「ずっと見てますから」
そう言って、バスに乗っていくリカを見送った。もう、2年前に別れは済ませているつもりで、最後の餞として伝えた言葉をリカは笑顔で受け止めてくれた。
バスが走り去っていくのを見ているうちに、リカの背中を押してくれたみんなと、自分の背中を押してくれたみんなの顔が思い浮かぶ。
『空井!』
誰かの声が叫んでいる。
「!」
身を翻して、基地の中に駆け戻ると自分の席まで急いで戻る。時間はもうすぐ定刻を迎えるために、鞄を掴むと、上席に送っていきます、と叫んで飛び出した。
車までの距離が遠い。
急いで乗り込むとエンジンをかけて走り出す。よほど慌てているのか、日頃の空井らしくもない、タイヤが鳴った。
基地のゲートを抜けると、JRの駅までの最短コースを思い描く。
きっと松島海岸からの快速に乗るはずだ。二車線でほかにあまり逃げ場のない道ではあったが、途中のバス停で止まるならまだ間に合うかもしれない。
夕方の渋滞を苛々しながら抜けると、数台前にバスが見えた。
ロータリーに入っていくバスの後ろにつけて、ロータリーの端に車を止めると走りだす。
まばらに降りてくる中に一人だけ、ほかとは違う背中を見つけた。
「稲葉さん!」
声が届かないのか、改札に向かう足は止まらない。
随分、走ったためにもうそろそろ足が痛んでいたが、構わず人を押しのけて改札に入ろうとする手を掴んだ。
「稲葉さん!」
「空井さん?!」
改札をふさぐ格好になってしまったリカが驚いた顔で、とりあえず脇によける。
リカを強く掴んだ手に薄らと汗が滲む。
「あの!言い忘れたことがあって……」
息を弾ませた空井が大きく荒い呼吸を繰り返すのを待って、リカは肩にかけた鞄をぎゅっと掴んだ。
「落ち着いてください。まだ少しなら時間はありますから」
息を吐くのと、話をするのと、相変わらず行動がバラバラだったが、その目だけはいつもより強くリカを釘付けにする。
「稲葉さん。どうか、幸せになってください」
「え……」
耳に聞こえた言葉を理解するのに時間がかかる。何度も頭の中で繰り返すと、リカにはそれがもう二度と会わないという別れの言葉にも聞こえた。
「あ……」
バスの中でも、泣き出しそうになって堪えていた涙がまた戻ってくる。
視線を逸らしたリカの両肩を掴んで自分の方を向かせた空井が、もう一度繰り返した。
「幸せになってください。絶対、絶対それを言いたくて」
「それ……」
唇を噛み締めてリカは何と言いかえしていいのかわからなかった。それは自分のセリフだと。
一生の、指針をくれたのに、自分は何を返せるだろうと一生懸命考えていた。
視線を彷徨わせて、何度も口を開こうとしたリカは、じっと自分を見据えてくるその目から逃げられなくなる。
「俺と一緒に。いざという時、俺は傍にいられないけど、でも、きっとそんな時は稲葉さんも同じように、きっと自分にできることをするために走ってるはずですよね。だから、俺達はきっと、ずっとエレメントなんです」
てっきり別れの言葉だと思って聞いていたリカの頭が真っ白になる。
まっすぐに見返したリカの目を捕えた空井が、何度でも繰り返すとばかりに言い切った。
「俺と一緒に幸せに」
「どうして……もう!何度も言ってるじゃないですか!話の順番がおかしいって!」
たまりかねたリカが癇癪を起して叫ぶ。こんなに心臓に悪いことはないと、顔をゆがめてもう一度唇を噛みしめる。
「え?あの、稲葉さん?」
「それに、幸せになってくださいって……」
言い方が変じゃないのかとか、何もかもがいっしょくたになって、リカはその場にしゃがみ込みそうになった。
悔しいような、腹立たしいようなどうしようもない気持ちで、握った拳を目の前で途方に暮れた顔をしている男に向かってぶつける。
「もう!!全然わかってない!私が、幸せになるためには空井さんがいなくちゃダメなんです!……もう、遅いです!言うのが!」
は、と目を見開いた空井が、自分の胸にあてられたリカの手を握る。
「本当ですか?」
「こういう時に嘘をいう人がいますか!」
こんな時でも、噛みつくように言いかえしてくるのは変わらないリカを思わず全力で抱きしめた。
「ありがとう」
嬉しくて、そう呟いた空井の耳に、小さな声が聞こえた。
―― もう、会えなくなるのかと思いました
ぎゅっと抱きしめる腕に力がこもる。一歩踏み出して、ここまで来てくれたリカを傷つけるところだった。
「次は、僕が会いに行きます」
おずおずと伸ばされた手が、腕に触れた。
「……はい。待ってます」
頷いたリカの髪が揺れて、空井の頬をくすぐった。離れ難い気がしたが、はっと駅の時計を見て我に返った空井が腕を離す。
「あ、時間!あの、僕が仙台駅まで送ります。車ですから」
「待って、空井さん。その格好じゃ……」
制服のままではいくらなんでも非常に目立つ。
自分の姿を思い出した空井が、時計と自分の服を交互に見て、困り果てているのをみて、リカはちょっと待ってといって駆け出した。
松島海岸駅には緑の窓口がある。そこに駆け寄ったリカは帰りのチケットを出して何やら話をしていた。しばらくして、カウンターの向こうに一度チケットを差し出した後、もう一度チケットを受け取って戻ってくる。
待っていた空井の前に立ったリカはきっぱりと言い切った。
「お言葉に甘えて、送っていただきます」
「あ、はい。でも、制服」
それが問題で、どうしようといっていたはずなのに。
にこっと笑ったリカが目の前に新幹線のチケットを出した。
「送っていただくのは明日の朝です」
「は?」
驚いた空井がそのチケットを見ると、6時36分のはやぶさになっている。
はにかんだ顔のリカが頷いた。
「だから、私服で送ってください。間に合いますよね?」
「それは、もちろん。でも……」
でも。
だって。
まさか、リカがそんなことを言い出すなんて思ってもいなかったのだ。
口ごもる空井からチケットを取り戻すと、ぷいっとリカが横を向く。
「駄目なら私はここで帰ります」
「あっ、それは駄目です!」
慌てて止めた空井は、ひどく照れくさそうな顔で頷いた。
「ここ、稲葉さんが知ってる都会と比べたらすごーく田舎の方ですから泊まるところとかありませんよ」
「失礼な。松島にホテルくらいあるの知ってます。それに……」
「それに?」
ふ、と顔を逸らしていたリカが振り向いた。
「空井さんの家に泊めてもらうから大丈夫です」
目を見開いた空井の目に、リカの笑顔が映る。手を差し出すと、もうずっとそうしてきたように、白い手が収まった。
「行きましょうか」
そういって、車にリカを乗せた空井は、今度こそゆっくりと走り出した。
―― end
こちらでははじめましてです。
ピクシブの方ではharuka_yoというアカウントで読ませていただいておりました。
狐さまのお話、大好きで、こちらではまたオリジナル色があって楽しませていただいました。
夜中3時まで読んでしまい、今朝は少し寝坊しました。
これからの更新も楽しみにしておりますので、これからもよろしくお願いいたします。
このお話切ないと思って読んでましたがハッピーな気持ちで終わることができて
本当に良かったです。
切ない+甘い、狐さまのおはなしが大好きです。
ハニートラップもこちらで鍵つきで公開していただけることを切に望みます。
よろしくお願いいたします。
遥様
こちらでは初めまして!そしていらっしゃいませです。
3時は寝不足になっちゃいますよ!大丈夫です。逃げませんから(笑)
こちらにはピクシブに乗せていたお話を焼きなおして乗せるつもりなので、ハニートラップも改めて乗せたいと思ってます。
また、新しいお話も追加したいなとも思ってます。
これからもよろしくお願いします!
遥様
こちらでは初めまして!そしていらっしゃいませです。
3時は寝不足になっちゃいますよ!大丈夫です。逃げませんから(笑)
こちらにはピクシブに乗せていたお話を焼きなおして乗せるつもりなので、ハニートラップも改めて乗せたいと思ってます。
また、新しいお話も追加したいなとも思ってます。
これからもよろしくお願いします!