青い、何度もその隣に乗せてもらった車が走り去っていくのを見ながら、今はひどく落ち着いていた。一度は気持ちが溢れてしまったものの、リカにも今ならわかる。
久しぶりの再会を果たした鷺坂と見渡した空は今も青い。
「……ずっと考えてきたんです」
その答えをもらっていたのに、気づきたくなかった。
本当は。
愛していると。
だから、ほかの誰よりも幸せになってほしいからこそ、この手を離したのだ。
ずっと、ずっと前にそう伝えられていたのに、認めたくなかった。
「私にはずっと笑っていてほしくて……」
だからもう、この手を取ることはないといわれたのだと、ようやくわかった。
忘れることなどないこともわかっていたが、ようやく、自分も踏み出さなければならない時が来たのだと思った。言葉にはださなかったが、大祐もきっと同じことを考えていた気がする。
そして、鷺坂と回った先々で、リカは今、自分にできることをやろうと動き始めた。
とっていたホテルに戻って、急いで配布用のチラシを作る。鷺坂に教えてもらって、朝早くから少しでも人の集まる場所を回って、チラシを配って歩く。
明日は、と昨日は言ったものの、これが本当の別れだと思っていた。こうしていても、リカよりも少し背の高い、いつも困ったような笑みを浮かべるあの顔が思い浮かぶ。
同士として、と言って握手した手が予想外に柔らかく温かかったこと。
不意打ちのようなキスも。
言葉はなくても、心が通じたと思ったことも。
2年たっても。
今、この瞬間も好きだと思えるから。
置いていかれたとか、どうしてかとか、そんなことはもうどうでもよくなっていた。
リカの胸の内で、たった一つだけ、残っていた塊がキラキラした光るものに変ったのだから、それを受け入れて、生きていこう。
―― ……空井さんには、会わずに行く
鷺坂と思いがけないアイデアを話し合ったついでに、伝言を頼んだ。
できることを最後に残していくつもりで、チラシを配りながら、リカは笑みを浮かべていた。
ありがとう。
―― ありがとう。空井さん
きらきらしたものの上に、そんなあたたかい気持ちがひとつ、ひとつ、降り注いでいく。
その思いは、この空に、きらきらした青い軌跡を待っている人たちの笑顔がますますリカの背中を押した。
「遅いな……帝都テレビの稲葉さんからの連絡は?」
「いえ……」
思いは吹っ切ったつもりで今日の取材に望むつもりだった大祐は、山本のつぶやきで時計を見た。
とうに基地に入っていなければブルーの飛行訓練に間に合わないことはリカも十分わかっているはずだ。予定の時間からは随分遅れている。
何かあったのではと思い始めたところに電話が鳴った。
『そ~らぴょん』
「……?そら……ぴょん?」
『そらぴょんに、稲ぴょんから伝言。今日のブルーの飛行訓練は基地の外から撮影するのでそちらには伺いませんとのことです』
電話の相手が誰なのかはわかったが、まったく意味のわからない内容に、首をひねっていると、外に出てみろという。
鷺坂の言葉にひとまず言われたとおりに外に出た大祐は門の前を続々と歩いていく人々や、門のすぐ傍のほとんど車の通らない道に集まっている人々を見て目を丸くした。
てっきり、鷺坂の企てかと驚いて近寄った大祐に、鷺坂はぬっとブルーのチラシを差し出す。
「これ。……稲ぴょん、朝からいろんなところで配ってたんだよ」
チラシの隅に不細工なウサギの絵が描かれている。昨夜、鷺坂が連れて歩く間に、展示飛行を見られなかった地元の人の声を聞いて黙っていられなくなったのだという。
頭の中が真っ白になって、ただ、集まった人たちを見ているうちに、空に響く六機の機体を迎える歓声が顔を上げさせた。
白い軌跡を見ながら、笑顔で手を振る人たちを見て、胸が熱くなる。
「稲ぴょん、お前に会わないで帰るつもりだよ」
詐欺師としてお手上げだという鷺坂の話を聞いて大祐は何も言えなくなる。
―― あの時も、彼女は僕らを守るために、苦しいはずなのに一人で行ってしまった
苦しさに唇をかみ締めた大祐を見て、堪えきれなくなった鷺坂が声を上げた。
「勝手な願いだが、俺は、お前たちに!諦めて欲しくない!」
その声を掻き消すように、周りで上がった歓声を聞きながら見上げた空にあったもの。
空に描かれた、大きなハートマークを見たとき、頭の中には二人で見上げた空が思い浮かんだ。
『稲葉さんと一緒に見られて本当に、本当によかった』
もう、終わりだととっくに別れを告げたはずなのに。
そう思ったときには身を翻して走り出していた。
―― 何度でも、出会えばいい。何度でも、始めればいい。