「はぁ……」
いつまでもトイレにこもってるわけにはいかない。なんとかしなければと思った大祐は、思いつく限りの戦闘機の名前と特徴をひたすら呟き続け、気を落ち着けた大祐は、ようやくトイレを出てベッドわきに戻った。
「……ごめん」
「大丈夫?大祐さんにも私の風邪、うつっちゃったかな」
心配そうに見上げてくるリカを見て気まずさに視線を逸らした大祐は、は?、と思ってリカを振り返った。
「え、あの……」
「ごめんね。ご飯も全然用意してないし……。昨夜も私がここで寝てたからもしかして気を使ったんじゃない?気にしないで押しのけてくれてよかったのに」
「え?あ……。いや、あのね」
話の流れから、どうやらリカが誤解をしていることを察する。長いトイレに入っていたことを指すんだろうなと思うと、説明しようにも説明しづらい。大祐にとっては、確かにありがたい誤解でもあったが否定するにもしきれず歯切れが悪くなる。
「いや、うん……。ちょっと、……平気だよ」
「お布団、あったかいよ?」
「えっ?!」
おろおろと動揺している大祐の葛藤をリカは全くわかってない。しゅん、と項垂れたのが横になって大人しくしているとしても目に見えてわかった。
「やっぱり、大人しく家にいても駄目だよね……」
「えっ?!」
「だって……。大祐さんが目の前にいると思うと、なんでもいいの。ずっと話していたくなっちゃうの」
「話?!」
きょとん、としたリカの顔をみて、しゅう……と音がしそうなくらい大祐の脳内から邪な気持ちが抜けていく。
―― あ……。そこは、風邪ひいてるし、大丈夫だろうって俺、信用されてるのか……
正直、それは男としても見栄を張りたい。
張りたいが、煩悩を自分が説き伏せられるか自分自身に自信がない。
「大祐さん、ぎゅっとするの好きだから、ぎゅっとしてもらって話してたらいいかなって……。私、甘えすぎよね……」
「いや!甘え大歓迎だから。普段のリカも可愛いけど、もっと甘えてくれてもいいのにっていつも思ってるんだけど」
―― でも、今のリカは俺にとっては非常に困るんだけどっ
困る、困ると内心では思うが、項垂れていたリカがきゅっと布団を引き上げて隠れてしまう。
「あ、あ、待って!リカ、違う!駄目じゃないから!」
弱った姿など今までは絶対に見せてくれなかったこともあって、大祐の中ではもう本当に振り回されっぱなし状態だったが、今、拗ねられたら今の大祐には手に負えなくなってしまう。
ひょこっと目元だけが顔を出して、潤んだ目が見上げてくるのに勝てるわけがない。
「……わかった。わかったけど、……いや。いいや……」
今のリカにはどんな大祐の抵抗も無駄に違いない。
どのくらい自分の忍耐が持つかはさておき、腹をくくった大祐は布団を少しだけめくって、リカの隣に長身を滑り込ませた。
リカの部屋のベッドは部屋の大きさの関係もあって、シングルでも少し広めのベッドのままである。リカにとってはひんやりした体が滑り込んでくる。頭を冷やしているから腕枕をするわけにはいかないが、リカが苦しくならないように腕を回す。
「これでもいい?」
「……うん。ありがと。ごめんね。我儘言って」
「このくらい全然我儘じゃないよ」
傍にいて、リカの体温を感じるだけですでに自分が反応しそうになるのは、なんとか気力で押しやって、嬉しそうにすり寄ってくるリカが大祐の肩のあたりに頬を寄せた。
「ふふ。ごめんね。汗臭いでしょ」
「いや……。全然平気。日頃から、俺、もっと男臭いところにいるから」
―― 逆にってうっかり言いそうになるな俺!!
「やだ、だって、それは皆さん、お仕事された時の更衣室とかそう言うところでしょ?」
「それはそうだけど。えと、じゃなくて、具合どう?」
「具合?悪くないよ」
「悪くないわけないでしょ。風邪ひいてるんだから」
真面目で、一直線で、どちらかと言えば完璧主義に近いリカなのに、少しだけ力が抜けただけで、こんな風に変わるのかとドキドキする。至近距離でえへへ、と笑う顔がとても可愛くて、うっかりキスしかけて鼻先に軌道修正した。
「やだ。駄目だってば」
「だから鼻にしたでしょ?」
「もっと甘えたくなるから駄目」
ぺろっと舌先を見せてリカが呟く。大祐の視線が揺れて、目の奥に揺らいでしまう感情を必死で押し殺す。
―― すっごい幸せだけど、……正直……拷問?
くふっと息のかかるくらいの距離で、軽くキスしただけで見せるこの反応やストレートな言葉にずきっと胸を射抜かれる。
「でもね。ほんとに、たくさん寝ちゃったから今は平気よ」
ちょっと待ってね、と言って、肘をついたリカがベッドサイドの体温計に腕を伸ばそうとする。
ベッドの奥側にいるリカがベッドサイドの体温計をとろうとすると、当然大祐の体を押しのける格好になるわけで、体を楽にするために今はブラもしていない胸が大祐の顔の目の前にきてしまう。
「わ、ちょっと何っ!」
ふわん、と柔らかな胸が一瞬、顔に触れて動揺した大祐には全く構わずに、体温計を掴んだリカがよいしょ、と元の位置に戻る。
真っ赤になってしまった大祐に気づくことなく、ぴっと体温計を脇に挟む。1分待って、ほら、と自慢げに見せられた体温計は38.5を表示していた。
「……リカさん。これのどこが普通なの」
「……おかしいな。だって、点滴してから全然楽になったんだよ?」
「そりゃ39度台からこれじゃ楽になったって思うの当たり前でしょ。それより、眠れないかもしれないけど眠ったほうがいいんだよ?」
リカにしては最大限に甘えていたし、もっと甘えたかったのに、眠れと言われたために口元をへの字にしたリカが大祐に背を向ける。くるっと壁際を向いたくせに、大祐が回していた腕はしっかり掴んだままで、その手は背を向けたリカの胸のあたりに引き寄せられた。
「り、リカ?!」
―― あの、胸が……
まんま、掌が胸を包み込むような位置に引っ張られた手をどうしていいものか、妙に強張ってしまう。
壁を向いたリカからは、甘えた声が聞こえてくる。
「だって、寝なさいっていうから寝るの」
「あの、手をね……」
「大祐さんの手ってドキドキもするけど安心もするんだもん」
―― だって、これでうっかり動かし……いやいやいや!!
ぴくりとも動かしたらいけない気がするが、手に触れる感触はこれまでの比ではないくらいに煽られる。
妙な汗が滲むなかで、永遠にも近い拷問の時間は過ぎて行った。