FLEX98*~グレイノイズ-6

30分と言っていたがそれよりもだいぶ過ぎてから、リカが局の入り口から走り出てきた。

「すみません!遅くなってしまって……。よっぽどどこかお店で待っててくれてよかったのに」

途中でもう少しかかりそうだと連絡を入れたリカに、ベンチで待ってるから気にしなくていいと大祐は返信を返したのだ。
比嘉とこうして他愛のない四方山話をするのも楽しくて、そのまま男二人でひたすらしゃべっているうちに時間はあっという間に過ぎていた。

「いやぁ、もう少しかかってもいいくらいでしたよ?稲葉さん」
「ほんっと。比嘉さん、なんでそんなになんでも知ってるんですか?」
「人徳です」

妙に楽しそうな二人に、リカがきょろきょろと二人の顔を見比べてから、お店、行きましょうか、と促した。

夕食もかねてということで、いつものバーよりももっと食べ物がある方を選ぶ。りん串に雰囲気が似た、無国籍料理の店へと入る。

「じゃあ、今日はありがとうございました」
「お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」

ビールジョッキで乾杯してからぐーっと最初の一口が喉を流れていく。思わず、炭酸から息を吐いた。

「はぁ……」
「本当に、今日は稲葉さん。楽しいツアーに参加させていただいてありがとうございました」

ぐったりと一日の疲れを吐き出すようなため息をついたリカに比嘉が労いの声をかける。慌ててリカは口元を押さえた。

「すみません。つい……。えと、こちらこそ参加していただいてありがとうございました。いかがでしたか?」
「アンケートにも書きましたが、面白かったです。非常に参考になりました」
「そう言っていただけると嬉しいです。本当にびっくりしました。総務の、もう一人いた案内役の方が受け付けているので私は下に降りるまで全然知らなくて」

嬉しくもあるが、困惑の方が強い。そんなリカに、軽く身を起こした比嘉がジョッキを置いた。

「稲葉さん。お仕事時間ではないのはわかってますが、お願いがあります」
「はい。なんでしょう?」
「帝都テレビさんの見学ツアーですが、通常は月に2度程度、組まれてますよね」

よくしらべているものだ、とリカは素直に頷いた。
2週間に一度のペースで見学ツアーは受け付けている。それが今回の企画でもある。

「実は、うちの広報のものをそのツアーに参加させていただけないでしょうか」
「……はい?」
「実は、各基地では航空祭や、地域のイベントなどに参加したりしているんですが、やはり皆、もとはその手の専門ではないんです。僕らでさえ、地方の渉外室よりは詳しいですが、やはりプロではありませんからね。そういうときの対処や企画など、勉強させていただくにはいい機会だと思いまして」

片山も広告代理店に勤務していた経歴がある。民間企業が自衛隊に研修と称して、訓練に参加することがあるならその逆もまたしかりである。

「どうかご協力お願いできないでしょうか」
「ちょ、比嘉さん。やめてください」

テーブルに手を置いた比嘉は、リカに向かって頭を下げた。慌てたリカが手を上げると、ゆっくり比嘉が頭を上げる。

ずっと承認試験を受けずにいたが、片山が移動してずいぶんだってから、少しだけその考えも変わってきた。
受け継ぐのは自分だけではだめだと思うようになったのだ。それからずっと室長と共にいろんな案を検討している。

「初めは空幕広報室のことだけを考えていたんですが、それだけじゃだめなんですよねぇ。松島に空井一尉が勤務した後、初めて広報官になった隊員がいて、今は随分、困っていると聞いていますし、僕は、せっかくこうしてできた人脈は活用させていただく主義なので」
「そんなこと、していいんですか?」

思わず問いかけてしまった大祐に比嘉は悪戯っぽく目をくるっと動かして大祐と、リカの両方の顔を見比べた。

「僕は、とても利己的なのかもしれません。自分達がよければいい。そう思っていると思われても構いません。でも、どうせならどちらにもメリットがあるともっといいかなと思ってます。なにせ、詐欺師鷺坂リスペクツですから」

悪巧み、と言う顔で案のいくつかを提示した比嘉に、怪訝な顔をしていたリカも徐々に頷くときちんとした形で話を聞かせて欲しい、と口にした。
ひとまず、翌日の打ち合わせを約束して、仕事の話は終いになったが、比嘉はまるで二人が距離をあけているかのように、その間に立っていた。

「これは僕の一方的な見立てですけどね。空井一尉も、稲葉さんもご夫婦になったのに、お互いに遠慮しているようにみえて、時々歯がゆくなりますよ」
「そんなことは……」
「ないといいきれますか?空井一尉。稲葉さんがお疲れだからといって、空井一尉だって疲れたときは疲れたでいいと思うんです。皆同じなんですから、いつまでも他人行儀な気遣いをしていると、自分で自分の首を絞めるようになりますよ?」

リカも同席しているからと答えに詰まった大祐をリカがじっと見つめていた。

「稲葉さんもですよ?空井一尉は男ですからね。気を使ってばかりじゃなくて、もっと、疲れてるんだからってぶつけちゃってもいいと思いますよ?僕は、どんな関係でも、人は縁だと思うんです。縁は意味があって出会ったのだと思いますから、それこそ、ずるくてもなんでも、場合によっては最大限に利用してもいいと思ってます。空だけじゃありません。人も、繋がってますから」

ちらりとリカは比嘉を見てから、大祐の顔を見た。
お互いに、このところ、忙しくて、互いの気遣いを申し訳ないと思いながら、気を使いすぎて何も言えなくなっていたのも事実だ。それが余計に二人を疲れさせていたことも言われてみると、なるほどと思う。

「よく話し合うといいですよ。これは、夫婦の先輩からのアドバイスです」

そこまで言ってから、食事を終えると、早めに帰ることにして店を出た。
比嘉と駅で別れた後、並んで電車に乗ったリカは、吊革につかまっていた手を大祐の腕へと移す。

「……大祐さん。最近、忙しかったの」
「あっ、いや、俺が忙しいっていっても昼間だけだし、リカみたいに遅くまではないでしょ?」
「それ、無理してたわけじゃないよね?」

上目遣いで不安げに見上げたリカの腰に腕を添えた大祐は、困ったように笑った。

それは、リカが不安になるようなことではない。自分が好きでやっていることで忙しいなら自分がやればいい。ただそれだけのことなのだ。
だが、リカはそうは言わなかった。

「ねえ。大祐さん」
「ん?そんな顔しなくても……。無理なんてしてないよ?」
「違うの。無理しててもしてなくてもいいから、もっと……、なんていうか」

どういえばいいのだろう。
話がしたい、というのが一番なのだが、ただ話せればいいわけではない。

そうこうしている間にも駅についてしまい、電車を降りた二人は家に向かって歩き出す。
二人で暮らせるようになったら、きっとすべてがうまくいく。そんな風に思っていたのが今更愚かだったと知るなんて。先達たちは簡単ではないと言っていたのがこうして初めてわかる。

「私……」
「リーカ」

電車の中で引き寄せられた体はそのままいつもなら手を繋ぐのに、二人を傍に近づけていた。

投稿者 kogetsu

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