〜はじめのお詫び〜
そろそろ作戦発動ですねー
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「近藤局長、土方副長。永らくの療養休暇、誠にありがとうございました」
「本当に、こいつが迷惑をかけたようですまん」
近藤と土方を前に、セイは頭を下げた。その隣に座った松本が一緒になって頭を下げた。
「うむ。松本法眼、どうぞ頭をあげてください。此度のことは神谷君に非があるわけではないものですから、神谷君も元気になって戻ってくれれば何よりだよ。なあ、トシ」
「戻ったからといってことが終わったわけじゃねぇからな」
「トシ、お前もう少し言い様が……」
「事実じゃねぇかよ」
セイは土方の言葉に頷いた。確かに、これからが本番である。
隊内の仕事に親が口を出すことではない。心配ではあるものの、それを止める手だては松本にはない。
「俺がどうこう言える立場じゃねぇが自重しろよ、セイ」
「わかりました。松本法眼」
「おめぇ、こういう時くらい、義父上って言いやがれ」
「あ……すみません。義父上」
背後に控えていた総司がくすっと笑った。咳払いをして背後にいる総司に土方が顔を向けた。
「笑ってる場合じゃないだろうが。そっちはどうなんだ、総司」
「ええ、こちらも順調ですよ」
落ちついた声音で総司が答えた。
セイの覚書についての噂は、実は新井が預けただけだったという話で順調に広がって行っている。一度、噂の下地がついているだけに、その広がり方も早かったし、噂の常として新井を避けて噂が広まって行っていた。
「そうか。お前は今夜は夜番か?」
「違いますよ。ただ、仕事が残っていますからしばらくは屯所に泊まるつもりでいます」
「よし。お前もしばらくは屯所に泊まれ」
土方の言葉にセイは頷いた。それからしばらく松本と近藤が語らっている傍にセイは控えていた。
土方と総司は、隣の副長室に移って何やら打ち合わせをしていたらしい。
暇を告げた松本を送ってセイが門外まで送って行ったあと、診療所には原田と永倉の姿があった。
「どうかと思ったが、思った以上に食いついてきたな」
「確かにな。こんなべたべたの策にのってくるとはなぁ」
まだ新井の耳には届かぬように配慮してあったが、セイが屯所に戻ればいつ耳に入っても構わないだろう。
開け放った障子からはわずかだが秋を思わせる風がそよと入り込んできている。
「ああ、なんか急に涼しくなってきたなぁ」
「日差しはまだまだ暑いけどな。暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもんだぜ」
茶をすすりながら二人は呑気な会話をしている。そこに総司がやってきた。
「あれ、原田さん、永倉さん」
「おう、総司か」
「今日の夕飯は豆腐の葛餡らしいですよ。楽しみですねぇ」
にこにこと診療所の中を見て歩きながら総司は楽しそうに言った。
穏やかな顔をして特に用もなさそうなのに、組長が三人も集まっている。セイがいればそれも不思議はないものの、セイが不在の間もこうして常に誰かが出入りしている。
診療所詰の小者達は、慣れたものでそれが当り前のように動いている。
外を回ってセイが診療所の小部屋に入ってきた。部屋の入口で一瞬、足が止まった。
綺麗に整えられているものの、セイの脳裏にはあの夜のことが思い浮かんでいる。
「あれ?神谷さん。どうしました?」
ひょいっと顔をのぞかせた総司は、セイの元へ行くと、手にしていた荷物を受取って中へと連れて入った。
「どうしたんです?貴女の部屋じゃないですか」
笑顔のままの総司をみて、セイは頭の中を振り払うように首を振った。自分から言い出したことだ。
「いいえ、なんでも。久しぶりだな、と思っただけです。沖田先生こそ、お仕事いいんですか?」
「松本法眼がお帰りになったみたいなので貴女も戻ってくるだろうなと思ったんですよ。私は隊務に戻りますけど、大丈夫ですか?」
「ええ。大丈夫です」
応えたセイを、総司はその腕にそっと抱きしめて、セイの背中を軽く叩いた。
それだけでセイは、心が落ち着くのを感じる。ふ、と口元に笑み浮かび、総司がその腕を解くとセイは総司とともに診療室側へ回った。
「原田先生、永倉先生。永らくお休みをいただきました」
「神谷〜!お前がいないと屯所が寂しくてしょうがねえよ!」
「全くだよなぁ〜世話好きのお前がいないと俺達はやっていけねぇよ」
楽しげに笑う二人を前にすると、本当に屯所に戻ってきたのだと実感するようで、セイも嬉しそうに笑った。
それからセイは、いなかった間のことを小者から聞き取り、必要な指示を与え、不足の薬を買いに行かせたりと、忙しく立ち働いていた。
隊務に戻った総司とは別に、原田と永倉はついに将棋盤を持ち出して診療所の一角に居座り続けた。
夜半、外出の仕事から解放された新井は屯所に戻っていた。伊東からの呼び出しを告げたのは、三木だった。
さりげなく、夜遊びを装って三木とともに新井は外出した。三木が思いのほか不機嫌そうな様子に、しばらく屯所から離れて仕事についていた新井は、まだ屯所に広がる噂を知らない。
「三木先生、何かあったのでしょうか?」
「何かも何も……話は兄上から聞きたまえ。僕は知らない」
突き離したようにそういうと、三木は伊東の妾宅へ急いだ。その後をついて、歩いていた新井は、無性に嫌な予感に包まれた。何が、あったのかはわからないままに良くないことが起こった。それだけは新井の歩む足取りが急ぐことに現われていた。
妾宅につくと、花香はおらず、内海が迎えに出た。内海はいつもの淡々とした表情で二人を迎えると、奥にいる伊東の元へ案内した。
酒を傾けていた伊藤は、新井の姿を見ると一転、険しい表情になった。
「伊東先生!何かありましたでしょうか!」
新井は伊東の前に手をついて、このざわざわと広がる不安を一刻も早く拭いたくて問いかけた。伊東の目が冷やかに新井を見ている。
「新井君。君はどうやら失敗したようだよ」
「どういうことですか!」
「君は、まだ噂を知らないんだね。君の動きはどうやら監察方の山崎君達に知れていたようだよ」
内海から、今屯所に流れている噂を聞かされた新井は、愕然とした。いつの間に自分が覚書の調べ主とされて、セイはその覚書を預かっただけの被害者ということになっているらしい。
「そ、そんな!何故そのようなことに!」
「君はしくじったんだよ。清三郎を害した奴を探るうちに、噂を流したものと害した者が違うことを気づかれたんだよ。だから君の動きを封じるために逆の噂を流されたのさ」
「伊東先生!!私は」
ぱちんと白扇を開いた伊東は、ひどく不快そうに新井から目線を外した。
「もう、いいよ。新井君。君は失敗した」
「い、伊東先生!私をお見捨てになるのですか!」
もういいとばかりに云い棄てられた新井は、伊東に取り縋った。その肩を、背後に控えていた内海が引いた。有無を言わせぬ力が込められた手に、新井は怯えた。
「新井君。伊東参謀は見捨てたりはしないよ。ただ、しばらく自重してくれたまえ。こちらとの接触も極力避けた方がお互いのためにはいい。わかるね?」
「う、内海先生……」
不覚にも涙ぐんだ新井は、内海の腕を掴んだ。心酔する伊東に見捨てられては、新撰組のどこに身を置くことができようか。今は内海の言葉を頼りにするしかない。
内海に促されて、新井は部屋から連れ出されると、そのまま玄関口へ出た。何度も内海を振り返り新井は、くどいほど繰り返した。
「本当に、伊東先生はお見捨てにはならないですよね?内海先生」
「ああ。本当だよ。伊東先生はお優しいからな」
繰り返されるたびに、内海は何度も頷いた。それが真実であろうとなかろうと、面倒事に当たるのが内海の立場である。
とぼとぼとした足取りで屯所に向かう新井は、うまく浅野を操って覚書を手に入れてはどうか、と思い立った。
それならば浅野と武田の所業が表沙汰になるだけでなく、伊東は自分を見直してくれるかもしれない。
セイは、ちょうど屯所に戻ってきて、しばらくは総司が忙しいため屯所に留まるらしい。
機会はある。
診療所の作りは頭に入っている。あとは機会を狙うだけだ。
思い立った案に気を良くしたのか、新井は急ぎ屯所へ戻ることにした。
– 続く –