怒ってねーよ!~片山も時には。

「え?片山さんがですか?」

日曜の夜、二人そろって寛いでいた大祐の携帯が鳴った。仕事以外では最近、ようやく暮らし始めた二人の邪魔をしないようにとほとんど飲みの誘いも減っているというのに、珍しい。

携帯に手を伸ばした大祐は、携帯の着信が槇となっていることにおや、と思いながら電話に出た。

「はい。空井です。こんばんは」
『槇です。休みの日に悪いね』
「いえ。どうしました?」

ソファから立ち上がってベッドの方へと移動した大祐に気遣って、リカも見ていたテレビのボリュームを下げてキッチンへと移動する。聞かれてまずい話しなら、そういう風に話をするだろうが、お互いにそこは仕事柄と言うこともあった。

大きな音をたてないように、冷蔵庫の中をあけてから、翌日の朝食用にでもと、買っておいた林檎を向き始める。塩水を作ってその中に一片ずつ浮かせながら、大祐の様子を伺った。

『ちょっと、鷺坂室長から連絡があってさ。気になったんだけど、空井君、最近片山と連絡取ったりしてる?』
「片山さんですか?えーと……、二週間くらい前かな。空幕の方に電話があって、ついでにちょっと話しましたよ。相変わらず奥さんののろけ話でしたけど」
『あっそう。ふーん……』

妙に歯切れの悪い槇の口調が気になった大祐が、口を開こうとするよりも先に、向こう側の電話が奪い取られたらしい。言い争うような声がしたと思ったら、電話口に柚木が出る。

『空井。あんた明日、時間ある?』
「え?あ、柚木さん、こんばんは」
『こんばんは、じゃなくて。あと、稲葉も一緒にさ。ちょっとこっちからは遠いんだけど、りん串でいいよね?』
「あ、ちょ、そんな、リカにも聞かないと……」

勝手に予定を決めようとする柚木に慌てた大祐は、立ち上がって部屋の方へと顔を向ける。キッチンに立っていたリカをみて、大股に歩み寄る。

何事かと目を向けていたリカの目の前に立って、受話器を押さえた。

「槙さんと柚木さんなんだけど、明日時間ないかって。りん串だって」
「あー……、ん、月曜日だし、時間にもよるかな。八時くらいだったら」

頷いた大祐は携帯を耳に当てると、大丈夫だと言った。

「いきなりどうしたんですか?」
『ちょっと片山のことで話があんのよ。アタシはさ、ほっときゃいいと思うんだけど、鷺坂室長の耳にはいっちゃったみたいだからうちのがうるさいんだよね』

電話の後ろからうるさいはないでしょうが、と変わらない突っ込みが聞こえる。くすっと笑いながら、大祐もうちは大丈夫です、と繰り返した。
りん串で待ち合わせる話を決めて、詳しくは明日という柚木の電話を切る。

槇だったら今でも訳を教えてくれてそうだったが、面白がっている風の柚木は何を聞いても明日、明日、と言って一方的に話を終わらせてしまった。

「どうしたの?なにかあった?」

携帯を切った大祐に心配そうな顔を向けたリカが、手を拭きながら傍にやってくる。立ったままでリカをぎゅっとハグした大祐は、なんだろうね?、とぼんやり呟いた。

「よくわからないけど、片山さんがなんかしたみたい」
「片山さん?……電話、誰から?柚木さん?」
「んー。最初は槇さんで、途中から柚木さんが電話を奪ったというか……」

ふうん、と呟いたリカはどうも何やら心当たりがあるようで、何か考えながらキッチンに戻っていく。朝食のつもりだったが、切り終えた多少いびつな林檎を持ってテーブルの傍に座る。

「もしかしたら、なんだけど……」
「ちょっとまって。リカ、何か知ってるの?なんで?片山さんのことしってるわけ?」

地方の総務班長とリカが、大祐の知らないところでプライベートにやり取りするほど、いくらなんでも片山と仲がいいと言うのは初耳だ。
少しだけ、目つきの鋭くなった大祐の口元に呆れた顔でリカは林檎を運ぶ。

「落ち着いて、大祐さん。私が片山さんと連絡を取るなんて、大祐さん経由じゃなきゃなかなかありません。それにプライベートだったらもっとです。先に柚木さんや比嘉さんに相談するなりなんなりしてると思います」

確かにそれはそうで、もぐもぐと両頬を膨らませた大祐がしぶしぶと頷いた。
それをみてほっとしたリカは、あのね、と話を切り出す。

「たまたま、なんだけど……」

藤枝から、最近片山の様子がどうにもおかしい、と聞いたのだという。

「稲葉さ。最近片山さんと連絡取ったりしてる?」
「なんでよ。藤枝は男同士の話があっても私はないもの。せいぜい、大祐さんや元の広報室のメンバーにLINEの使い方、教えるために作ったグループくらいで、相変わらずよ?」

特に用もなければ、連絡を取ることもない。きょとん、としているリカに、ふーっとため息をついた藤枝は自分の携帯を取り出すと、リカの目の前に差し出した。

視界に入ったのは、片山を差出人にしたメールで確かに普段と違う。

『最近、眠れないんだよな。藤枝ちゃんはそんなことにはなったことないだろうけど』

「何?これ」
「片山さんのお悩み相談。眠れないっていうんだよ。おかげで、毎日夜になるとこれ。奥さんが眠るまでは奥さんの相手してるんだろうけど、奥さんが眠った後かなぁ。ずっとこれ」
「これ?これって……」

ひょい、と肩をすくめた藤枝がざーっとリカに見せていた携帯の画面をスクロールさせる。
まるで詩人の様な呟きが延々続いていた。

「え……。えぇぇ?これずっと?」
「まあね。ここしばらくは」

しばらくと言うのがどのくらいかもわからないが、さすがにそれはどうかと思われた。

「これ、なんかまずくない?」
「ま、片山さんのことだから大丈夫だろうけど、な」

一応耳に入れておくと言った藤枝に頷いたのは先週の話だ。

「藤枝は片山さんのことだから大丈夫だって言ってたんだけど、もしかしてその話じゃないかしら」
「へ……ぇ。片山さんが眠れない、かぁ……」

しょりしょりと林檎を口にしていた大祐は、首をひねった。あの片山に限ってそんな繊細なことなどあるだろうか。

「うん。まあ、あの片山さんだしねぇ?」

リカもなんとも言えなくなって顔を見合わせる。芦屋の片山の心配を東京でしていても仕方がない気がするが、とりあえず明日、話を聞くことにした。

 

翌日、空井が空幕に行くと比嘉にも声はかかっていて、結局、りん串でいつものメンバーが揃うことになった。違うところは片山の代わりに藤枝がいて、テーブルの上に置かれたタブレットの中になぜか鷺坂がいることだ。

「お前らさ、何も、俺がこっちにいるときに集まることはないんじゃないの?」

どうやら最近買ったというタブレットを持った鷺坂は松島にいるらしい。
タブレットは比嘉が持ってきていて、皆が見える場所に置いていた。

松島の居酒屋と東京のりん串を繋いで、ビールジョッキで乾杯した後すぐに今日の本題に入る。

「そんでさ。何よ?片山はどうしちゃったのよ?」

鷺坂の耳にはいったというのも、もとは槇を経由している。芦屋の総務班の隊員は槇を見るなり、駆け寄ってきた。

「槙三佐!」
「おう」
「槇三佐は、うちの片山班長と空幕で一緒だったと伺いましたが」

あまり親しくはないが、芦屋から来たくらいはわかっている。その隊員が、世間話で話しかけてきたのかと思っていたが、酷く真面目な顔だったので、思わず話を聞いてしまった。

「まあ、俺もどうかと思うんですけどね。そいつが言うには、しばらく新婚で浮かれてたんですが、それもいつの間にか大人しくなったなーと思ってたらここしばらく眠れないとかなんとか呟いてはぼーっとしてて仕事にならんらしいんです」
「ふうん。お前は直接本人とは話してないの?」

鷺坂に話しかけられた槇は、無表情ながらいつもよりも饒舌になる。

「ええ、俺は本人とは会話してないんですよね。これといって用もないんでいきなり連絡しても胡散臭いでしょうし」

ふうん、と呟いたタブレットの向こう側の鷺坂がジョッキを傾けている。藤枝とリカは大祐に話した通り、何となくは状況を知っているから神妙な顔で頷いているが一番話の見えていない大祐は皆の顔とタブレットに何度も視線を向けた。

大人しく空豆の皮をむいていた比嘉がおしぼりで手を拭う。

「僕が、一番話をしてると思うんですが、あくまで仕事上の話ですから。話のついでに様子は見てみましたが……。ま、確かに片山三佐にしてはまともと言うか……、ねぇ?」

なんとも言いようのない口調でそういうと、その場にいた全員と鷺坂はううむ、と唸ってしまった。
片山がおかしいのはいつものことで、その片山がおかしくない方がおかしい。

「藤枝。あんたなんか聞いてないの?」

比嘉であっても、仕事以外でそれほど突っ込んだ話ができるわけではない。それよりは藤枝の方がプライベートには近い。

首をひねった藤枝は、携帯を取り出してざっとメールを見ながら、うーん、と唸った。

「俺も比嘉さんと同じで、片山さんがおかしくないことがおかしいっつーか……」

ねぇ?と同意を求めた比嘉が頷くのを見ながらふ、と大祐に顔を向けた。

「藤枝?」
「あー……。ちょっと予想っていうか、いや……」
「何よ?」

いや、と言葉を濁した藤枝は、何とも言えない笑みを浮かべると、誰からの視線も避けるようにビールを手にする。

―― いやー、今日空井君の顔を見るまでは忘れてたけど、ありえるかもな……

どこかでさりげなくそれを聞き出そうかと思っていると、こういう事にはひどく鈍いリカが、自分の携帯を取り出して、LINEを開いた。

「ん……、おいおい、お前何やってんの」

自分の隣で携帯をいじっているリカに気付いた藤枝が慌てる間もなく、グループに入っている藤枝の携帯も通知が届く。

『稲葉:片山さん、今りん串で皆で飲んでますよ』
『片山:ぬ?!何!俺をのけ者にしてるな!』

あきらかに引っかけであるが、すんなりとそれに乗ってきた片山に、藤枝はさっさと割り込む。
出張の予定があるなら今度は男同士で飲もうというと、すぐに承諾が返ってくる。その向こう側で、邪魔した、と呟いているリカを大祐がなだめている。

タブレットの向こう側で鷺坂はやれやれ、と肩をすくめたが俺も次は混ぜてね、と釘をさすことだけは忘れなかった。

 

出張の予定というのは片山の場合、つくるもの、である。
サッサと予定を調整して東京に現れた片山は、男同士の飲み会ということで早々と店についていた。取材先から直行した藤枝と一足先にリンクしのカウンターに並んでいる。

「……まあ、皆さん、心配なんですよ。片山さんだけ遠くにいるから」
「んなことねぇよ。俺達はいつどこに異動になってもおかしくねぇし。……でもそういう意味でいや、こんな風に一度一緒に働いた者同士、ずっと集まるようなのは初めてかもしんねぇ」
「へぇ。よくあるのかと思ってた」

馴染みのバーではジントニックでも飲んでいるところだが、ここでは藤枝もビールである。水滴のついたジョッキはキンキンに冷えていた名残で持ち手もまだ冷えていた。

ごくり、と喉を炭酸の刺激が流れていく。

「まれだよ、まれ。藤枝ちゃんや稲ぴょんがいたからなぁ」
「いや、それはさ。ほら、稲葉と空井君がいたからでしょ」

あの二人が、周りを巻き込んで、何かを少しずつ変えていったのは確かだから。まっすぐで、見てる方が恥ずかしくなるような恋愛も、今では見ているだけでもほっとするときさえある。

「それにしても、あの片山さんがどうしたかと思いましたよ」
「あのってなんだよ。俺だって真面目だっつーの」
「だってさ、婚活で知り合って、結構浮かれてたでしょ」

付き合ってみたい、という応募は予想よりも実はかなり多かった。
その中でも可愛くて、仕事柄をわかってくれる相手を探したが、さすがにそこは守ってくれる人だという誤解もあって、幾人かはお断りすることもあって、藤枝は随分相談に乗ったものだ。

それから、今の奥さんになった彼女と付き合うことになり、結婚を前提にというのも、どこか浮かれてふわふわしていた。
申し込みも、指輪も、式も、形式通りに進んだものの、実感は薄くて。
結婚してから、初めて、片山は彼女のことを本当に好きだと思ったのだ。

もちろん、会わない相手ではなかったが、結婚するまではどこか条件でしか見ていなかった気がする。

「……空井がさ。稲ぴょんのことを、好きなところばっかり増えていくって惚気てたのを聞いて馬鹿じゃねぇのって思ってたんだよ」

ところが、いつの間にか同じことを考えるようになった。初めは惚気ることで、その胸の苦しさを吐き出していたが、それもいつの間にか追いつかなくなる。
ふとした瞬間、誰かと一緒にいることの嬉しさを感じて、何も言えなくて、ただ苦しさだけが増えていく。

「時々、思うんだ。夜中に、隣で眠ってるとこみて、夢なんじゃないかって。そのまま寝て目が覚めたらやっぱり一人になってるんじゃないかって」
「マジすか。そんなに片山さんってペシミストでしたっけ?」

苦笑いを浮かべた藤枝に、片山も自分自身を笑った。

「そうじゃねぇよ。そうじゃねぇけど……さ」

いつまでも隣で眠る顔をみているだけで時間が過ぎていくなんて誰に話しても笑われて終るのはわかっていたから、眠れないとだけ言っていただけだ。

「皆が来たら言うんですか?それ」

からかう藤枝に、にやっと笑った片山はさぁなぁとビールを勢いよく飲み干した。
これも空井とリカの二人から影響されたんだよなと思いながらそれを認めるのも悔しい。

しばらくして、一人、二人と現れた面々に、片山と藤枝は座敷のテーブル席へと移動する。

「片山、なんだ、お前元気そうじゃん」
「あたりまえじゃないっすか、室長」
「もう、槇がさぁ。お前がおかしいっていうから~」

笑いながらおしぼりを手にした鷺坂がそういうと、続いて現れた槇が慌てて膝をつく。

「ちょ、待ってくださいよ。それはないじゃないっすか」

鷺坂が一番心配していただろうと言いたかったが、それより先に比嘉が続いた。
鷺坂に続いて心配していたのは比嘉かもしれなかったわけで、それを認めるのは比嘉も片山もお互いわかっていて絶対に認めないところだ。

座布団の手前で膝をついた槇の肩に手をおいて追い越した比嘉が鷺坂の隣に腰を下ろす。

「片山さんのことですからね。このくらいがあたりまえなんだと思いますけどね」
「お前にいわれたくねぇよ!」

向い側に藤枝と腰を下ろしていた片山がテーブルに手を置いて、ばしっと比嘉の頭を殴りつけた。

「いったいなー。片山さん、何心配されて怒ってるんですか」
「ばっか野郎、怒ってねぇよ!お前、わけわかんねぇこというんじゃねぇ!」
「素直じゃないんだから……」

ぶつくさと零す比嘉の頭を鷺坂が撫でながら、まぁまぁまぁ、と懐かしい口癖が飛び出す。

「いいじゃないの、いいじゃないの。こうしてなんだかんだって顔を会わせて飲むのがいいんだから。あれ?空井は?」
「空井さんはですね。えーと、ちょっと遅れます」
「なんで?なにやってんの?あいつ」

澄ました顔の比嘉の口元が歪む。なんだかんだといじられながらも心配しているらしい空井は、男飲みだというからとリカが渡してくれと言うものを受け取りに行ったらしい。

驚かせたいからと黙っていてほしいと頼まれたらしいが、リカも空井もどこか抜けているからその中身を想像するだけで比嘉は笑いそうになる。

「えーと。きっともうすぐ来ると思うんで、その時は、ちゃんと褒めてあげてくださいね。片山さん」
「あぁ?俺が空井を褒めるなんてあるわけねぇだろ!」

おしぼりをバシッと片手で叩いた片山をみながら、それぞれ座りなおした。
女同士なら、何があったのよとなっていたかもしれないが、男同士だけにこれだけでも十分である。

ちょっと真面目で、センシティブなのも皆がいいだけ年を重ねているからだろうか。

何度も本当に大丈夫かといじられ、ふざけんなよ、と繰り返す片山が最後に叫んだ。

「いー加減にしろ!怒るぞ!!」

—end

投稿者 kogetsu

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