琥珀の中 5

「ちゃんとしないと」
「別にいいのに」
「そうはいかないわよ」
「どうしてそう思うの?一度、聞いてみたかったんだけど、いい?」

ちゃんと、ちゃんと、と繰り返している彼女をみていつもと少しだけ違う隙のようなものに一歩近づいてみる。

隣りではなく、直角の位置に腰を下ろした藤枝は、まっすぐには西村を見られないまま口を開いた。

「朋さん、さ。もうちょっと、力を抜いたらいいのに」
「……それは、ダメ」
「なんで?少しだけ肩の力を抜いたらいいじゃん。なんでだめなの?」

ソファの下に降りてソファに寄り掛かった西村は、天井を仰いでふうと息を吐いた。
目を閉じて、しばらく悩んだ後、ぽつりと呟く。

「誰かに……。誰かを頼ったり、きちんとしないことは駄目なの。あてにして、誰かの迷惑になることも嫌だし、そのために誰かの負担になるのも嫌」
「どうして?んー……、一人でできることなんて限られてるよね?それに女性なら」
「それが許されるのは若い女性だけよ。私はもう有効期限切れ。こういう言い方をすると、藤枝さんは嫌みたいだけど、一般的にはそれが事実でしょう?」

薄く目を開いた西村が、ほろ苦く微笑む。

「私は、誰かを煩わせたり、そういうことが嫌なの」
「……それはさ。甘えることも嫌なの?俺にも?」
「そうね。……相手が誰であっても嫌」

藤枝は思いがけないほどの頑なさに、顔を向けた。思いがけず見せられる隙とは別に、どこか張りつめた気配を漂わせた西村から言われることは、藤枝自身にも突き刺さる。

「それは、前の旦那さんと別れたから?」
「そうじゃない。そうじゃないけど……、聞きたいの?面白くもないでしょ?」

本当は、話をするのは嫌なんだろうと思ったが、避けては通れない道だ。
気になっていつまでも気にし続けるよりも、今は正面から問いたかった。

「聞きたい。……面白くはないよ。でも、朋さんのことだから、大事だと思ってる」
「困った人ねぇ。家まで連れてきた相手に聞くことじゃないと思うけど……」

眠いのか、話したくなかったのか、目を閉じた西村は、ため息をついてから口を開いた。

「きっと、前言撤回したくなるんじゃないかな。私、すごく粗忽でトロいのね。人付き合いもうまくないし。仕事くらいしかなくて、それも気を抜いてしまったら大変なことをやらかしちゃうかもしれないし。そんなことになったらと思ったらぞっとする」

言葉を切って、天井を見上げた西村を黙って見つめる。その間にも、ふと感じてしまうのは、自分がどれだけ彼女を知っているのかということだ。

「藤枝さんは……。うん。一人でも生きていけるんだから、大丈夫よ。誰でもこんな歳になって甘ったれてる女がいたら気持ち悪いでしょ?そういうことだと思うの。若くて可愛い女子限定」
「……そんなことないでしょ?」
「あるわよ。誰かをあてにしたり、誰かに頼ったり。そういうことをしちゃダメなんです、やっぱり。それって、結局、人のせいにしちゃうし、私はそれができなかったから、……バツ付きだしね」

苦しくて、思うに任せない時間と何かを変えようにも、何かを取り戻そうとする余地もない。
そこから飛び出した時、ひどく自由なのだと思った。誰もう以上には近づかず、孤独であることと引き換えにした自由だ。

同じような自由と、程よい気ままさで遊んできた藤枝だからこそ、真綿でくるんだふりをしている彼女が苦しくなる。

「それ、なんかおかしいよ」

人のことを言えた義理ではない。それはわかっていたけれども、思わず言ってしまった。だが、西村はそれを怒るどころか、笑って見せた。

「そう?可笑しいかもしれないけど、私は不器用でこんな風にしかできないし。狡いのかもしれないけど、そばにいたら友人でも家族でも、誰かを傷つけるかもしれないし、誰かに迷惑をかけるかもしれないから、それよりは一人でいる方がきっといいのよ」
「朋さん」

きっと、彼女の不器用が故のこれまでがそんな風に歯車を変えてしまったのかもしれない。
藤枝にはわからない時間があって、そこに口を出すことはできないけれど。

―― それでも俺は。

リカのように頑なで、まっすぐで痛々しいならいっそ、まだわかりやすかったかもしれない。でも、同じくらい優しくて、ともすれば自分よりも年下かと思うくらい可愛らしい一面があって、自分よりも年上のくせに、そんな風には見えなくて。

今はまだ、それが出来なくても、いつか、少しずつでいいから甘えて欲しい。頼りにしてほしい。

自分が男だからそう思うのだろうが、抱きしめたい想いと、何もしないと言った約束が藤枝を縛る。
そんな内心には気づかないのだろう。西村は、誤魔化す様に笑って、体を起こすとしゃんとしようとしているように見えた。

「へへ……。駄目ですね。ちょっと……酔っぱらってみっともないところみせちゃった。内緒、内緒。迷惑かけないうちに、そろそろ帰ります」
「あ、いや!迷惑じゃないし!それに、あの」
「藤枝さん。本当に、どうもありがとう。でもね、一緒にいて藤枝さんに恥かかせちゃうと思うの。そんなこと、私も嫌だし、今はそんな風に言ってくれてるけど、きっとね。冷静になったら」
「明日!」

冷静になったら、きっと。

その先を言わせる前に、藤枝は、とにかく何かを言わなければと遮った。

「……明日と、明後日。明後日まで、ずっと一緒にいてください。誓って言います。手は出しません。何もしないから、普通にデートして、ご飯一緒に食べて、うちに泊まってってください」
「藤枝さ……」

どこかで藤枝が本気で言っているのだとわかってはいた。わかってはいても、その気持ちが変わっていくことも西村は知っている。乗り越えられる場合と、乗り越えられないことがある。
どちらも未熟で、失敗したけれど、まだ諦められない自分のこともわかっていた。

困ったように首を傾げた西村はため息をついて、目を閉じる。

―― 馬鹿だなぁ。一番馬鹿なのは……私かもしれない

「藤枝さん、馬鹿じゃないの。後で後悔したらどうするの」
「そんなの後悔した時に考えればいいし、俺、そんなに考えないし……」

困ったなぁ。

小さく呟いた西村の傾けた頬の端を、滑り落ちたものを見た気がして、まじまじと見つめていると、スローモーションのように崩れ落ちた。
顔を覆ってしまった西村が堪えようとして大きく息を吸い込んだその肩に手を乗せる。

「……馬鹿なのは朋さんも一緒だと思うけどなぁ。俺、お買い得だと思うよ?」
「お買い得って、売れっ子アナウンサーに使う言葉じゃない……」
「なんでもいいんだけど、さ。えーと、これは一応手を出したうちにカウントしないでくれると嬉しいんだけど……」

ずりずりと移動して、ソファに寄り掛かる様にして泣き出してしまった西村の頭を藤枝は自分の肩の上に引き寄せた。

「なにもかも、ゆっくりでいいからさ。俺のこと、好きでしょ?少しずつでいいから、俺に預けてよ。重くてもなんでもいいし、重かったら重いっていうから一緒にいられるように一緒に考えようよ。今すぐじゃなくていいから……」
「……時間がかかるかもしれないのに」
「それでもいいよ。俺は気が長いから平気だよ」

こく、と小さく頷いた気がして、藤枝は小さく馬鹿だなぁと呟いた。

しばらくしてから、ベッドルームから毛布を持ち出してきて、ごろ寝もできるようにと買ったソファの上に二人で並んで丸くなった。常夜灯まで落とした部屋の中で、いつの間にか、眠ってしまったらしい西村を寄り掛からせておいて、クッションに頭を預けた藤枝は目を閉じた。

起きたら、一緒に出掛けよう。
彼女が似合わないと思い込んでいる、流行の服を買って、着替えさせたら、一緒に話題の映画を見て、ウィンドウショッピングをして、美味しいものを食べて。
そして、帰ってきたら同じように寄り添って眠ればいい。

気は長い自覚はある。

抱き合わなくても、こうして寄り添っているだけで満たされている気がした。

リカと、空井の恋は、青空のように透き通って、まっすぐに、晴れやかな空のようだったが、藤枝と朋の恋は、時間をかけて、色を深めていく。それは、大人の恋だからこそ、切なさも何もかも包み込むから深い色に染まる。

きっといつかは琥珀の色に染まって。

――― end

投稿者 kogetsu

「琥珀の中 5」に4件のコメントがあります
  1. ああ、もう。面倒くさい人たちの面倒くささがいじらしいです。大人だからこそ臆病になっちゃう気持ちがせつなくてたまりません。

    琥珀の中に閉じこめられた虫の化石みたいに、寄り添って眠るふたりのさまが時がとまったようで、なんだか静かな気持ちになりました。

    1. ムトウ様
      面倒くさいんです!!もういいじゃん、馬鹿で!って思うけど何だろう、どこまでも理性的というか臆病と言うか。

      そして、まさに琥珀の中の傷とかそういうイメージのタイトルでした。寄り添って、じっと時間が過ぎていく。空リカとはまた違いますよねぇ。ありがとうございました。

  2. なんだなんだなんだ~このかっこええ藤枝は~チャラ男が真剣になったら本当にこんな感じなんですね~ おまけも読んできましたが、大祐に焼き餅焼かせるぐらいのいい男っぷり・・そりゃ・・西村さんはなかなか素直になるのに時間がかかるだろうけど、こんなお買い得男放さないでね~この素敵な男は貴方所以なんだから♡

    1. 星樹様

      こんばんは。カッコいいですか~。いいでしょう!!男前な藤枝には男前を貫いてほしかったので、頑張ってもらいました。
      終わりにしたつもりでしたが、空井さんがどうしても心配だと言うので追加しちゃいました。
      彼女の方のお話も書きたかったのですが、年代が近いと投影しちゃいますのでいつかまた書けたらいいなぁと思ってます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です