「……って聞いてます?空井さん」
「えっ!?はい!はい、もちろん聞いてます」
「じゃあ、私が今何を言ったか言ってみてください」
決してボーっとしていたわけではないが、目の前に座るリカが目を吊り上げてじっと見ていた。
ごく、と飲み込んだ大祐は、視線を彷徨わせた後、手にしていたリカが持ってきた資料に目を走らせる。
「……えー、このタイムスケジュールについて」
「違います」
「……」
言いかけたとたんにぴしゃりと遮られてぐうの音も出なくなる。
しまった、と両目を閉じて叱られる気で口を開きかけたところに、コーヒーカップを手にした鷺坂が傍に立った。
「なに、なに?稲ぴょんの話きいてないの?悪い奴だなー、空井」
「いえ、あの、そういうわけでは……」
これは、さらにまずい、と腰を上げた大祐が、鷺坂を遮ろうとするが、間髪入れずにつりあげた目のままでリカが大祐を睨んでくる。
「そういうことですよね?せっかく説明してたのに!」
「空井。仕事だろう?稲ぴょんをデートにでも誘うつもりだったのかもしれないけど、それは後にしなさい」
「ちがっ!!それは室長が……!」
「悪いね。稲ぴょん。ほら、男ばっかでもう女性の扱いに慣れてないのよ」
りん串での飲み会にリカを誘えとは言われていたが、それを持ち出してくるのは反則技だ。
目を向いた大祐をまあまあといなして、窓際に押し込んだ鷺坂はその隣に腰を下ろす。
「それで、どうなの?稲ぴょん」
「ええ。先ほども申しあげたとおり」
一度、わざと言葉を切って大祐を見てから続きを口にする。
「習志野からこの市ヶ谷のグラウンドへ移動してきたところを取材させていただきたいということで。おそらく日中だと思いますが、お天気次第でも状況がかわるそうなんですが?」
「あ、はい!そうです」
ようやくリカが一生懸命話していたことが飲み込めて、慌てて頷くと、鷺坂がうんうん、と首を振った。
「どうしてもね。そこは事前に共有するのが難しい話だから」
マスコミに話せる情報とそうでない情報がある。その線引きがあることは理解したうえでのリカの問いかけに鷺坂が踏む、とコーヒーカップを手に腕を組んだ。
「稲ぴょん、その間待機してってなったら待機できるの?」
「それは……、調整します」
「ふむ。空井。予定期間の中で時間帯は絞れるの?」
何日から何日という日程はある程度絞り込まれたが、その時間帯まで絞れるかという問いかけに大祐は動きを止める。すぐにその答えが出るわけもなく、顔が引きつってしまった。
わざわざ聞き耳を立てていたわけでもないが、くるっと椅子を回した比嘉がクリアファイルを手に立ち上がって背後から大祐と鷺坂の間に差し出す。
「……空井二尉」
「あっ、ありがとうございます!」
そっと声をかけた比嘉はリカに、にこっと笑みを浮かべて頭を下げる。ファイルを受け取った大祐がそのまま鷺坂に見えるようにして互いに覗き込んだ。
展開するなら日中に限られては来るが、機材が大きいだけにあまりに目立つ時間はさけるものだ。
いたずらに動揺を招かないようにということはわかるが、報道する側としては取材をしたい素材でもある。
「じゃあ、こちらから、期間中の想定される時間帯を提示しますので、改めて調整してもらえますか」
「承知しました」
本来、大祐相手に調整をしようと来ていたはずだが、鷺坂のおかげであっという間に話は片付いてしまった。
大祐が面目をなくして俯きかけたところに鷺坂が再び反則技を仕掛けてくる。
「それで?空井。稲ぴょんを誘ったの?」
「えっ!いや!デ、デートになんてっ」
ぶんぶんと手と首を全力で振った大祐に、密かにリカの目が泳ぐ。
―― そこまで否定しなくてもいいじゃない……
一瞬、浮かんだ気持ちはひた隠しにして、鷺坂へ視線を向ければ、意図的に大祐が視界から外れる。
大慌ての大祐と目が泳いだリカをしっかりと見ていたくせに、鷺坂は何事もなかったように笑みを浮かべた。。
「デートじゃなくて、今夜の飲み会だよ、飲み会。りん串が、『今が旬のおいしいヒラメ入りました』って。あそこ、焼き鳥屋だってこと忘れてんじゃないの?」
ああ、なるほど、と頷いたリカはちょうどテーブルに置いていた手帳を開く。今日は打ち合わせもなくて、この話が長くかかるようなら直帰でもいいくらいだ。
「大丈夫だと思います。是非、参加させていただきます」
「よかった。じゃあ、今夜。楽しみにしてるから」
「よろしくお願いします」
その場で頭を下げたリカに、ひらひらと手を振って、鷺坂は自分の部屋へと戻っていく。それを見送ると、残された大祐とリカは互いに顔を見合わせた。
「あ……。あの、すみません。聞いてないわけじゃなかったんですけど、色々考え事しちゃってて」
「いいんです。私も突っ込み過ぎちゃいましたけど、鷺坂さんのおかげで話がまとまったので、十分です」
詫びを入れた大祐には、鷺坂のおかげと言われると追い打ちをかけられているようで、ずっしりへこむ。無表情ながら僅かに顔が強張ったことに気付いたリカは慌てて、早口にまくし立てた。
「そうですよね。重要な情報ですから、勝手に話せませんよね。それなのに、私の方が勝手に簡単に決めてください、なんて押し付けてしまって、申し訳ありませんでしたっ!!」
大祐の事を意識するようになって、初めはわかりづらい、面倒な相手だと思っていたが、くるくると変わるその表情と、時にポーカーフェイスでわからない時の違いに最近になって気づくようになってきた。
自分が無意識に地雷を踏み抜いているかもしれないと思えばこそ、すぐフォローに入るのも心がけている。
苦笑いなのか、曖昧に笑った大祐はファイルを裏返してから手を置いた。
「いいえ。自分がまだまだスムーズに稲葉さんたちに情報を渡せていないのが悪いんです。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「いえいえ、こちらこそ……」
テーブルを挟んでお互いに、頭を下げあっている姿にすぐ隣の席からついに突っ込みが入る。
「あんたたち、何やってんの?そんなのどっちが悪いわけでもないでしょうが」
「いや、ここは僕が」
「いえ、私が空井さんにご迷惑を」
全く同じタイミングでそれぞれが自分が悪い、と言いかけて顔を見合わせた大祐とリカに、呆れた顔を向ける。
「面倒くさい。もういい、わかった!お前ら二人とも今夜罰ゲームな!」
「罰ゲーム?!」
「そ。ネタは考えといてやるから。以上!」
とん、と作りかけだった書類を机の上で整えた柚木が立ち上がった。槇の頭を通りすがりに書類で叩いて広報室を出て行く。
何で俺が、と呟いた槇に恨めしげな顔を向けたれた比嘉が密かに、まあまあ、と宥めていた。
—続きます。てへ。