琥珀の中 3

時間はまだ宵の口で、カップは空になると、ちらりと携帯の時計を見た西村に、ぱっと藤枝は立ち上がった。

「あー、あの、なんかデリバリーとかとりましょうか。それか、俺何か買ってきてもいいし」
「藤枝さん、あまり家で食事は作ったりしないの?」

うろうろと落ち着かなくたった藤枝が、両手を広げて見せた。
さっきキッチンを見た時にもそんな雰囲気はあって、ほとんどの調理器具が見当たらなかったのだ。

空になったカップを手にして西村が立ち上がると、ますます藤枝は慌てたようにその目の前に立ちはだかる。
不思議そうに目をくるっと動かした西村に、がり、と頭に手をやった藤枝は視線を逸らした。

「すぐ、すぐ買ってくるから。待ってて……。お願いだから」

せっかく、話をしようとした流れがこれでねじれてしまい、帰ると西村が言い出さないか、今でも不安だったからだ。
カッコ悪いと思っても、ここまででもういっぱいいっぱいな自分がいる。

ポケットに手を突っ込んで気まずそうにしている藤枝の腕にとん、と西村が触れた。

「藤枝さん。明日仕事?」
「あ、いや」
「じゃあよかった。まだまだ時間に余裕があるのね?」

えっ、と顔を上げた藤枝にぎこちなく西村が腕を絡めている。

「まだ帰らないから。そんなに心配しないで。近くにお店があるなら一緒に買いに行きましょうか。色々あるんだったら食材を買ってきて私が作るんだけど、なんだかお鍋から買わないとなさそうだしね」

どうにも懐かない猫が懐いた時の感覚はこんなものかというくらい、うわーっと叫びそうになる。

「ちょ、藤枝さん?そこで黙られると」
「いや、あの、なんつーの、色々限界な感じ?」
「はぁ?限界って……きゃっ」

仕事帰りのシャツの腕を少しだけ引き上げた藤枝が、ぐいっと引き寄せて腕の中に抱きしめる。
身長差はちょうど藤枝の顎の下に西村の頭がすっぽりくるくらいで、いきなり抱き寄せられた西村は体を固くしてじっと動けない。

「あー。反則、とかこれで言わないでね。俺も、相当ネジ飛んでる自覚あるけど、なんかもう限界だった。あのさ。朋さんって呼んでいい?」
「う、あ、はいっ」
「めちゃくちゃかわいいし!すごいな。俺、ほんとに今、帰るって言われたら立ち直れないとこだった」

西村にも藤枝の温かい体温と、少し早い鼓動が伝わってくる。藤枝がこれだけ自分の内側をさらすなんてほとんどないことだろう。
どうしよう、と戸惑った西村だったが、手にはカップを握りしめたままという、こちらもどうにも恰好がつかない。

「藤枝さん。あの、ね?帰らないから一度、離してもらっても……」
「うー……」
「カップ持ったままじゃ、買い物にも行けないですよ?」

ふわっと腕を緩めた藤枝が、半歩だけ身を引いて西村を見ると、困った顔で片手に持ったカップを見せられる。
苦笑いを浮かべた西村に、照れくさそうな笑みを浮かべた藤枝が右足を引いてキッチンへと促す。

「近くに、デリのある24時間スーパーがあるのと、コンビニと。適当に」
「はい。適当に」

キッチンにカップを置いて、西村がジャケットと鞄を手にすると、藤枝は財布を尻のポケットにねじ込んでジャケットだけを手にした。鍵は玄関の下駄箱の上に置いたままだ。

「行きましょう」
「はい。行きますか」

連れだって、藤枝のマンションから出ると、一人で食べるときはここで買うのだというデリのあるスーパーに向かった。

「どうして人を家に呼ぶの、好きじゃないの?雰囲気で言えば、なんていうか……」
「ちゃらいから、よく女の子でも連れ込んでそうって思った?」

言葉を濁したのに、その本人がスパッというので、苦笑いを浮かべた西村が頷いた。

「だって、出会った時からそうだったでしょう?」
「まあそれは否定しないけど?これでも女の子好きなことと、俺の仕事とは切り離して考えたいんだよね」
「?どういう……」

仕事柄、家に帰ってきて、仕事のために本を読んだり、練習をすることもある。
そんな場所に人の気配を持ち込みたくなかった。

カゴを手にした藤枝は、いつもつまみ代わりに手にする揚げ物やすぐにつつけるようなものにばかり目が行く。

その横からカゴに手を伸ばした西村は、好き嫌いがあるかと問いかけた。

「そういうものばっかり食べてるのに、その体型ってやっぱり男性はずるいわ」
「え、そこ?」
「う……、女性には結構切実なのに」
「じゃあ、朋さんが食べるやつメインでいいよ。俺は酒があれば何でも」

じゃあ、といくつかお惣菜らしいものを選んで、あとはさっき藤枝が視線を向けていたものの中からつまみやすいものを選ぶ。
その間に、酒のコーナーで見繕ったらしい藤枝が、ビールの缶と酒をいくつか手にしてくる。片手の分をカゴに入れてから、西村の手からカゴを奪い返した。

「あ、他に何か飲みたい奴、ある?」

カゴの中を覗き込んだ西村が、缶を見比べてからどうしようかな、とドリンクのコーナーへと歩き出す。
ちらりと藤枝を振り返って、にこっと笑みを浮かべながら歩く姿が本当に猫のように思えてきた。

「おうち飲みなので、少しだけ」

甘そうなカクテルの缶を二つほど選んだ西村がカゴに入れると、会計に向かった。
店で食べることを思えば大した量でもなければ、大した額でもない。財布を出しかけた西村を藤枝が止めた。

「今日は、俺の家のゲストってことで俺持ちにさせて」
「んー……、じゃあお言葉に甘えます」

レジを済ませて、コンビニには寄らずに藤枝のマンションに向かう時には、買い物袋をそれぞれの手に下げた藤枝と西村が、ゆるりと手を繋いでいた。

投稿者 kogetsu

「琥珀の中 3」に4件のコメントがあります
  1. いろいろ限界な藤枝が素直すぎて愛しカワイイ。
    彼女を離し難くて「うー……」だって「うー……」。きゃ(愛)。

    桐山さん主演の「吉祥寺の朝日奈くん」ていう映画、ごらんになったことありますか?
    桐山さん演じる草食系主人公がヒトヅマを好きになっちゃってモダモダするんです。かっわいいんすよ。
    ちなみにヒトヅマ役は星野真理さん。
    なんかちょっと彷彿として、ニマニマしちゃいました。

    「琥珀の中」ってタイトルも絵的で詩的、素敵ですね。

    1. ムトウ様
      こんばんは。いろいろと限界なんです(笑)生暖かく見守ってあげてくださいよ。純愛ビギナーですからね。
      桐山さんの映画は見たことがないです~。よさそうですね。見てみようかな。
      タイトルもお褒め頂きありがとうございます。
      あと少し、お付き合いくださいませ。

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