「あ゛っ!!」
「どうしました?片山一尉」
「……どうもしねぇ」
そそくさと立ち上がった片山は通りすがりに空井の首根っこを引っ掴むと無理やり引きずる様に立たせた。
「ちょ、何するんですか、片山さん!」
「いいからちょっと来い」
ヘッドロックをかけるような姿勢で無理矢理広報室の外へと空井を引きずった片山は、廊下の奥の休憩室になだれ込むと、一大事と言わんばかりの顔で空井に迫った。
「お、おい。今日は3月だよな」
「……そうですよ?」
「3月31日!」
「だからなんなんですか!」
眉間に皺を寄せて苛立った空井に、口元を押さえてやべぇ、やべぇ、とうろうろ歩き回る。
あまりに真剣に青ざめているからどうしたのかとさすがに心配になった空井に、がばっと向き直った。
「忘れてたんだよ!誕生日!」
「え!彼女さんの誕生日とかですか?」
「ちげぇよ!!比嘉のだよ!」
「……はい?」
一瞬、それは一大事だろう、と真剣になりかけた空井は、しばらく間をあけてから首をひねった。
「……比嘉、って比嘉さんですか?」
「そうだよ!ああ、やべぇ!!もう2か月以上たってる!!」
本気で困っているらしい片山を見て、空井は事態が今一つ飲み込めていない。うろうろとうろつきまわる挙動不審な片山に首をひねった。
「あの、比嘉さんの誕生日がどうしたって……」
「馬鹿っ、お前ここにきて……ってそうか。お前は知らないのかぁっ!」
「だからちゃんと説明してくださいよ。何がどうしたっていうんで……。あ、槙さん」
ガラスの向こうを通り縋りの槇に気づいた空井は、中へを呼び込んだ。
「何、どしたの」
「片山さんがなんか、比嘉さんの誕生日を忘れてたとか今更言ってて」
「えっ!まーじーかー」
意外なことに、槇まで驚きに目を見張った。てっきり自分と一緒にそれが何かというと思っていた空井は、ええっ?と思わず二度見してしまう。
「槙さん、そのワケ知ってるんですか?」
「あ?ああ。そっか。お前は知らないのか。あのな。比嘉ちゃんってあれでものっすごい根に持つわけよ。広報室のメンバーはお互い、あの室長の下だから皆仲がいい方なんだけど。どーいうわけか、あの人だけは、誕生日を祝ってあげないとものすごい、拗ねるわけ」
「えっ!比嘉さんがですか?!でも、自分……、あ。そう言えば自分、たまたまその日に誕生日だって聞いて、じゃあ、お祝いにって出たついでにケーキ買ってきました……」
ふと三か月近い前の話を思い出す。
去年は移動したてで知らなくてすみません、と詫びながら無難なホールケーキを買ってきた気がする。
うんうん、と頷いた槇は、びしっと人差し指をたてて空井を見た。
「それ、比嘉ちゃん、めちゃくちゃ喜んでなかった?」
「あ、はい。この年になって名前の書かれたホールケーキなんて味わえませんって。子供っぽいかなって思ったんですけど、誕生日って言ったらこれかなって思って……」
その向こうで、ぐわぁぁ、と唸った片山が頭を掻きむしった。
「道理で!道理で!」
がばっと頭をあげた片山は両手を震わせながら二人に向かって近づいてくる。
「ずっとおかしいと思ったんだよ!お茶飲んでても今までは俺の分も入れてくれてたのに入れてくれなくなったなって思ってて、気が付くとよく空井とばっか話してるし、内局に出す書類の手伝いもちっともしてくんなくなったし!!」
顔を見合わせた空井と槇はどっと肩を落とした。
「女房じゃあるまいし……」
「ていうか、何気にひどくないですか?この人。比嘉さんがいなかったら何もできない人みたいじゃないですか」
ひそひそと声を潜めているふりで、目の前で聞えよがしに呟き合うと違うっと片山が叫んだ。
「俺は幹部だぞ、幹部だけど、細かいことが苦手な幹部なんだ!それを比嘉がフォローしてくれるのはあたりまえじゃないのか。それぞれがそれぞれにできることをするのが広報室じゃないのかっ」
「片山さんのは単なる我儘じゃないですか」
「我儘じゃない!……それよりもだ。これから比嘉に遅れた詫びと誕生日祝いをどうしたらいい?」
これが女性相手であればまだしも違ったかもしれない。だが、相手は男であり、二人の関係性はまるで夫婦である。
―― そんなのどうしろって……
助けを求めるように槇に視線を向けた空井とうーん、と唸った槇は、しばらく考え込んだ後、渋々とアイデアを出し合った。
「じゃあ、比嘉さんが好きなものとかないんですか。時計、とかうーん、女性じゃないからなんだろうな。カップとかどうでしょう。自席で使えますよ!」
「ああ。それいいかもな。でも、今年の誕生日に柚木三佐がマグカップ贈ってたけどな」
蓋つきのやつで、比嘉ちゃん喜んでたけど。
そういえば、いつも比嘉はふたが乗ったマグカップを愛用していた。
「じゃあ、ほら、鞄とか!」
「ああ、いいかもな。室長がブラックポーターのリュック贈ってたけどな」
「槇さぁん……」
俺だって、悪気があるわけじゃないんだよ、と呟く槇は、しばらく腕を組んでいた後に、肩を竦めて見せた。
「まあ、仕方ないから、内局の本館に行って、コーヒー屋のカップ入りとドーナッツでも買ってきたら?」
「ああ、それいいかもしれませんね。高いからっていつも言ってますけど、比嘉さん、あそこのコーヒー好きですよ。甘い奴」
二人がそう言うと、縋るような目で見た片山がそうか?と言って体を起こした。
「よし!すぐ行ってくる!」
だだっと走り出て行った片山を見送って、槇と空井は肩を竦めた。
「ほんとなんですか?比嘉さんが……って」
「ん?ああ。割とね。本当。それも片山限定で。片山と比嘉の話は前に聞いただろ?あれで比嘉ちゃんも相当気にしてんだよ。片山に必要とされる人材でいられるようにって」
はあ、なるほど、と頷きながら、ようやくわかってきたこの広報室の面々の厄介なところに苦笑いを漏らした。
だからこそ、彼らは人を気遣いもするし、誰かの痛みも思いやれる。
空井も随分たくさん、彼らに助けられている。
「比嘉さん、機嫌直してくれるといいですね」
「まあねぇ。どうなることやら」
そう呟いた槇と共に広報室へと戻る。それから何分後かに戻った片山と比嘉の漫才のようなやり取りで、その日はほとんど仕事にならなかった。
–end