あまり膝がよくないので、少し柔らかいのが……と、何やら頼んでいるのを聞いていたが、リカは何も言わない。
出る前にテーピングをした上にサポーターを付けているのも見ていた。
―― 本当に駄目なときはちゃんと言ってくれる
そう思っているから、何も言う必要はない。それに、本当に駄目なときは自分ではなく、おそらく心配してついてきてくれた仲間たちが自分よりも先に大祐を止めるはずだ。
板とストックを借りた大祐が立ち上がると、リカに向かって歩ける?と少し悪戯っぽい顔で言った。
「さすがにそのくらいはできます」
そう言って、板とストックを持つとレンタルハウスを出た。
表で待っていた仲間たちはすでにゴーグルをつけて板も履いている。二人を待っている間にリフト券を買って来たらしい。
「空井。どうする?」
「俺はリカと一緒に下のあたりで滑ってるから気にしないで行って来いよ」
「リカぴ……さん、全然滑れないわけじゃないんじゃないの?駄目?」
大祐の傍にいたリカは急に話しかけられて視線を彷徨わせる。大学の頃もほとんど滑れた記憶などない。
「いいから気にしないで行って来いよ。上がれそうだったら後から行くから」
大祐にそう言われて江口たちは、オッケーと軽く言って、リフト乗り場の方へと滑って行った。
「行こう。俺も久しぶりだから慣らし運転からね」
「はい」
山を見上げると、左手の方はキッズコースやボーダーのコースのようで、スキーは右側のコースらしい。その右手の方へと移動すると、なるべく平らなところでスキー板を履いた。
「な、んか、すっごい久しぶり」
「俺も」
久しぶりと言いながらも大祐は、板を履いてすぐに慣れた動きでリカを少し傾斜のついたところへ連れて行く。
「ボーゲンはできるの?」
「い、一応は」
「リフトには乗ったことある?」
若い時は、みんなで来れば、と言うのもあって、怖さもなく堂々と乗った気がする。
手袋をした手でちょいちょい、と大祐を近くに呼び寄せると、耳元に小声で言った。
「乗れるには乗れるんだけど……」
「うん……?」
「降りられなくてそのまま乗って降りたことと、乗る前にリフトを止めたことがあるの」
「!!」
驚いた大祐の眉間が開いて、眉が上がる。
それはなかなか初心者らしいエピソードだな、と思うが、逆に言えば度胸はあるということだ。
「じゃあ、リフトにも乗れそうだね」
「っ!だから今!」
「大丈夫。俺が一緒だし。この辺より、下のリフトを上がったあたりの方がいい練習になるよ」
えー、と顔を曇らせたリカににこっと笑うと、そのままそのあたりで転び方、起き方、基本的なことを練習した後、リカを連れてリフト乗り場に移動した。
半日券を買った大祐について、少しずつ列が進むにつれてリカが言葉少なになってくる。
「大丈夫。すごく雪質がいいし」
「う、うん」
「リカってそんなに心配性だったっけ」
からかいを含んだ大祐の声に、両手からストックを離さないままで何度も顔に触れた。
「からかわないで!私は、下調べして臨むたちなのでこういうの苦手なんです」
「滅多に見られないリカが見られて俺は楽しいけど?」
「ずるい!」
「ほら、次だよ。ゆっくりあのバーのところまで行って」
話しているうちにいよいよリカと大祐の番になって、緊張しながらリカが足元に埋まったバーのところに何とか立った。その隣に、大祐が立つと、回ってきたリフトに何とか乗った。
「ふう。このくらい、私だって乗れるんです」
どうだ、と言わんばかりのリカに、くく、と笑いをかみ殺した大祐は、あんまり動くと落ちるよ、と言う。
ぴくっと大人しくなったリカに、ますます笑いをこらえてちらりと振り返った。雲の流れが速くて、晴れていると思っていたが、リフトに乗る前は曇ってきていた。そしてまた今は、さぁっと雲が流れて日が差している。
雲が切れると、仙台市内の方向が見渡せた先に海が見えた。
「リカ、ゆっくり振り返ってみて。海の方まで見えるよ」
「え?わ、本当!すごい。あんなところまで見えるのね」
「ちょっと晴れたり曇ったりしてるのが惜しいけどね」
リフトの降り場は大祐がリカの腕を掴んで支えたので、何とか降りるだけは降りて、人の波をよける場所まで移動することができた。
「お、空井。りかさんもあがってこれたんだ」
「なんとか。皆さんもだいぶ滑ってらっしゃったんですか?」
「ああ。俺達は一番上まで行って、この上のリフトでね」
乗り継いだ上の方まで上がって何本か降りてきた後にリカ達の様子を見るために下りてきたのだ。
「じゃあ、リカ。ゆっくりでいいから降りてみようか」
「は、はい」
「さっき、ちゃんとボーゲンもできてたし大丈夫だよ」
何年かぶりのスキーで、リカにしてみれば急な斜面にも思えるが、確かにそこは度胸がいい。さして迷うことなく、ゆっくりと滑り始めた。
リカの傍についてストックを使わずに足だけで滑りながら大祐が起用についていく。
「あ、あ、きゃっ」
初心者にありがちな、曲がりに差し掛かると、かえってまっすぐに進んでしまう、というやつで急にスピードが上がったリカは、慌てて体制がふらつく。大祐はすぐに片足に体重をかけてきれいな踏込でリカの目の前に出るとくるっと向きを変える。
リカのスキー板を自分の板で挟み込んで逆ボーゲンの形を作ると、ゆっくりスピードを落としながら曲がらせた。
「力むとかえってまっすぐに進んじゃうよ。大丈夫だから俺に体重を預けるつもりで、力を抜いて?」
「そ、そんなこと、自由にできてたらもっとうまくなってたわよっ」
それもそうだ。初心者が入り口でまず挫折するのは体重移動といかに足を柔らかく使えるかである。強張って後ろの反ってしまうとすぐに転ぶし、スピードだけが上がってしまい、ますます怖くなる。
大祐はストックを片手でまとめて持つと、強張っているリカの手を掴んでゆっくりとボーゲンで下りていく。
「わ、わ、わ。大祐さん!なんでそんな難しいことしてるのっ」
「だってリカ、放っといたらまっすぐに進んじゃうから」
下の方のゲレンデで見かけた子供相手のレクチャーのようにゆっくりとゲレンデを真横に横断しながらリカは大祐に連れられて降りはじめた。