しますね。ごめんなさい。仕事中に」
よほど慌てていたのか、リカにしては珍しく、話が何度も前後していたが、とりあえず聞きたいことは済んだらしい。
口調が、懐かしい仕事モードだったのでついついつられた言い方になって苦笑いを浮かべた大祐は、じゃあ、と言って切る間際にまた夜に、と付け加えるのだけは忘れなかった。
席に戻ると、皆の生暖かい視線がじっと大祐に向かってくる。
「な、なんですか?」
そこで黙っていればいいものをついつい、反応してしまうからまたもや、渉外室の中は仕事にならなくなる。
「いいよなぁ~!新婚は」
「初めてのクリスマスだろ?イブだろうが、イブイブだろうが関係ないよなぁ」
「はぁっ?!いや、何言ってるんですか。それは今関係ないじゃないですか~」
途端にあちこちから飛んできた攻撃に、いやいや、と手を振るが、皆わかっている。
着信をみた瞬間の大祐の顔でもう電話の相手が誰なのか、確かめるまでもない。
「愛しのりかぴょんからの電話だろ?」
「空井、お前、リカぴょんへのクリスマスプレゼント何にしたんだ?」
「あ、まだ買ってないんです。連休だし、向こうに行ってから本人に聞いて一緒に買いに行こうかと」
へらっと笑った大祐に山本が顔を上げた。
「なんだ。お前、事前に用意したりしないのか?ほら、サプライズとか言うだろ」
「うーん。自分らって、決めても急に予定が変わったりするじゃないですか。期待させておいてっていうのも嫌ですし、東京とこっちでどちらで買えるのかとか色々あると思うんで、その時でいいかなと思ってます」
「そりゃまあそうだろうが……。稲葉……、と奥さんは違うんじゃないのか?女性は色々準備したりするのが好きだろうし」
僅かに責めるような口調になった山本に、頭をかいた大祐は曖昧に笑ってモニターに視線を戻す。
他の人に何と言われようと、自分達は、遠距離な上に、土日が確実に休みになることがない仕事なので仕方がないと割り切ることに慣れてしまっている。
そもそも、大祐自身が約束というものにあまり重きを置いていないこともあった。いつか飲みに行きましょう、や、今度出かけましょうね、程度の事は約束には入らないし、リカとの間で決めた事と言えば、結婚式までの間の予定くらいがせいぜいで、あとは隠し事をしない、くらいである。
だから、その週末の予定もよほどのことがなければ週の半ばくらいに互いに状況を連絡し合って決めるだけで、今月はいつ、などというこもない。
それについてリカにも何かを言われたことなどないために、何とも思っていなかった。
―― サプライズっていってもなぁ……
だからといって、世間の状況や、季節に疎いわけではない。
一応、大祐もクリスマスだということくらいはわかっていて、何かプレゼントしたいとは思っている。リカには、結婚指輪だけと言われて婚約指輪はおそろいの時計にかわったから、何かアクセサリーがいいだろうか、くらいは考えていたが、せいぜいそんなところだ。
―― その時の気分にもよるし、いいものを見つけられるかどうかも分からないのにサプライズも何も……
都会に住んでいて、おしゃれなカップルならそれこそ、都内の有名レストランでディナーなり、ホテルを予約するなりしているのだろうが、大祐もリカもその時まで確実に行けるとは言い切れない身の上ではどうしようもない。
それよりは、週末の連休にリカに逢えるということで、今日の午後は仕事がはかどりそうだと思った。
その頃、会議中なのにわざわざ大祐に連絡を取る羽目になったリカの方は、他のスタッフ達と年末までのスケジュールを組んでいる最中だった。
「じゃあ、稲葉さんはカレンダー通りのお休みですね。あとは私達若手と阿久津さんで何とかしますから」
「こら、俺は頭数に入れるな。ていうか、俺がそもそも出てこなきゃならんようなことにするな」
「いいじゃないですか。ここはお互い様。受験生のいる親なんて家にいても邪魔にされるだけですよ?」
珠輝と阿久津の漫才のような掛け合いの間に挟まれたリカは、曖昧な顔で二人のやり取りに任せている。
今週末の連休もクリスマスも、どの番組も巷のにぎわいを押さえようと中継が入るのだ。いつもと違うシフトにも多くなるため、先を見越しての調整である。もちろん、リカも仕事は仕事として出るつもりがあったのだが、そんなこんなで真っ先に外されてしまった。
「私も出られますから」
互いに仕事を優先することが当たり前になっているからそこはあまり気にしないで欲しいと主張したのだが、周りの方が許さなかった。
「稲葉は、ひとまずバックアップに回れ。回せる者達で回しながらどうしようもない時に動けるように待機扱いでいいだろ」
「本当に、気にしないでいただいて」
「いいからそうしておけ。お互い様だし、誰でも一緒だ」
ぴしゃりと言い切られれば、それ以上リカ一人のために会議の流れを止めるべきではない。
はあ、と頷いて大人しく引き下がったリカは、複雑な心境だった。会議が終わって、席に戻ってからも、何となく浮かない顔をしていたリカの傍に座った珠輝がきっぱりと言い切る。
「稲葉さん。時には割り切りも必要ですよ」
「珠輝……」
「稲葉さんはいつも頑張りすぎなんです。休めるときは周りもうまく使って休んじゃってください。どうしても稲葉さんじゃないとって時に登場してくれればいいんです」
がつがつすぎです!と珠輝に叱られたリカは、しょんぼりと項垂れてしまった。
全部を望むなんて無理だということくらいわかっているのだが、どうしても今までできたことが、周りの気遣いで取り上げられるように思えて息苦しく感じてしまう。
関わっている仕事から外されるということは、2つの場合がある。ステップアップした場合とそうでない場合があって、リカには特に苦い思い出があるのだ。
―― 休みがもらえて、大祐さんと一緒に過ごせるってことは嬉しいんだけど……
スケジュールが合わない事以外の、プライベートな理由で仕事から外されるということにひどく抵抗感がある。今まではクリスマスと言っても仕事が普段より忙しいのが例年だったので、仕事でない方が本当は落ち着かなかった。
―― とりあえず、帰ったら大祐さんと話そう……
もやもやとした気持ちのまま、リカは残りの仕事を片付けることにした。