琥珀の中 4

電子レンジが大活躍するのも全くといっていいくらい、調理する気のない藤枝の部屋の中には鍋とかろうじて包丁と、しょうゆと塩。
それしかなかったからだ。

「ある意味、尊敬。これだけでも生活できるのね」
「いやいや、ちょっと待って。俺も、別にほかになにも食べてないとかじゃなくて。だって、ほら、こうしてドレッシングだってついてくるでしょ?」
「そうだけど、あんまりにもなさ過ぎて驚いた」

温めるものは温めて、テーブルに並べて、箸もスプーンもデリでもらったものがほとんどだ。
洗わなくてもいいから楽なんですよ、という藤枝が、どこか責められているように慌てているのをみて、ちょいちょいと西村が手招きした。

「ん?」
「座ってて。キッチン、勝手にしていい?」
「もちろん?」
「なんか楽しいですよ?こういうの」

グラスはかろうじて普段、藤枝が使っている一つだけは使い慣れていたが、他は戸棚の中だ。それも一つ出して、軽く洗って。
女性だからというつもりは全く藤枝にはなかったが、ごく自然に動いてくれる西村がどうしても気になって、立ち上がってしまう。

「……やっぱ、落ち着かない」
「別にチェックしてるわけでもなんでもないから、そんなに心配しなくても大丈夫よ」

笑いながらそう言って渋々腰を下ろした藤枝の隣に、西村は腰を下ろした。
精一杯、西村なりに少しずつ距離を縮めてきているのがわかる。

「落ち着かねぇ……」

乾杯、と弱いカクテルと、ビールの缶を軽く当てて乾杯した後、箸を目の前にして苦笑いを浮かべた藤枝が手の甲で額を擦る。

「やめてよ、藤枝さんに落ち着かないって言われると、もっと落ち着かなくなる」
「ああ、ごめんっ。今のなし、なかったことにして。浮かれてるだけだから」
「あはは。もう、彼女さん達が見たらすごく驚くんじゃない」

何気なく、きっと何気なく、返された言葉が急に苦しくなって、手にしていたビールを勢いのまま半分くらいを喉に流し込む。

「……彼女さんとか言わないで」

はっと、顔を上げた西村が傷ついた顔をしている藤枝をみて、何とも言えない顔になる。こんな風に素直に感情を出すことも久しぶりすぎて、子供みたいでみっともないとも思うが、自分でもどうしようもない。

もう一度、額に手をあてて、情けねぇ、と呟いた藤枝の肩に西村が寄り添った。

「……ごめんなさい。私もどうしていいかわからないの」
「……うん」

いい年の大人が、何をしているんだと思いながら、どうしようもなくて、隣に寄り添った西村の存在が心を震わせた。

何を言うこともなく、そこから缶をおいて箸に手を伸ばす。
藤枝が、よく買うのだと言っていたチキンを巻いたものを一口たべた西村が、あ、と声を上げる。

「ほんとだ。美味しい」
「でしょ?結構、つまみとか小腹が空いた時に買うんだよね。朋さんは、家に人を呼んだりする?」
「ないですよ。全く」

どれということなくつつきながら、隣にいる顔を互いにちらりと見交わす。

「前に話したと思うけど、部屋は全然人様を呼んだりできる部屋じゃなくて、自分のお城みたいな感じなの。家に帰って、テレビとパソコンの電源を入れて、定位置は決まってる、みたいな」
「へぇ。たとえば何見てるの」
「んー、ドラマとか、バラエティとか。お笑いはあんまり見ないかなぁ。会社にいる関西出身の人は、関東に来てお笑い番組が少ないことに驚いたって言ってたけど」

今までも、食事のたびに、いろんな話をしてきたはずなのに、話し始めれば、会話は止まることなく進む。見えていたはずの立ち入れない境界線が少しずつ崩れ始める。
藤枝は食事が終わるまでにビールの缶を3つほどあけて、それでも少しも酔いは回っていなかった。

「片付けってこんな感じ?」

空になった容器を買い物袋に押し込んで、すぐに翌日には捨ててしまうらしい。缶にしてもすぐにマンションのごみ置き場に持っていくので部屋にゴミがあるのは、せいぜい1日だという。
西村もこまめに捨てている方だが、ごみ置き場があるようなマンションではないために、ごみの日に捨てるのが普通だ。

「やっぱりこういうマンションっていいな。宅配ボックスはぎりぎりあるんだけど、それでも持ち帰られちゃったりすると面倒なのよね。ここは受付があるから預かってくれるんでしょう?」
「ああ、コンシェルジュサービスっつーの?でもその分管理費に入ってるよ」
「でも便利!ほんと帰れない時は切実に思うもの。昼間ね、抜け出して何とかなる場所にあるものは、いいのよ。打ち合わせのついでに郵便局に立ち寄るとか、銀行窓口はもう、仕方ないし。でもねぇ。家に届くのはどうしようもないじゃない」

普段は少ししか飲まないのに、今は缶を1本、まるまる開けた西村は、少しだけ饒舌になっていた。
力説する姿も面白くて、笑いながら簡単に食べたものを片付けると、テーブルの上にお互いが飲んでいる酒だけになる。

「まだ飲みます?」

藤枝の缶がだいぶ軽くなっていることに気づいて、立ち上がった西村が、カーペットの上でふらつく。手を出して支えた藤枝は、あっぶな、と呟いた。

「自分で飲む分くらい持ってくるから大丈夫。朋さんはまだある……よね」

二缶めの三分の一も減っていない西村の缶を持ち上げて確かめると、藤枝は冷蔵庫からハイボールを持ってきた。

「もっと、何かいる?」
「ああ、全然。もうお腹いっぱいでこれも飲めないかも。はぁ、やばいな。外で飲んでるときは家に帰らなきゃって思うからしゃんとしてるのに、人様のだけどお家飲みは気が抜けちゃう」
「気にしなくてもいいのに」
「いえいえ。もー、ほんと、これ以上飲んでたら眠くなっちゃうから駄目なの」

子供のように、ぺたりと座った西村は、何度も自分の顔に手をあてて、少しでも酔いを醒まそうとしているようだった。

投稿者 kogetsu

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