「気にすることないですよ。リカぴょんさん」
一番、この中でも年が若いという三井が話の合間にさらりとリカに話しかけた。
「えっ……」
「自分、彼女がいたのなんて随分前の事だし、そん時も気が利かなくて速攻、フられたんですけど。今回はリカぴょんさんとお近づきに慣れて光栄です」
リカの座った場所から若者たちの席が見えるということは向かい側に座っている三井や成田達の耳にも、リカに聞こえた話し声が聞こえないはずはない。
極力、仕事がわかるような話を避けて楽しんでいる彼らにとって、周囲への注意を怠らないのは基本なのかもしれない。
四人の中で一番無口で、年上に見えた成田がひょい、と三井のトレイからセットでついてきたプリンを取り上げるとリカのトレイの上に乗せた。
「あ。成田さん、なにするんすか」
「……おしおき。『りかぴょん』禁止って言われただろ」
「違います。自分が呼んだのは『リカぴょんさん』です!大きな違いです!」
違わねぇよ!と残りの三人から総突っ込みされた三井は、困った顔でリカを見た。
「駄目ですか?『リカぴょんさん』って……」
「まあ、それだとあんまり違わないかなというのは私も同感ですけど……。プリン、お返ししますね」
「あ、大丈夫です!食べてください」
そうだそうだ、と言われたリカは大祐に視線を向けると苦笑いで頷きが返ってくる。
じゃあ、お言葉に甘えて、と素直にいただくことにした。
大祐が、江口と最近のスキーや板の流行について話をしている間に、食べ終わったトレイを下げに席を立った市川は、視界に入った窓の外の様子におや、と思った。昼にここに入った時よりも随分雪が降り始めている。
この分ではあまり長く滑ってはいられないかもしれない。
時計を見ながらトレイ返却口から席に戻る途中で若者たちとすれ違った。
—— なんだ、オッサンじゃん
—— マドンナってかんじ?
—— みっともなーい……
「……やれやれ」
聞えよがしの呟きは、さすがにむかっとは来たが、相手にするほどの事はない。皆に声をかけると席を立って、再びゲレンデに戻った。今度はリカも一緒に中央のリフトで上がることにする。先ほどのペアリフトとはちがって、4人乗りだが大祐がリードしつつ、うまく乗ることができた。
「リカさん、運動神経いいっすね。初心者だって聞いてたけど、一日でこのくらいうまくなったら楽しいでしょう?」
「ありがとうございます。教えてくれる先生がいいからですね。大学の時は、本当に全然うまくならなかったんです」
あの頃は、皆の足手まといになってしまい、結局、下の方で一人で滑っているか、レストハウスにいるかしかなくなっていって、ほとんど行かなくなったのだが、今日は全然違った。
大祐が無理なく流れにのせてくれたおかげで、体重移動や曲がり方が格段にうまくなったのは自分でも思う。年に何度も通えるような環境ではないが、たまに遊びに来る程度には楽しく滑れるようになった気がする。
「コツを覚えると、すぐに滑れるようになるもんだよ。リカは飲み込み早いし」
さっきまで乗っていたリフトよりは長く、上まで上がるリフトの上はだいぶ寒くなってきている。濃い目の赤と少し薄いピンク、そして白のチェック柄のウェアを着ているリカは、同じくらい鼻の頭も頬も赤くなっていた。
ネックウォーマーに顔をうずめるようにしたリカは、それでも寒いことより楽しい方が勝っている。
「寒い?」
「寒いけど……、楽しい」
少し首をひねって後ろの方を振り返ると、街の方や海の方は晴れているらしい。ここは曇っているが、かすんだ先は明るい青に見えた。
真ん中程を過ぎると、風も収まってきて一息つけるようになる。登山をするような山ではないはずだが、こんなにも天候がコロコロ変わるのだというのも初めての実体験である。
リフトの降り口が近づいてきて、多少よろめいたものの、リカも無事にリフトから降りて、コースのスタート位置まで移動する。端の方にボーダーが固まって座り込んでいた。
下の方のコースではスキーヤーが多かったのでそんなことは少なかったが、滑り始める前にボーダーは板を履きなおさなければならない。あちら、こちらに幾人かずつ固まっている。
「ちょっとさっきより急だけど行ける?リカ」
「ちょっと怖いけど、大丈夫」
「OK。じゃあ、俺がすぐ傍にいるからさっきみたいにゆっくりいこう。あの辺を過ぎるともう少しなだらかになるから」
大祐が指差したのはちょうどコースの真ん中あたりで、たしかに一息入れている者達がちらほら見える。
スタート地点だけにどんどん人が溜まってきて、早い人は次々と滑り出していく。焦ったわけではないが、リカも行きますね、と声をかけて、一番先に滑り出した。
片栗粉のような感触の雪がさらさらと流れていて、誰かが滑って降りてくるたびに、派手に巻き上がっている。その中をゆっくりとリカが下りていると、ボード特有のざーっと滑り降りてくる音がして、大祐は後ろを振り返った。
先ほど見た女性たちが下りてくるところだった。
「リカ。少し端に……」
コースは広いために少し端によけてやればと思ったところに、リフトを降りたばかりのスキーヤーが下ってきた。
「リカ!止まって!」
「はいっ?!」
ちょうどリカがコースの端でターンするところを狙って止まれと声をかける。リカのスピードで、二人並んで滑走しているところにあまりうまくないボーダーとスキーヤーと、その後ろからさらに早そうなスキーヤーが来るのでは交わしきれない。
大祐がリカの背後を回る格好でコースの端に止まったすぐ後にボーダーが滑り降りてくる。一人目の女性はまだまともに滑って行ったがその後ろの二人はどちらも危うい。そこを長身の男性が飛ばして降りてきた。
「えっ?!きゃーぁっ!!」
「馬鹿っ!どけっ!!」
「やだぁ!!」
女性の近くを滑り降りてきた男性が、ぎりぎりのところをすり抜けようとする。
あっという間の出来事だった。
女性二人をかわそうとした程度には上級者らしい男性は、なぜか女性の間をすり抜けようとして、慌てた女性二人が逃げようとしたところに思い切りぶつかった。
「危ない!」
思わずリカが上げた声は、そのぶつかる瞬間で、リカが叫ぶよりも早く大祐が足を踏み出していた。
「きゃーっ!」
「どけっ!!」
スキーの女性を突き飛ばすように転ばせた後、ボーダーの女性ともつれ合うようにして転がった男性の傍に大祐が滑り込んだ。