パスタはリカの食べたかったもので、サラダはコールスローの甘めにした。
気持ちがいいくらいの食べっぷりで皿を空にした大祐に、リカは自分の分のパスタを一口ほど分ける。
「いいの?」
「お腹が空いてたから今日はつくりすぎちゃったの」
いいの?と聞いておいてなんだが、ひどく嬉しそうな顔で大祐はパスタを口にした。
「で……。俺、リカをなんで怒らせたの?」
「ん。朝、大祐さん。俺なしじゃ困るって言ったでしょ?なんかそれってすごく違うって思っちゃったの。だって、困るって何?って。言葉のアヤだってわかってるんだけどね」
ああ、やっぱりそれなのか、と思った大祐は最後の一口を食べ終えて、ビールで口の中を洗い流した。
「ごめん。ふざけて何も考えずに言ったよね。俺」
「うん。私もちょっと朝は時間がなくて慌ててたし、ちょっと気が焦っていたからごめんね。でもね」
言葉を切ったリカがそっと手を伸ばして大祐の手に重ねる。言い難い時や寂しい時にリカがする癖のようなものだ。
「困る、困らないで一緒にいるわけじゃないでしょう?だからすごく嫌だった」
「そっか。今の俺はリカがいないと困ることがたくさんあって、それを素直に口に出したんだけど、それが初めじゃないこともわかってるよね?」
わかってる。
でも時々、例え、この左手に指輪を嵌めていても不安になるのだ。
慣れたくはない。
好きよりも、一緒に暮らしている日常が優先されないように、リカは時々背筋を伸ばす。
「……どうかな。大祐さんがいつ、私に飽きちゃっても仕方がないと思ってるわよ?」
心とは裏腹な言葉が口を突いて出てくる。だから可愛げがないと思われるのだとはわかっているが、素直にはなれないのがリカである。
初めからまっすぐな言葉などリカの中にはないのだ。
ふうん?と首を傾げた大祐もそろそろこういう時のリカには慣れてきた。
立ち上がってキッチンに食器を運ぶと、リカがそれに続いて二人で並ぶ。先に洗い始めた大祐の傍に立って、洗い終えた食器を拭き始めた。
「リカは、俺がリカのことを飽きることがあると思ってるんだ?」
「……そうじゃないけど」
「だよね?」
ちらりと一瞬リカの顔を盗み見た大祐の目が笑っていた。
一人で考えていた時はあんなに慌ててしまって、頭の中はぐるぐるといつまでも回り続けるネズミのかごのようだったのに、今は少しもそんなことは思わない。
―― まったく。配慮がなかったのは俺も悪いけど、怒るところがリカらしいよなぁ
洗い物を終わらせて、手を拭った大祐は最後の食器をしまったリカの腰に腕を回してひょいと抱きしめた。
「ね。じゃあさ。俺がリカに飽きて、それでも一緒にいないと困る事情があるから一緒にいるんだって考えたんだよね?」
「そんな、畳みかけられると困るけど……。まあ、それに近いというか……」
「ひでぇな。俺は、リカが好きで、好きだからいないと困る。だからリカも同じだといいなって思ったんだけどなぁ」
少し拗ねた物言いをしながらも目は笑っていて、本気じゃないことだけはわかる。
私だって、と言いかけたリカは、苦笑いで大祐の体に腕を回した。
「ごめんなさい。ちょっと嫌だっただけ」
「……今日、ずっとリカを怒らせたって頭の中真っ白で、たぶんさっきのとこが怒ったところだろうなっていうのはわかったけど、理由もわかんなかったから考え込んじゃったよ」
―― だって嫌だったんだもの
大祐がいないと困るんじゃない。傍にいたいだけなのに。
「でもわかった」
少しだけ甘えて寄り添ったリカは大祐の顔を見上げた。
そこには、1つしか違わないのに、妙に大人の男の人の顔。
「切なくなったんだね。ごめん。俺が悪かった」
切なくなった、という絶妙なひと言でリカの気持ち事抱きしめた大祐は、リカの眉間に軽く唇を寄せた。
「でも覚えておいて。俺がリカに飽きるとかありえないから。たとえ、リカがおばーちゃんになってしわしわになっても、その時にはじーさんになった俺が必ず傍にいるからね」
鬱陶しくても知らないよ。
おどけて見せた大祐にリカは笑い出した。
「そういえば大祐さん、眉間にしわよせるもんね?」
「それはリカだって一緒でしょ?」
「そんなことない!大祐さん、眩しいとかすぐにここに皺寄せてるもの」
本人は自覚がないのか、片手ですりすりと眉間を触っている。今はなくてもずっと続けていたらなかなかの貫録のある広報官に見えそうなくらいだ。
するっと額にかかる前髪をかき上げた大祐が少しだけ頭を下げる。
「じゃあ、しわしわのじじいにならないように、リカがおまじないして」
「おまじない?!」
「そ」
その体勢を見ればどうしてほしいかすぐにわかる。目を伏せた大祐のまつ毛が長くてしみじみと見入ってしまった。
少し背伸びをしたリカが大祐の額にキスをする。
「おまじない。しわになりませんように」
「それを言うならリカも俺のこと悪い意味じゃなくて、いい意味でずっとドキドキさせておいて」
「それには自信があります」
ぷっと吹き出した二人はそのまま抱き合って、大祐がリカを部屋に連れて行く。
「はい。仕事、持って帰ってきたんでしょ?」
「……なんでわかったの」
「リカがいないと困っちゃう男だからです。……さ、仕事、早く終わらせてしまいなよ。それで、一緒に寝よ?」
ん?と首を傾げた大祐に、こくん、と頷いたリカはいつの間にか自分が小さな少女になったような気がした。
「大祐さん、こんな私、面倒くさいって思ってるでしょ……」
バックから資料を取り出したリカが上目づかいに大祐を覗き見る。食後のお茶を入れなおしてきた大祐が眉を上げて見せた。
「そんなことないよ。そうだな。この指の先の爪の脇にちょっとだけ爪の端っこがささくれてるでしょ?」
リカの目の前に指先を持っていった大祐が爪の端の方を示す。ああ、確かにささくれている、と思ったリカの目の前から大祐の指先が消える。
「このささくれくらいかな。面倒だって言ったら」
「え!それって、結構面倒だってこと?」
眉間に皺を寄せたリカにひょいっと手を伸ばした大祐が爪切りを手にすると、ぱちん、とあっという間にささくれを切り取ってしまった。
「このくらい面倒だってこと」
―― それに、俺は幸いなことに、リカの面倒はいうほど、キライじゃない。いや、むしろ大好きだ
鼻白んだリカの背後から抱きかかえるように座りながら、テレビのリモコンに手を伸ばす。
「リカこそ、俺のことが面倒だって思う前に、早く仕事終わらせてね?」
明日も朝からばたばたするに違いない。二人で暮らすようになったからこその、些細な、ほんの爪の先ほどの…・・・。
–end