行きましょう、と言ったものの制服で飛び出したこともあって、とにかくこの姿では目立つ。
きっとリカも気になるだろうと思い、とりあえず基地の方角へと車を出した。
「あの、こんな格好なんで、一度、官舎によって着替えていいですか?」
「あ、はい。もちろん!……こっちでも官舎なんですね」
「ええ。僕らは基本的には官舎に住みますね。特に独り者ですし、普通のアパートとかだと、2年で更新が来ちゃうじゃないですか」
なるほど、と助手席におさまったリカは頷いた。駅から離れていくと、どんどんあたりが暗くなってきて、車のヘッドライトだけが目につく。
「あ。でも、官舎だったら、私、大丈夫ですか?」
職場の外の人と顔でも合わせたらまずいのではないかと気にしたリカが空井の横顔を見ると、ん、と真顔になる。
「大丈夫じゃありません」
「え、じゃあ……」
「自慢します」
大丈夫じゃないなら急いでどこか近くのビジネスホテルなり旅館なりを探さなければと思ったリカが片眉を上げた。
「……はい?」
間を開けて問いかけると、口元を歪めた空井が妙にきっぱりと言う。
「大丈夫じゃないので、彼女だって自慢します」
―― 本当に、この人って……!
ストレートに言われれば嬉しいやら恥ずかしいやらで何と返していいかわからなくなる。口元に手を当てたリカは窓の外に顔を向けながら、ぽつりと呟く。
「空井さんって、結構タチ悪いかも」
「え?なんでですか?」
「なんでって……」
―― そういう事を平気で言うからじゃないのっ
内心、嬉しいのに、なんだか悔しい気がする。どう返してやろうかと思うところが、リカの負けず嫌いなところである。
「ちょっと……嬉しかっただけです」
徐々に尻すぼみになって語尾がほとんど聞き取れないくらいになる。
え?と問い返されても、もう一度繰り返すなんてとてもできなくて、何でもないです、と首を振った。
信号で止まった間にハンドルに腕をかけた空井がじいっとリカの顔を眺めてくる。
「俺も嬉しいので一緒ですね」
ふっと笑った空井が、ぽんと言い返した言葉に思わず振り返ってしまう。空井と目があって、動揺したリカは膝の上に置いた鞄をぎゅっと掴んだ。
軽く後ろに引っ張られるような感覚がして、再び車が動き出す。
もう、どういっても言い負かされるような気がして、諦めたリカはため息をついた。
「疲れました?もうすぐですから」
小さなため息ひとつ聞き流さない人が、リカの呟きを聞こえないはずがない。
いいえ、と返している間に、それほど高くない、古びた官舎の並ぶ敷地に車が滑り込む。何棟か立っている中の奥の方へと車を止めた空井が、リカに顔を向けた。
「えと、どうします?僕、着替えてくるだけですけど車で待ってますか?」
「もしよかったら、部屋まで行っていいですか?」
今度は空井の方が動揺する番である。ひとまず着替えるだけのつもりだったが、確かに一人待たせておくのも気まずくて、じゃあ、と言って車を降りる。古びた公団のようなつくりの、狭い階段を先に立って上がった。
奥から一つ手前の部屋の前に立つと、空井が鍵を開ける。
「すいません。狭いんですけど。どうぞ」
「はい。失礼します」
仕事のような口調は急には変わらないというより、揃って緊張しているからで、リカは空井の開けたドアから中に入る。
低いたたきでヒールを脱ぐと、キッチンがあってその向こうに二部屋あるらしい。リカの後ろから部屋に入った空井が、リカにぶつからないように追い越して目の前の部屋に電気をつけた。
襖で区切られた隣の部屋にはハンガーラックと布団が敷いたままになっていて、制服が並んでいるのが目に入る。
「すいません。すぐ支度しますんで、ちょっと座って待っててください」
「あ、はい。気にしないでください」
部屋の真ん中には小さな炬燵兼用らしいテーブルがあって、テレビのほかはPC用らしいデスクが一つあるだけだ。
ひどくシンプルな部屋の中を、リカはつい物珍しく眺めてしまう。
隣りの部屋に入った空井は気をつかったのか、そーっと襖を半分だけ閉めて、その陰でわたわたと着替えているらしい。
一応、リカも背を向けて座っているのに、よほど慌てているのか壁かどこかにぶち当たっている音がする。
「あの、ほんとに、慌てなくていいですよ。ゆっくりで」
急かしているわけではないのに、自分のせいな気がして落ち着かない気がしてくる。その間に、きっちりと制服をハンガーにかけている音が聞こえて、ひょこっと空井が顔を見せた。
「お待たせしました」
「あ、はい」
声をかけられて振り返ったリカは、目の前の空井に何度か目を瞬いてしまう。
「……意外。そう言えば、私、空井さんの制服姿か、スーツ姿以外、見たことなかったかも」
「え?何か変ですか?」
「いえ……」
スーツなら真っ白なシャツ以外見たことがなかったのに、今の空井はゆるっとした長袖のTシャツ姿に細身のパンツ姿でひどく新鮮だ。
いきましょうか、と声をかけられて先に部屋を出たリカの後ろから、明かりを消した空井がついてくる。
先に玄関を出て待っていると、鍵を閉めた空井がごく自然にリカの手を取って歩き出す。
「ここ、階段狭いんで」
言い訳をするようにそう言うと、先に立ってゆっくりと降りていく。
その手の温かさに、ドキドキする胸を押さえて下まで降りたリカは、再び車に乗り込んだ。
軽い音がして車が走りだす。
「食事どうします?ファミレスじゃないんですけど、すぐそこにおっきなスーパーとかがあって、そこでなんでも買えちゃうんですよ」
とりあえずそこに行きましょう、と言われて、返事をする前にウィンカーが上がった。
目の前の広大な敷地と駐車場に思わず、リカは前のめりになる。
「ひろっ。すごいですね」
二階建てなのだろう。端から端まで歩いたら足が痛くなりそうだ。
よほど慣れているのか、店の入り口に一番近い場所に車を止めると、呆気にとられているリカを連れて、店の前で立ち止った。
「こっちがなんていうか、ホームセンターみたいな感じで、真ん中あたりが食料品かな。あと上に行けば服とか」
そういわれると、確かに一泊のつもりだったから余分な着替えなど持ってきていない。せめて下着の替えくらいは買いたいし、もし、明日会社にぎりぎりだったら、カットソーかシャツくらいの替えがあったら助かる。
それが顔に出たのか、一通り見てみますか、と言われて空井に連れられるままに二階に上がる。
「どうぞ。気にしないで好きに見てください。稲葉さん、着替えとか困るでしょ」
そんなところまでわからなくていいです、と言いたかったが、俺はこっちにいますから、と先に言われてしまった。きっと週末にはファミリーが買い物にたくさん来るのだろう。
そんなときの休憩スペースらしいソファにするっと腰を下ろした姿をみて、頷いたリカは足早にフロアの中を横切った。
記者時代を思えば着替えなくても構わなかったが、昨日はちゃんと着替えていて今日は着替えないというのも落ち着かない。さすがに好きな人の傍では余計なことを色々と考えてしまう。
待たせていると思うとますます焦ってしまうが、インナーとシンプルなシャツを手にして急いで会計を済ませた。
仕事用バックは書類も入るサイズだけにぐっと押し込めば、着替えの少しくらいなら収まってしまう。
少しだけ膨れた鞄を抱えて小走りに空井のもとへと戻った。
食事をする場所が少ないので、敷地内の軽食か、何か買って帰るかなのだと聞いて、うーんと迷う。
正直、なんでもよかったが料理はあまり得意ではない上に、何というか、ただ、たくさん傍にいて話がしたかった。
「空井さん、普段どうしてるんですか?」
「うーん。そこにラーメン屋があるので、そこにきたり、惣菜とか買って帰ったり。一人で作ってもずーっと同じものばっかり食べちゃうんで」
そういわれると、どうしていいのかますます困ってしまったリカに、空井の方が案を切り出した。
「じゃあ、もし稲葉さんが嫌じゃなかったら、ビールとか買って、家でどうですか。その、なんかたくさん、話がしたくて」
―― 同じこと、考えてた……
2年近く離れていた間のことを聞きたい。
「はい。私もそれがいいです」
「よかった」
ぱっと笑った空井が手を差し出す。迷わずその手を取ると、そろってあれやこれやといいながら買い出しを済ませた。
――next