駅まで迎えに行くということになっていたから、あの頃の様に坂手達が来る前にハンディカメラを持って歩くはずのリカを迎えに行くまで、何度も落ち着かず、時計を眺めた。
リカがくる瞬間を何度も思い描くうちに、きっとリカならこんな質問をするだろう、こういうことを聞いてくるんじゃないか。
何度も繰り返すうちに、時には笑みが浮かぶようになった頃、大祐は車のキーを手に自分の席を立った。
エンジンをかけて、ゆっくりと車を走らせても、駅はすぐ目の前だ。
駅に向かって信号を越えた時点で、すぐにわかった。
邪魔にならないように、少し手前に車を止めて、息を吸い込む。車を降りて歩いていく足が、雲の上を歩くような気がしてそこからの時間は、まるで時間が戻ったような気がした。
「お久しぶりです」
「……お久しぶりです」
一瞬、息を飲んでから無理やり自分をひっぱたくように口を開いた。
―― 今は、仕事、だ……
何か言いたげだったリカをも置き去りにするように、話を切り替えて、車にリカを誘導すると、基地に向かった。
一つ一つ、記憶をなぞるように、基地の中を案内して歩く。真剣に耳を傾けてくれるリカは、少しも変わっていなかった。
誰の言葉も、一言、一言、聞き漏らすまいとしてくれているのがわかる。
「……皆さん、同じですね」
ポツリと、廊下を歩いている間にリカが口を開く。それまでずっと聞き手に徹していたリカが、控えめに話し始めた。
しばらく前に比嘉の話を聞いたのだという。
多かれ少なかれ、誰の胸にも痛みと、なくなることのない傷がそこにある。
それは、リカにも大祐にも。形も痛みの色も違うかもしれないが、確かにそこにあることは確かだった。
並んで歩く二人には避けられない時間がそこあるのと同じように、ひどく確かなもの。
あの頃と、話すことは全く違うのに、話していれば、その距離が埋まりそうな錯覚を覚えてしまう。そして、同じように埋まらないものだということもわかりきっていた。
「もうぎゅうぎゅうにおしくらまんじゅうみたいに……っ」
見ないふりをしたくて、少しでもと口調を変えてふざけた大祐は、途中で言葉を切った。
少し、雰囲気が変わったリカの頬を光るものが流れ落ちる。
「私……何にも伝えられてません」
振り返った瞬間の、涙に触れて、あれほど冷静になれないと思っていた心の中が一瞬で、凪いだ。
―― ……やっぱり、そういうあなただから。僕は間違ってなかった
泣くほど心を痛めても、それでももっと何かできないかと思ってしまう。自分をどれほど追い詰めて、辛い思いをしてでも、その先へと突き進んでしまう人だから。
そんな人だから、あのときの選択は間違っていなかったと大祐は思う。
「僕が、稲葉さんにできることは他にもう、ないんです」
つられたわけでもなく、ただ、涙が溢れそうになるのを、眉間に力を入れて何度も堪えた。
はじめは、よけいに泣けるからやめてくれといっていたリカにも、大祐の思いが手のひらから伝わったのか、そのまま涙が止まるまで、二人はその場にしゃがみこんでいた。
リカが泣きやむまで、頭を撫でてその肩をそっと抱いて。
ようやく、リカの涙が止まると、先に大祐は立ち上がる。何もなかったように大きく伸びをして、息を吸い込んだ。
リカが気まずいだろうということもわかっていたからこそ、ごく自然に振舞う。
「……すみません」
「久しぶりにこんな景色や話ばっかり聞いて、稲葉さん、少しお疲れになったでしょう。僕、また駅まで送りますから、行きましょうか」
「……はい」
顔を見たら、場所も今の立場も考えずに抱きしめてしまいたい気持ちでいっぱいだった。
ぎこちなく、互いに視線を合わせずに大祐の車に向かうと、エンジンをかける。
―― 早く……、早く送っていかないと……
そう思っているのに、大祐の胸のうちには重い石が詰まったような気がして、安全運転をという言い訳の元に、たった数百メートルかもしれない距離をのろのろと走る。さすがに、信号を越えたらどんな言い訳のカードも残っていなかった。
同じように、リカも散々泣いておいて、もう何も言うことができずに、窓の外を睨むように視線を向けていた。
思わず泣いてしまったリカにかけられた言葉が、何度も耳の奥で繰り返される。
僕が、稲葉さんにできることは他にもう、ないんです。
止めを刺されにきたつもりはなかったのに、幸せになってという言葉にすがって、まだ最後の望みがあると思っていた自分を思い知らされた。
誰かの言葉を、想いを。
伝える仕事をしているはずなのに、自分自身の思いさえきちんと伝えられない現実は幾重にも重なって、リカに突き刺さった。
顔を見上げたら、仕事できたくせに、思いがけない言葉が口から飛び出してしまうような気がする。余計なことを口にしないように、仕事の話をしようと懸命に頭の中を振り払う。
「明日は坂手さん達とお昼前に車で基地にはいります」
「……はい」
そういいながら、リカは今の自分にできることをしようと、自分に言い聞かせる。
『空井さん』
まだ耳の中ではその声が聞こえるのに。
明日で、本当に最後になるだろう。そして、きっと、もう二度と会うことはないだろう。
リカの胸の内も知らないまま、大祐は何も言わなかった。
「……じゃあ」
「……はい」
気の利いた言葉の一つも、本当ならかけられれば良かったのかもしれない。
胸のうちでは、繰り返し、繰り返し、同じ言葉が回っていたけど、いっそ、こんな男のことは忘れて欲しくて、リカが車を降りて頭を下げたのを目も合わせずに頷きだけを残して、車を走り出させた。
その後ろ姿は見ないでおこうと思っていたから。
―― ありがとう
ずっと見送っているだろうとは思ったが、バックミラーを見ることもできなかった。
涙があふれて、唇をかみしめても、目尻からこぼれてしまう。
大祐は、わざと遠回りして基地へと車を走らせた。