毎日の電話の中で、大祐が不意に真面目な声を出した。
「リカさん」
「はい?」
結婚して、もうすぐで一年になろうとするわけで、リカと呼ぶことにも慣れてきたはずなのに、急にさんづけで呼ばれるとドキッとしてしまう。
何かしましたか、とつられたリカもデスマス体になって、携帯を握りしめる手も心なしか強くなってしまった。
「あの……」
「な、なんですか。気になるじゃないですか」
「あっ、すみません。別にそんな大した話じゃないんですけど、リカさんはお花とか好きですか」
―― はい……?
一瞬の間が開いて、大祐が何を言ってるのかわからなくてはてなマークが頭の上に浮かぶ。それもとびきり特大なのは、これだけ真面目な声で人を不安にさせて置いて、お花とか好きですかと聞かれれば、誰でもフリーズしそうになるだろう。
「それ、どういう意味ですか?お花とかってことは、『とか』になにかあるとか、それともお花って何か特殊な」
「リカさん、リカさん」
「はい」
「落ち着いてください」
電話の向こうで笑っている気配がして、誰のせいなのよ!!と叫びたくなる。
今夜は一際寒くて、エアコンをつけていても足元が冷えてくるから早々とベッドに入って、温まりながら電話をしているから、少しだけ甘えた気分で電話ができるかなと思っていたのに、すっかりぶち壊しだ。
「どういうこと?」
ついつい尖ってしまう声に電話の向こうが慌てた。がしゃん、とテーブルを蹴ってしまった音がして、ばたばたとした気配と同時に声が上がる。
「ごっごめん。いや、本当に大したことじゃないんだけど、明日は金曜日でしょう?」
「ええ」
「それで明日は2月14日でしょう?」
「ええ」
基本的にはせっかちなリカは徐々に苛立ってきて、だからなんなの、と言いそうになる。
だが、どこまでものんびりと大祐は続けた。
「だから、です」
深い深いため息がリカの口から洩れる。その、だから、の意味が分からない
「……大祐さん。だから、はどこから続いただからですか?それともジュースの名前か何かですか?」
「ははっ、リカ。面白いこと言うね。でもはずれです。ぶー」
「もうっ!なんなんですか!」
苛立ったリカにしょうがないなぁと呟いた大祐はあっさりとわかりきった種を明かした。
「明日はバレンタインでしょう?」
「ええ」
「だからです。バレンタインの日にリカに会えて、週末も一緒にいられるなんてタイミングがよかったから、何か欲しいものとかないかなって」
バレンタイン、と言われてどっとリカの力が抜けた。ベッドに行儀悪くべたっと横になると、ついつい口調が悪くなって、空井さん、と呼びかけた。
「はいっ」
「そういうことはですね。リサーチしたいならしたいって言ってください。いきなり言われても何を求めての質問なのかわからないんです」
「すみません……」
しょんぼりとした口調に小さくため息を零したリカは、息を吸い込んでゆっくりと口を開いた。
「それで、お花はそれなりに好きですけど、わざわざ買ったりしなくてもいいですよ。局でたまにもらうこともあるし。必要ないです」
「じゃあ、ほかに何か欲しいものとかないの?アクセサリーとか洋服とか、えーと、何だろうな。とにかく何でもいいんだよ」
「ちょっと待ってください。急にどうしたの?それに、普通バレンタインって、女性から男性にじゃありませんか」
一応、リカも大祐に渡すためのチョコレートは作ってある。
忙しい合間とはいえ、チョコレートくらいなら何とかなる。多少、不細工さはあっても一応上手にできたはずだ。
それを頭に思い浮かべながら、畳みかけるように言う。
「クリスマスでもないのに、何か欲しいなんて言いませんよ」
「えー……。だってリカ、クリスマスの時も特に欲しいものはないからって言ってたでしょ?」
要するに何かをプレゼントしたいらしい大祐にうーん、と迷ったリカは少し考えてからそれなら、と言った。
「うん。何、何?」
「明日、大祐さん、こっちに来てくれるんでしょう?」
「そうだよ。久々に会うね。お正月の後忙しかったから1か月くらい?」
少しぶりで会えることにお互い喜んでいたから、楽しみなのもお互い様だ。そこにリカがもっと大祐が喜びそうなことを口にした。
「えと、早く終わったら東京駅まで迎えに行くから、帰るとき、手を繋いでくれる?」
「へ……?手?手を繋いで帰るってこと?」
「そう。私、握手とか苦手なんです」
今度は大祐の方が目を白黒させる番だ。いきなり欲しいものの話から話題が飛んだ気がして今一つ、ついていけていない。
「あの、よくわからないんだけど、もう一度説明してくれる?」
電話の向こうを想像したリカは、仕方ないなぁ、と笑みを浮かべてもう一度、話し始めた。
「あのね。私、握手って結構苦手なんです」
「あ、そうなの?でも、俺、リカに握手してもらったことあるよね?」
「あります。でも私、本当は苦手なの」
「え?そうなの?」
今更ながらに知った事実に大祐が驚く。これからも同士として、と言って握手をしたことがある。それに手を繋いだことだって。
それなのに、実は苦手だったなんて、どういうことだろう。
「うん。だからね、帰るときに手を繋いで帰ってくれればいいです」
「……えーと、よくわかったようなわからないような……」
大祐の話し方以上によくわからない説明である。自分から言い出したのに、話が分かったようなわからないような流れになってしまった大祐は、ひとまず、明日の話として頷くことにした。
「ひとまずわかった。手を繋いで帰る、だね。そんなことでいいの?」
「うん。ものが欲しいとかあんまりないし」
「そっか。そういえば、明日は雪じゃないかって天気予報で言ってたね」
先週に引き続いて、今週も関東は大雪なんじゃないかと言っていた気がする。あまり降らなければいいが、往復の新幹線が遅れたり、止まってしまうのだけは避けたい。
「そうだっけ?じゃあ……」
明日は来れなくなるかも?と急にトーンの落ちたリカに慌てた声が聞こえた。
「明日は行くからね!絶対。もし新幹線が駄目だったら車で行くから」
「え!それは駄目!こっちは雪に慣れてない車が多いんだから」
「それでも行くよ。だって、リカに会いたいんだ」
まっすぐに愛情を伝えてくれる大祐に、流されそうになるが、それでも心配してしまうのも事実なのだ。
「でも駄目。もし新幹線が駄目になるようだったら無理しないでね」
「……わかった。じゃあ、雪がひどくなる前にそっちに向かえるように頑張るよ」
お互い譲らない頑固さは十分にわかっている。仕方ないなぁと思いながら、気を付けてね、と言って時計を見る。
お休みと言いあって、なかなか電話が切れない。
「今日こそ、大祐さんから切って」
「いや、リカから切ってよ」
「このままじゃ切れないから……。お願い」
珍しく大祐が言う前にリカからお願いされてしまう。そんな甘え方ににやにやと口元が緩んでしまった大祐は、明日仕事から直行する気で用意していた鞄に目を向けると、渋々頷いた。
「わかった。じゃあ、明日も寒いだろうから温かくして寝てください。会えるのを楽しみにしてる」
「大祐さんも。気を付けて来てね」
「じゃあ、お休み」
「おやすみなさい」
ぷつん、と切れた携帯の向こうは今頃、ベッドに丸くなっているだろうか。
松島の部屋は底冷えがするので、ストーブを焚いていて、それでも背を向けていると指先が凍えそうな気がするときもある。リカが来た時に寒くないように、気を使っているが、冬の間はなるべく大祐が東京に行くようにしている理由でもあった。
雪の降る松島を見せたい気もするが、何年かぶりの積雪だという関東での雪を見るのもいいかもしれない。
テレビの中では大げさなほど騒いでいるが、実感のわかない大祐は、リカと会えることだけが楽しみだった。