なんかやっぱ、この時期のこういう追いかけ方ってはじめてかも。これだけ書いてきたのにねぇ。
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書類を作っている最中に、確認したいことがあって島崎三佐のいる建屋に向かう。
その途中でエンジンに火を入れたブルーの音に足を止める。
「今日もいい音させてんなぁ……」
思わず口をついてでてしまったが、眉間に皺を寄せてにやりと笑う。
こんな音を毎日、飽きるほど聞いていた頃から随分、遠くに来た。毎晩眠れずに過ごした日々も、無気力で過ごした日々もずいぶん遠い昔のことだ。
『それ脅しですか!』
ふっと脈絡もなく頭の中に思い浮かんだ声に苦笑いがこみあげてくる。
あの時は無遠慮でなんて人だろうと思った。ただ、感じが悪いだけの人かと思っていたら、ものすごく真面目でまっすぐで不器用な人だとわかって。わかった時にはもう心は傾いていた気がする。
モノクロだった世界が一瞬で、カラーに見えた。
青空を見上げて、今日はいい訓練日和だな、と思いながら再び歩き出す。
「島崎三佐!」
「おう。空井」
「この書類のところで……」
ファイルに挟んでいた書類を差し出して、聞きたかったことを確かめた後、音の先にある機体にどうしても顔が向いてしまった。
つられたように島崎もそちらを見る。
綺麗に並んだ姿は、そこにあるだけなのに、ただの機械のかたまりだとわかっていても。
青空に映える姿に目を細めてしまう。その大祐の心がわかったのか、ぽつりと島崎が呟く。
「……いい天気だな」
「いい天気ですね」
―― 今頃、あの人も空を見上げてるだろうか
空をみて、今日も青空で、取材日和だなって思ってるか。
それとも今日は暑くなりそうだって、不機嫌になってるか。
ふわっと吹いてきた風は、周りの雑草の匂いと汐の香りが混ざっている。
―― 笑ってますか。稲葉さん
「じゃあ、ありがとうございました。戻ります」
「ん。お疲れさん」
「失礼します」
相変わらずの姿勢でぴしりと頭を下げた大祐は、再び歩いて渉外室へと戻る。
少しの迷いもなく。
空幕に異動した頃とも違う。
もう会えないかも、と思いながらがむしゃらに会えることを願っていた時間とも違う。
ただ幸せでいて欲しいとそれだけを願う時間は、ひどく静かだ。
一緒に空を飛んでいたらあの濃い青の中もこんな感じなのかもしれない。
今、大祐の目の前の青空は、晴れ渡っていて、音もなくただ静かで。
雑音もない。
「室長、ハンコをいただきたいのが……。あれ?」
渉外室に入りながら、抜け漏れがないことを確認していた大祐が部屋の奥を覗き込むといるはずの恰幅のいい姿がない。部屋の中を見回した大祐にほかの隊員が笑いながら答えてくれた。
「空井一尉、室長は外出されましたよ?」
「えぇ~……。そうなんですか?俺、約束してたのに……」
「あれ?そうなんですか?」
ばさばさとデスクの上の書類をどかしてパソコンを叩くと、今日の室長のスケジュールが入っている。確かに、今日は終日在籍だったはずだ。
溜まっていた書類に目を通してもらう約束を取り付けていたのである。
「どちらに行かれたかわかりますか?」
「あー……っと、地元の組合のほうにとか言ってたかな?」
それを聞いた大祐は、うぇ、と唸って両手で頭を掻く。帰り時間の読めない相手のところに出かけて行ったのかと思うと、今日、仕上げたかった書類はまた先延ばしになるかもしれない。
そこに、電話が鳴った。
「はい。広報班です」
「空井一尉。お疲れ様です。比嘉です」
「あ、お疲れ様です。お久しぶり……、でもないですね」
つい先日も、ぎりぎりになって提出した書類があって、比嘉に根回しを頼んだばかりなのだ。
「ちょうどよかった。今日、仕上げてお送りしようと思っていた書類なんですけど、また室長が外出してしまって間に合いそうにないんです」
「また、ですね」
「また、で申し訳ないです」
かまいませんよ、という電話の向こうの比嘉に向かって、見えるはずもないのに頭を下げる。
含み笑いが聞こえて、すみません、と繰り返した大祐に、比嘉の声が変わった。
「空井一尉」
「はい」
「今日、ご連絡したのは、そちらに取材の申し込みがありまして、アテンドをお願いしたいんですが」
ブルーが戻ってきたことで、取材の申し込みはいくつか続いている。その一つだろうと頷いた大祐は、一瞬、心臓が止まるかと思った。
「取材相手は帝都テレビさんです」
「……!」
帝都テレビと言っても、部署もたくさんある。違うかもしれない、と思いながらも、全身がざわめく気がした。
「……の、それは……。はい」
「帝都テレビの、稲葉さんからの取材の申し込みです。アテンド、お願いできますか」
「……あ」
いつか、いつかは来るかもしれない。
心のどこかでそう思っていたのは間違いない。
まして、相手は……、リカは仕事として正式に申し込んできたのだ。断る理由は、ない。
言葉に詰まった大祐に、比嘉はリカにしたのと同じように静かに問いかけた。
「相手が、稲葉さんだと受けてはくれませんか?僕らが、きっと、もっとも信頼できるマスコミの方です。きっと……、いえ、間違いなく、公正な目でみて、伝えてくれるはずです」
「……はい。それは……。わかってます」
それについて、誰よりも、大祐は自分が一番わかっていると今でも自負がある。何度も息を飲み込んで答えた。
「わかりました。お受けします」
「よろしくお願いします」
詳しい日程の調整は、メールですることにして電話を切る。
手を開いて、力いっぱい握りしめないと、自分を律しておけない。
―― 馬鹿だ。俺は……、自分からあんなメールを送っておいて、会えると思ったらこんなにも嬉しいなんて……
今のリカはどんなだろうか。
あの笑顔は。
相変わらず無茶をしてるだろうか。
会って……、自分は冷静でいられるだろうか。
その日まで、揺れて、揺れて。何度も、その瞬間を思い描いて、冷静でいられるようにと、心に固く戒めるしかなかった。