金曜日の夜に向かってシンプルでセンスのいいリカの部屋は少しだけいつもと違っていた。
冷蔵庫の中は、食材で満たされていて、小さなLEDのランプはスノードームである。
木曜の夜に部屋の掃除を済ませて時計を見たリカは、まずい、と少し慌てた。いつも大祐に電話をする時間よりもはるかに遅い。
「いっけない」
大祐に連絡をしていなかった、と思ったところに携帯の振動音が聞こえた。
慌てて携帯を掴んだリカは、相手も確かめずに電話に出る。
「もしもし」
「もしもし。リカ?」
「大祐さん、ごめんなさい、遅くなって!」
息を切らせたリカに穏やかな声が聞こえる。
「大丈夫だよ。お疲れ様。残業だった?」
「ううん。違うの。ちょっと片付けしてたら夢中になっちゃって……」
「なんだ。そっか、よかった」
急な仕事で忙しくなったのかと思った大祐は、リカの申し訳なさそうな声にわざと明るい声を上げた。
「ごめんなさい、心配かけて……」
「ううん。いいよ。大丈夫。俺の方は、週末休めそうだけどリカのほうは大丈夫?」
「ん。今のところ大丈夫。明日楽しみにしてるね」
もう遅い時間だからとそれだけの会話で電話を切ろうとした大祐に、リカが待って、と引き留めた。
「大祐さん。クリスマスでも、クリスマスじゃなくても、大祐さんに会えるのはすごく嬉しい」
「……っ」
携帯を握りしめて口を開きかけた大祐は、口元が歪むのを堪え切れずに空いた片方の手で口元を押さえた。
―― やっぱり、ぼくらはエレメントだから考えることも同じなのかな
「……うん。俺も楽しみだけど、でも、少しだけクリスマスでにぎわってるときに、リカと一緒にいられるならいつもよりももう少しだけ嬉しいかな」
「ばか……」
「うん。馬鹿だよ。リカに関してだけは馬鹿になるんだ」
うん、繋がった電話の両方で頷く声がする。
じゃあ、と言って電話を切ると、大祐は窓に近づいて少しだけカーテンを開けた。隙間を開けただけでひやっとした空気が流れ込んでくる。
こんな寒い夜に一緒にいたい相手がいるだけで、自分は幸せだと思う。幸せを願うだけではなくて、その相手に愛おしいと想いを伝えられるのは……。
「……お休み。リカ」
雲一つない夜空に月が光っていた。
金曜の午後、自分の仕事を前倒して片付けたリカは阿久津の目の前に立った。
「阿久津さん」
「なんだ」
「私、今日の仕事はもう全部片付けたので、明日からカレンダー通りお休みをいただきます」
先日の会議で決まったことをわざわざ繰り返したリカに、阿久津は手元から顔を上げる。
眼鏡越しに見上げると、まだ何か言いたげな顔に何が言いたい、と視線を向けた。フロアのスタッフも何事かとちらちら視線を送ってくる。
「カレンダー通りですから24日も25日も普通に働きますので」
「お前」
「年末年始もカレンダー通りにお休みはいただきますけど、何かあれば連絡をください」
24日と25日は、リカは早上がりしていいと言われていたが、定時まではきちんと働く。おそらく一番世間がにぎわっている日だからこそ、いつも通りに。
きっぱりとそう宣言したリカに、阿久津はじっと見上げていたが、頬の肉がぴくっとひきつった後、再び手元の書類に視線を戻した。
「……当たり前だ。馬鹿者」
「阿久津さん!」
駆け寄ってきた珠輝に向かって、阿久津は顔も上げずもう一度当たり前だ、と繰り返す。
「家族持ちは仕方がないだろうが、お前らにもプライベートはあるだろう。いつかは同じ立場になるんだ。そうやって受け継いでいくもんだ」
「でも……」
稲葉さんは、遠距離なのに。
そう言いかけた珠輝をリカが振り返った。
口元を引いてゆっくりと首を横に振る。
「珠輝だって、私と何も変わらないよ?みんな同じだから」
「稲葉さん……」
「何よ」
むぅ、と不満そうな顔をした珠輝に向かって、どうよ?と言う顔を向けたリカをじーっと見つめ返す。
「稲葉さん」
「だから、何」
「バレンタインデーとホワイトデーは独身に譲っていただきますから!」
にやっと笑った珠輝に、まるで昨夜の電話の時の大祐のように、口を開けて止まったリカがぷっと吹き出した。
「わかった。じゃあ、阿久津さんと一緒にその時は現場レポートでもなんでもやるからね」
「おい、俺まで巻き込むな!うちの娘が受験だって言っただろうが!中学は親も一緒に受験するようなもんなんだぞ……」
「いいじゃないですか。リアル体験として特集組みましょうよ」
どっとフロア中に笑いが起こる。
壁に掛けられたテレビの画面が切り替わって、定刻通りに番組が始まった。
「あ、時間。じゃあ、私は上がりまーす。お先に失礼します!」
足取りも軽やかに笑顔を振りまいたリカが、鞄とコートを手にするとフロアを後にした。今からなら急いで家に帰って、少しだけ気合いの入った夕食の用意ができる。
エレベータホールでポーンと開いたエレベータから降りてきた藤枝とすれ違う。
「おっ。お前、早すぎだろ」
「ちゃんと仕事は終わらせたわよ。藤枝!」
「あ?」
入れ替わりに下に降りるエレベータに乗り込んだリカから声だけが飛んできた。
「メリークリスマス!」