2本ほどリフトに乗って滑ってから、3本目のリフトを降りたあたりで、リカがちょっと待ってとコースの端の方へと移動した。
「疲れた?」
「ううん。面白いんだけど、ちょっと足がつってて、ブーツの中だからなかなか足が伸ばせないの」
「一度、板を脱いでみる?」
おそらく妙なところに力が入ったからだろう。
ありがちではあったが、心配した大祐が、自分のストックを雪に突き立てて、器用にスキー板を外すと、リカの足元に屈みこんだ。掌を使って、スキー板を外すと、板を並べてその上にリカを座らせる。
ばちん、とつっているという右足からブーツを脱がせて、つま先を曲げた。
「いたたっ」
「大丈夫?リカ、運動不足なんじゃない?」
「それはっ、だって、チーフになってから取材に出る機会も減っちゃったんだもの」
今までは取材のたびに、あっちこっちと歩き回っていたので、それだけでもいい運動になっていた。それが、最近は会議や資料作りや、打ち合わせばかりですっかり内勤である。
鈍っているつもりはなかったが、足がつるなんて久しぶりだった。
「どう?」
「ん、だいぶ収まったみたい。ありがとう」
今度は一人でブーツを履いたリカと、隣に腰を下ろした大祐のもとに一緒に来た四人の中で一番体格のいい、市川が見事な滑走で滑り降りてきた。
「どうした。空井」
「ちょっと休憩。早いな」
「ああ。ちょっとなー。ここ、一番こっちは割と初級中級向けで短いリフトだろ?真ん中がこの上まで上がるリフトでその上にもう一本あるんだけど」
ゴーグルを押し上げて上を見上げた市川が眉間に皺をよるのを見て大祐が立ち上がった。
「なんかあるのか?」
「いや、上は上級者の向けで中級者もなんとか降りられなくはない、ってかんじなんだけどさ」
一番上のリフトからまっすぐに降りるコースは大こぶや、深雪を味わうコースで、昨日雪が降っただけに今日は滑りがいがあるコースだ。その迂回路状態の2コースは中級者が下りてくるのに向いていて、うまくスピードを殺せれば、好きな速度で上から下まで滑ってこれる。
市川たちはこのコースを先ほどから組み合わせて滑っていた。
「若いやつらでにぎやかなのがいるんだ。あんまりうまくない女の子連れて一番上まで上がってて。ま、半分はボーダーなんだけどさ」
苦笑いを浮かべているところを見ると、ちょっとはしゃぎすぎの傾向があるのだろう。
一昔前のボーダーが流行り始めた頃には、無理な滑走でボーダーとスキーヤーが揉めることが多かったらしいが、最近では少ないと聞く。それでも、かなりの腕を持つ市川が下りてきてこんな話をするくらいならあまりマナーがいいとは言えないのだろう。
見上げれば確かに、上の方にいたスキーヤー達はいつの間にか少し下のところから滑り出すようになっていた。
「ああいうのを見ておもうのが、俺も年くったかなってところかな」
「わかる……。同感」
仕事柄と言うわけではなく、ついつい危ないからと注意したくなってしまう自分たちをそう評価した二人は、ははっと笑いあってからリカに視線を移した。
「リカさん、少しは慣れました?ここ、基礎練習するにはいいコースでしょう」
確かに、まっすぐでフラットな個所が長いのでそこだけはリカも自力で滑って降りられる。すぐそばをストックを背負った状態で、逆ボーゲンで大祐がついてきていたが、3度目の今度は並んで滑れるかな、と思っていた。
「すっっごく、久しぶりだったんですけど、ちょっと思い出してきて楽しいです」
「そりゃよかった!もう少ししたら、下で昼にしましょう」
「ええ」
真下に見えるレストハウスを指差した市川が、じゃあ、と言ってゴーグルをかけなおすと、ざっと雪を巻き上げて滑り降りて行った。
「皆さん、すごく上手」
「まあね。昔は、この山の反対側のゲレンデしかなくて、そっちだと、たまに訓練もしてたみたいだよ」
「あ……。なるほど」
趣味だけではなく、“訓練の賜物”かと、うっかりした自分の発言にリカは小さく舌を出した。
曇っている時間が長くなってきて、時々細かい雪も降ってきている。鼻の頭だけでなく、唇も冷たくなり始めていた。
「今は、遊びの時間だから。それより、冷えてくるから休むならこのまま下に降りて少し早いけどレストハウスで休もう」
「ん。じゃあ、今度は大祐さんもふ・つ・うに、降りてね」
「はい、はい。じゃ、行こう」
手を掴んでリカを立たせた大祐は、ゆっくりリカが板を履いて準備ができたのを待ってから自分の板を履いた。ストックは二本そろえて片手に持つ。
「普通にっていったのに!」
「え、ストックも?」
おっと、と呟いて両手にストックを持ち直した大祐に満足そうに頷いたリカは、じゃあいくね、と滑り始めた。
体がいくらか思い出したのだろう。先ほどの2本よりはだいぶゲレンデを狭いターンで滑るようになっていて、大祐は見事な緩急をつけた滑りでその傍を下りていく。
「ちょっとはましになったでしょう?」
滑りながら嬉しそうに叫んだリカに答えようとした大祐は、上の方から上級者が下りてくるのを視界に捉えていた。腕のいい上級者ならうまくリカをよけて下りて行ってくれるだろうが、何人か続けて下りてくる。
大祐はリカの傍に近づいて、なるべく端の方を滑る様に誘導した。
「大祐さん、ちょっと!」
「うん。ごめん。もう少し端のほうを……!リカ、ストップ!」
ゲレンデ両脇は木の生えた部分でそこにはなかなか下りて行かないように雪も盛り上がっていたが、大祐に滑る場所を誘導されたリカは、少しペースを崩して大きくターンするところだった。
ちょうどそのすぐ傍を上から降りてきたスキーヤーが抜けようとしていたのだ。
ストップと言ってもすぐに止まれるほどではないリカの前に、ぎゅっと足を踏み込んだ大祐が割り込んでリカを引き戻した。
「きゃっ!!」
「っぶねっ!!」
リカの板のすぐ目の前を勢いよく滑りぬけて行ったスキーヤーがすれ違いざまに叫んで行った。
「ご、ごめんなさい」
ぎゅっと体を固くして驚いているリカからふっと腕を解いた。
「大丈夫。ごめん、俺がもっと早く気を付けてっていえばよかった。でも、リカも、周りに気を付けて。上級者は勝手によけてくれるから、よほどコースの真ん中じゃない限り、止まって滑り降りていくのを待っていいから」
「わ……かりました」
どきどきと心臓が早鐘を打って、強張っていたリカは眉を寄せて頷く。その傍を、今度はボーダーたちが滑って行った。
―― さっき市川が言ってた奴らかな……
最後の一人がリカと大祐の少し下のあたりで止まると、上の方を見上げて早く来いよ、と怒鳴る。どうやら後から降りてくるのは連れなのか、同級生なのか女性が三人ほど、ふらふらしながらも滑り降りてきた。
二人はスノーボードで一人がスキーだが、いずれも腕前は似たり寄ったりに見える。
三人が下りてから行くべきだと判断した大祐は、そのままリカに寄り添ったままで向きを変えた。