送らなきゃいけないほどなんてあんまりないのと、その彼女さんに興味があったからもある。今まで、何度か会うチャンスはあったけど、うちの奥さんと柚木さんが一番多くて、女子会ってやつかなと思ってたので、会うことがなかったのだ。
「ちょ、藤枝さん!ほらしっかりして。家どこですか」
「ん……ちょっと……待って」
ぐったりした藤枝さんがたどたどしく呟いて、鞄を探る。慌ててそれを手伝うと、携帯を出したかったらしい。
なんとか目を開けて、携帯をいじっていた藤枝さんが、しばらくしてから行き先を呟いた。
「あの、藤枝さんって彼女さんと一緒に住んでるんじゃないんですか?」
「……違う。でも、そう」
「え?」
「いいから。今日は行くって、いいって」
何を言ってるのか半分くらいわからなかったけど、要するに、一緒には住んでないけど、彼女の家に向かうということか。
自分も携帯を取り出して奥さんに今の状況を伝える。
すごーく頭のいい人なので、なにそれ、とかたくさん聞かれるかなと思ったけど、やっぱり予想を上回る頭のいい感じの返事だった。
『藤枝、彼女の家の近所に住んでるの。もし、一人で大変そうだったらそっちに行くように言ってみて』
ああ、なるほど。そういうことなのか。
片言だけの藤枝さんの言葉の意味がようやく腑に落ちて、タクシーの背中に寄り掛かった。
田舎の方だったらタクシーで帰るなんて選択はないけど、都内でこんな風になったらやっぱり電車もないならタクシーに頼るのも普通かな。
どうでもいいかもしれないけど、これが松島やほかの場所だったらありえないんだよなぁ。
ぼーっとしている間に藤枝さんの家の近くまで来たらしく、タクシーの運転手さんがどこで車を止めますか?と聞いてきた。
「あ、えっと」
「その先のコンビニの前で」
どうしようと思っていると、藤枝さんが一応口を開いてくれた。
コンビニの前で一緒に下りて、足元が危うい藤枝さんの肩をひいて、後ろのベルトを掴む。
足腰が立たない人を抱えるときにはこれが一番確実だけど、そうして抱えると、藤枝さんの口から小さく何かつぶやいたのが聞こえた。
こういう時は、聞いていいかどうかちょっと躊躇う。
本音をうっかり、聞いてしまうことがあるからだ。
「藤枝さん?家まで送りますからどこですか?」
「あ……。そこ、コンビニの、隣……、番号押して」
部屋番号を呟いた藤枝さんを連れて、エントランスを抜ける。そして、部屋番号のボタンを押したら、しばらくして少しだけ緊張した声が聞こえた。
「あの、自分、空井といいます。藤枝さんを連れてきたんですが」
「はい。迎えに行きましょうか」
思いのほかはっきりした声に、こっちが驚く。部屋まで行きます、というと、即答で待っています、と返ってきた。
色々胸の内は複雑なんだけど、とにかく開いたオートロックから中に入って、エレベータで部屋の階まで上がる。深夜近いし、抱えた藤枝さんもだいぶ落ちそうになってるのを励ましながら歩く。
番号からして一番奥だとあたりを付けた僕が歩いていくと、2つくらい手前のあたりで急に藤枝さんが足を止めた。
「っと。藤枝さん!あと少しだから頑張ってください!」
「……るんだ」
「え?」
聞き取れないまま、もう一度何かを藤枝さんが呟いて、自分から歩き出す。支えた肩に重さはかかっていたけども、きっと、ものすごく気力を振り絞ってるような気がして、ポーズだけでも抱えるようにして足を進める。
部屋番号をみて、インターホンを押す前にドアが開いた。
「あっ」
「こんばんは。空井さんですね。お手数おかけしました」
「いえ、自分も藤枝さんがかなりピッチが早いってわかってて止めなかったので、同罪です。すみません」
髪を一つにまとめた女性が藤枝さんに向かって腕を伸ばす。顔を上げずに藤枝さんは、中に入ろうとしてよろけたのをみて、慌ててベルトを引き上げて支えた。
「あ、あの。女性では大変だと思います。中に入って差支えなければ」
部屋の中までお連れしますよ。
そういうつもりだったのに、肩に回していた手を外されて、腰を支えていたベルトも振り払われた。
「……藤枝さ」
「大丈夫です。部屋まで連れて行けなかったらそのまま玄関で寝てもらいますから」
僕の手を振り払って、抱き着くように玄関になだれ込んだ藤枝さんを抱えて、なんとか玄関に腰を下ろさせた彼女さんが、あっさりとそういった。
何だろう。なんだか、予想していたイメージとだいぶ違っていて、きっぱりさっぱりしている人みたいだ。
じゃあ、といってドアから手を放した僕はエレベータに戻ろうと歩き出す。3歩ほど歩いたところで、勢いよくドアが開いた。