どうしても終わらない書類仕事を持って帰った。局に残って仕事をしない限り、残業にはならない場合が多いのに、それでも大祐が家にいるなら帰りたい。
フレックス扱いで一部認められる残業申請をだして、社用パソコンを開いている。眉間に皺が寄ってることに自分でも気づいてなかった。
ごめんねと断ってリカが仕事を始めると、しばらくは黙って何かしていたらしい大祐が不意に手を伸ばして来た。
「……」
「リカ?」
「はい」
顔を上げずに返事をしたリカが驚いて顔を上げた。
「……っ。何?」
「今、イラっとしてた?」
「えっ?……なんで?」
目を丸くしたリカに、大祐は片方の眉を上げた。
「なんとなく?」
「うん、まあ……。ちょっと昼間に来てたメールを今頃読んで、もっと早く読めばよかったと思って。どうしてわかったの?」
特に口に出したわけでもないのにそんな問いかけをしてきた大祐が不思議ですっかり画面から意識が離れた。
邪魔してごめん、と呟いた大祐がコーヒーをいれる。
「休憩したら?もう、ここにずっといるんだから」
言外に、日曜の夜にこの部屋から出て行っていた日々とは違う、というと苦笑いをしたリカも頷いた。
「ありがとう。それで、なんでわかったの?」
ふふっと笑った大祐は首を傾けた。
仕事を遮るつもりはなかったが、毎日一緒にいるようになって、だいぶリカの行動や感情がわかるようになってきたのだ。
慌てている時、気合いが入ってる時、甘えたい時。
初めは、リカの生活に割り込んだ形になってしまったから、極力、慣れた習慣を邪魔せずにうまく折り合いをつけたくてアンテナを強めにたてていたのだが、それもだいぶ慣れてきた。
週末婚なら多少の我慢ですんでも、毎日ではそうもいかない。
それが、今、ぼんやりしていた大祐にふとリカの感情がはいってきたのだ。
「なんだろうね。ほんとに無意識に感じただけなんだ。邪魔するつもりはなくて、あれっ?て思ったから確かめたくなったんだ」
「……よく……、わかんないけど」
「一緒にいる時間が長くなって、前以上にリカが好きになったってことだよ」
ただ、穏やかに笑う大祐に困った顔をしたリカはそれ以上、追求するのをやめた。その代り、手にしていたコーヒーのカップを置いて、大祐の隣に移動する。
「私もちょっとだけわかるようになったよ?実は飲んだ朝は、寝起きがあんまりよくなくて機嫌が悪いとか」
「えっ!俺、目一杯隠してたつもりだったけどバレてたの?」
「バレてますよ?ちょっと面倒くさがりになってるでしょ」
滅多にないが、つきあいなどで飲みすぎた翌日は、やっぱり二日酔い気味で寝起きはあまりすっきりしない。すぐに熱いシャワーを浴びて、水分を多めにとって、リカに接するときは気を付けるようにしていたのに、知られていたとわかって驚いてしまう。
「俺、そんなに機嫌悪そうだった?」
「ううん。逆。いつもより、すごく気をつかってくれてる。でも、ちょっと帰りの時間聞いたりとかすると、面倒くさいのかなって思ったんだよね。それで、機嫌悪いのかなって……。あ、逆だったかな?まあどっちでもいいけど」
「ごめん。情けないなー。勝手に飲んで帰ってきてそれはないよね」
くしゃっと髪の毛を掴んでぐしゃぐしゃにしていた肩の上にリカは顎を乗せた。
「大丈夫。私も忙しかったり、時々八つ当たりしちゃうときもあるし」
「それはいいんだよ。リカはいいの。俺はリカを甘やかすって決めてるから」
「大祐さんだって甘やかしたいんだけど?」
「甘やかされてますけど?」
横を向いた大祐と軽くキスをしてそっと離れる。
よしよし、と頭を撫でられるのも心地よくて、さっきまでキリキリしていた顔が緩んだ。その顔をみて満足そうに大祐が頷く。
「うん。さっきと全然顔がちがうね。よし」
「ふふ、なあに。それ」
「ん?俺、任務完了だなって。あ、甘やかし任務完了ね」
ぽん、と頭の上に乗っていた手が離れて、リカは大祐の隣から立ち上がった。
PCの前に戻って、再び画面に戻る。
「あと……、少しじゃないけど待っててね?」
「いいよ?終わるまでちゃんと待ってるから気にしないで仕事してて」
大祐の方も広げていた雑誌に目を落としている。増えちゃうんだけど、と申し訳なさそうにしていたが、リカも資料ならなんだかんだと増えてしまうのでお互い気にしないでいよう、と話し合った。
「ねぇ。大祐さん」
「ん?」
「ありがと」
視線あげずにポツリと呟いたリカの目元が少しだけピンクになっていた。
甘え方を覚え始めたリカの精一杯に大祐は、ちらりと視線を向けただけですぐに雑誌へとまた戻る。
「どういたしまして」
―― 当たり前だよ……
ただでさえ頑張る上に、女性としての苦労にも自分から立ち向かって行ってしまうリカだから。
誰にでもあるのかもしれないが、せめて隣にいる間だけでも、と思う。
「今度は大祐さんのお願い、きくからね」
一言じゃたりなかったのか、そんな可愛いことを言われて、密かに口元を押さえてしまった。
―― だから、キミにはかなわないんだ