ちらりと腕時計を気にした姿に気づいた比嘉は、顔を横に向けた。
「どうしたんですか?空井一尉」
「あ……いえ。なんでも」
「先ほどから何度も時計を気にしてらっしゃいましたねぇ」
使い慣れた腕時計を片手で押さえた大祐が目の前のPCに視線を戻す。
「今日、帝都の見学者コースの中で稲葉さん担当する情報局を回るツアーをやるんだそうです」
「ほお。普通のコースではなく情報局さんの中が見られるんですか?」
「たぶん。いや、詳しくは聞いてないんですけどね」
苦笑いした大祐をみておや、という顔になる。
「きっと……、僕らと同じですが、きっと彼女も白と黒の間のノイズに悩まされてるんだろうなと思うんです」
「ノイズ」
繰り返した比嘉に周りにいた者たちもちらりと視線を向けた。
「ええ。ノイズ。特定の悪意があるわけじゃなくて、ただ漠然としたイメージでこうだろうっていうもやもやしたものですね。僕らもそうじゃないですか。一般の皆さんのイメージって」
「ああ。なるほど。そう言われれば確かにそうですね。でも、稲葉さんのお仕事はどちらかといえばその手のものを作り出す側でもあるのでは?」
「そう……でも、あるんですけど。彼女のいる環境の中にもたくさんノイズがあって、あの人は相変わらず戦う人だから……」
薄々事情がみえたのか、比嘉はようやく大祐が気にしていた理由が分かった気がした。リカはあの頃から、自分の働く場所でも戦う人だったからだ。
職場でも、小出しにしているとはいえ、相変わらずガツガツとやっているのだろう。
そして、だからこそ受ける傷も多い。
「その一般見学のツアーは直前でも申し込みできるのでしょうか?」
「えっ……。それはできるかもしれませんけど。でも」
昨日、リカはいいだしておいて、ひどく躊躇した後に来なくていいと言ったことを思いだす。
きっと、来てほしいというリカの気持ちはどこか本当で、そして見られたくはないという気持でもあったのだろう。
目の前の画面には開いたままの書類が途中まで書きかけで止まっていた。
「この書類、まだ仕上がってませんし、それに、きっと、彼女は見て欲しくないんじゃないかと」
かち、かちかちっと操作をした後、あっという間に比嘉は自分のパソコンの電源をオフにした。
「何してるんです?行きますよ?」
手元で携帯を弄りながら比嘉が席から立ち上がる。驚いた大祐が比嘉を見ていると立ち上がった比嘉はさっさと室長室へと入っていった。
ほんの1,2分で戻ってきた比嘉は、デイバックを持ち上げると大祐を見る。
「や、の、比嘉さん?!」
「今、サイトから帝都テレビさんの見学ツアーに申し込みしました。さ、急いで着替えないと間に合いませんよ」
「えぇっ?!」
椅子を倒しそうな勢いで立ち上がった大祐の腕を掴むと比嘉はぐいぐいと広報室から出ていく。ほかの隊員たちは何事かとそれを見ていたが、室長室から顔を見せた室長が両手を上げて、まあまあ、と示したために顔を見合わせるだけに留まる。
スーツに着替えた大祐を引きずる様にして比嘉は急ぎ足で駅へと向かう。
「比嘉さん!比嘉さん!ってば!」
「なんでしょう」
「駄目ですよ!リカは来なくていいって言ってたんですから!」
「そうですか。でも僕は一般見学者として申し込んだだけですよ」
駅に着く直前で、大祐は比嘉の腕を掴んだ。
「比嘉さん!!」
「空井一尉。曇り空なら空井一尉が青空にしてあげたらいかがですか?逆もまたしかり。曇り空なら稲葉さんの力を借りることもよろしいかと」
「でもっ」
ぱっと手を上げた比嘉は首を振った。
「時間がありません。急ぎましょう」
「比嘉さん」
「お二人とも、他人に甘えるのが下手なのは仕方がありませんが、ご夫婦になったんですからもう少し考えるといいと思いますよ。さ、まずは稲葉さんのところへ行きましょう」
足早に帝都テレビに向かった比嘉と大祐は、コース開始直前にロビーにたどり着いた。
「見学の方ですか?」
総務担当の女性がビジター用のネックストラップを比嘉と大祐に差し出して名前を確認する。
ボードでチェックを終えて人数が揃ったのを確認したところで、階段を背に手を上げたリカが目を丸くして驚いた。
―― なんで?!なんで大祐さんだけじゃなくて比嘉さんまで?!
「稲葉さん、時間ですし、皆さん、揃われたのでになりましたので始めましょう。それでは皆さん!今日は、帝都テレビの見学ツアーにお申込みいただいてありがとうございます。本日担当させていただく、須永とこちらが稲葉です。よろしくお願いいたします」
揃って頭を下げた女性二人が立つと、ぞろぞろと列は動き始めた。