とあるお仕事の話。
職場で、お客さんと会話する前の事前打ち合わせをしていた時に、予算に合わせるとこのくらいしかできない、ただ安全策ならこういう方法もある、という案を出したんですわ。
上席はそもそもの知識が全くないので、ドキュメントでエビデンスをとる、のではなく、動くものをみせて、見た!といってもらうことが必須だというわけで。
そりゃ、どっちもあるにこちたことはないんですが、動くものをみた、という記憶だけで返事をもらってもさっぱり言質を取ることにならないので、その案は引き下げたんだけど。
「機嫌悪くなった―」
って、軽口たたかれてハイ?ってなった。
ディスカッションじゃないの?
案に対して、費用と見合わない確認を求められたからそれを下げただけじゃないか。
引き下がる=機嫌悪くなる、なわけか??
メリットデメリットがあるのでその説明前に話をぶった切られたということもあり、最後まで説明きいてもそうだったのかな?とは思いながら引き下げたから?
本人的には「あーあ。作業者も安全で楽だったろうにしょうがないなー」くらいですけどなんなんだかさっぱりわからなかった。
とりあえず「失礼ですね」って返しておいたけど、なんなんだろう?
なんでも思った通りのことができてハッピーっていうほど子供じゃないんだけどそう見えたのかなぁ。
そういえば、過労鬱な話題になり、まあそうだけどさ、と呟いてみる。
だって、現実はいっぱい残業している人のほうが忙しくて、定時で帰る人は暇なんだろうなっていうところが多いし、残業イッパイの人のほうが評価もされるし、半日トイレにもいきません、なんてこともあり得るし、いくら早く出社してもそもそもがあふれてるから片付いて空いた時間で早く帰れるんじゃなくて、やれなかったことをやるから早く帰れたりはしない。
いい悪いも何もなくそういうところが多い。
でも、そういうことって不幸自慢や自虐ネタらしいんだけど、そうみえるのか、というほうが興味深かった。
たぶん、そういうハードな状況にいる人は不幸だ、とはあまり思っていない。
大変だ、とは思ってるけど、成果だってあるだろうし、むなしい時もあるけど、それを何とか自分じゃなきゃこの仕事はできないんだって立て直して頑張ってるだけで、自慢でもなく、「こうなんだよね」ってそれだけなんじゃないかな。
大変だね、とか言われれば誰でも話の流れで、いやもっとひどいのもアルヨ、なんていうかもしれないけど、自慢でも何でもないと思う。
それに、おそらく自分の会社の中でもおかしいよ、とかもっと人がいないとできませんよとか言ってると思う。それでも全体最適化って末端からするわけじゃないからなかなか取り入れられないってだけで。
誰もいいとも思ってないし、おかしいとも言ってると思う。
でも、そういうのは自虐ネタだったり不幸自慢だと見えるなら、そっちも問題じゃないかなぁ?
不幸自慢ってことは自分だって大変だけど、そんな風に大変なことを声高に言ってないわ!なのか、もっと私のほうが不幸だけどそんな状況には陥ってないわ、なのかどっちなんだろう?
またはそのほかの選択肢もあるのかな?
自虐ネタって、それでも頑張ってるけどどうしようもないんだ、という言い訳だったり説明のための振りで、それを責められるシチュエーションがどうなんだろう?ってことじゃないかな。
違うかな。やんわりとそういわれても困る、という反論てことか。。。
でもそれを聞いて自虐ネタ言われたってわからないわよ!やりなさいよ!って言われてもねぇ。
無い袖が振れないように、誰でも24時間しかないのだ。
それに残業しないと固定給では厳しいかもしれない。
昨今の給与事情を考えると基本給で十分余裕がありますなんて人は一握りいればいいほうなんじゃないだろうか。
私もだけど、普段はちょっと残業してそのくらいでちょうど。ちょっと残しておけた月と使っちゃった月があるかな?ってかんじだけど、残業まったくなしの月は、大卒初任給って今いくら?!って聞きたくなる。
逆にちょっとハード気味だけどガンバったぞ!という月は余裕ができる。
貯金って、やっぱり最後の砦だからそれには手を出さずにやっていこう!ってなるといろいろ限度ってものがある。
なかなか世の中はきれいごとでは済まない、という話。