ブーケとブートニア12

「へぇ……。てっきり怒るんじゃないかと思ってましたよ」
「藤枝さんは怒ったんですか?」

予想外に早い切り返しを食らって、わずかに藤枝が、目を見開いた。
グラスに半分ほど残っていたビールを一息の飲み干すと改めて空井の顔を正面から見る。

「ええ。怒りましたよ」

少なからず挑戦的だったかと思ったが、空井はその目をただまっすぐに受け止めた。

「いくら稲葉が、仕事の責任だ、なんだといっても、結局のところ、あいつは女なんです。何もなければいいかもしれませんが、こうして何かあってからじゃ遅いですからね」

そうですね、と口の中で呟いた空井は、自分と藤枝の分のビールを追加した。

「じ……、僕はまだ稲葉さんに会ってないので、本人から話を聞く前にどうこう言えないんですが」

一旦、そこで言葉を切った空井は、迷う、というより言葉を選んでいる様子だった。

「それも稲葉さんだなと思うんです」
「……稲葉らしい、と?」

言外にだからそれでいいのかと問い返した藤枝に、ふっと空井が笑みを浮かべて首を振った。

「いいとは言えません。できるならそんな目にあってほしくないし、……でも、藤枝さんはもし、そう言う場面で、一番先に逃げ出す稲葉さんのほうがいいんですか?」

まっすぐ、射抜く様に見返す空井の目から早々に視線を逸らした藤枝に向かって、空井は鞄から件の封筒を取り出した。
滑る様に藤枝に向けて押し出された封筒に怪訝な顔で問いかけると、ただ黙って空井は半分だけ目を伏せる。

かさりと開いた封筒の中身を見て、次に笑みを浮かべたのは藤枝の方だった。

「あー。やっぱりあいつ、気づかなかったんだ」

黙ってうなずく空井の目の前で人差し指の第一関節あたりで止まった指輪をくるくる回すと、にやっとそれを示した。

「よく気が付きましたね。あいつ、ドライフラワーにするとか言ってたし、ラッピングもそのままだったでしょうに」
「そのままの姿で逆さにぶら下がってました。でも、あんなすごい花束、いつもの仕事で分けてもらったにしてはと思って」

どうしたのかと聞いたのだという。
鈍いようでいて、リカのことには鋭いじゃないか、と藤枝はふて腐れそうになる。

「じゃあ、これは?これにも気づきました?」

ひらっと封筒に入っていたリボンを手にすると、空井が頷く。

「正直、それに気が付いたのは本当に最近なんですけど。稲葉さんには何も言わずに持ってきちゃったので、ひとまずそれを謝ろうと思って」

すみません、と律儀に空井が頭を下げたのを見て藤枝が呆気にとられた。

「あの、空井さん。わかってます?俺がこれ、あいつにやった意味って」
「ええ。藤枝さんからの気持ちなのかなって。ただ、それを俺が勝手に外して持ってきちゃったのは、本当に俺が勝手にその時、動揺しちゃっただけなので、それは藤枝さんに申し訳なかったなと思って」

―― マジで言ってんのか?この男

自分の婚約者を口説こうとした男に対して、妨害するのは当然だろうに、申し訳ないと頭を下げるなんて藤枝には全く理解できない。
何を考えているんだろうと言いたくなって、もう一度繰り返した。

「いや、あの。おかしくないですか。俺は稲葉にこの指輪を用意したってことは、それなりに意味もあるし、空井さんにとってはある意味、敵でしょ?」

その相手に向かって詫びるとは何事だという藤枝に、至極、真面目な顔で空井は頷いて見せた。

「敵っていうとなんだか、剣呑ですけど、まあ、僕にとってより、稲葉さんに正面から向き合おうとしたのを結果的に邪魔したことになりますから」
「邪魔……、するでしょ。普通」
「普通、かどうかはわかりませんけど……。でも、藤枝さんにはこれまでいくらでも機会があったはずじゃないですか」

空井も散々、この指輪とリボンを眺めて考えたのだ。
2年である。
自分が一方的にリカを切り捨ててから2年の間、いくらでも藤枝にはリカにつけ込む隙はあったはずなのだ。
にもかかわらず、リカを友人として支えるのに徹してきた藤枝が、このタイミングで動いたのは、もしかしてフェアに行きたかったからではないのかと。

「これは、俺の勝手な推測なんですけど」

そんな前置きをした空井は、酒を飲んでいるにもかかわらず、これまで藤枝が見たことがあるのと何も変わらないくらいまっすぐな姿勢のまま、ビールを手にする。

「だから、藤枝さんは、僕と稲葉さんが……」

付き合うことになって、というべきなのか、結婚することになって、というべきか、言葉を探した空井に向かって、藤枝が諸手を上げた。

「はいはい。その通り。空井さんと稲葉が結婚するって聞いたから、賭けに出たんですよ。初めから負け戦なのはわかってましたけどね。あいつはあれでいて、寂しがり屋だし、まじめだし、本当は弱くていつも無理して立ってるような奴だから」

空井がいなかった間、何度も泣きたいはずなのに、泣けなかったリカを見てきた。
その日の天気さえ、外をみるのに嫌そうな顔をして。青空を見上げるたびに、眉間に皺が寄るのも随分見てきた。

「はっきり言っていいんですよ。俺はあれを用意した時、空井さんの敵のつもりだったし、実際、こうやって何かあった時に傍にいて守れるのは俺の方じゃないですか?」

守れるのか。
突き付けられた言葉を避けることなくまっすぐに受け止めた空井は、正直な感想を口にした。

「……それ、正直なところ、稲葉さんのご家族には言われるんじゃないかと思ってたんです。まさか、藤枝さんに言われると思わなかったけど」

―― なんだよ。余裕あんじゃん

情けない顔だと本人は言うだろうが、向き合った藤枝からすれば、余裕の笑みに見えた。

「いざというときに守れるのかと聞かれたら、自分はハイとは答えられません。実際、そういう理由で一度、彼女の手を離したのは自分です。今でも、稲葉さんと一緒に歩くのは自分じゃない方がいいんじゃないかって、そういうことも、離れている間には考えたりもします」

そんなことはもちろんだった。
付き合うようになったからと言って、毎日幸せいっぱいで何も考えないなんてありはしない。
三十路手前の自分達が、これからのことを考えたら、当然である。

「やっぱり、稲葉さんは今の仕事を続けたいだろうし、自分は、異動があれば、全国どこにでもいきます。当然、寂しい思いだってさせるでしょう。そんな生活に稲葉さんを巻き込んでいいのかって、今でも考えます」

目の前で泡が消えていくビールに手を伸ばす。
空井の迷いは男なら当然思うだろう。まして、誰かを守るという仕事を生業にしているならなおさら。

「でも……、稲葉さんと一緒に生きることを決めたんです」

あの日、リカが同じように走ってきた姿を見たとき。

空井はビールグラスから手を離した。

 

投稿者 kogetsu

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