「藤枝さん。改めて稲葉さんをお願いします」
「……はぁ?!今、自分であいつと一緒に生きるって」
「あ、ああ。えと、ですから、自分はずっと傍にはいられないんで」
「おい、どういうことだよ!そんなこと」
真剣になればなるほど感情が先に出て話の順番がおかしくなるのは相変わらずだ。
それを誤解した藤枝が怒りだした瞬間、あわてて空井が手を挙げた。
「違 います!最後まで話を聞いてください。僕はいつでも彼女の傍にいられるわけじゃない。今回のように怪我したことも知らないかもしれない。だから、稲葉さん の傍にいられる藤枝さんに力を貸してほしいんです。僕達は、自分たちだけでできることなんて、限られてるって知ってるんです。周りの皆さんの力がなかった ら僕たちは駄目になるところだった」
結局のところ何が言いたいのだと言いそうになるが、藤枝は忍耐力を総動員して待った。
「僕らが、一緒に生きていくために、誰かに力を貸してもらわないとうまくいかないなら、お願いするしかないんです。どうかお願いします。僕が傍にいられない時に、できる限りでいいんです。守ってくれとは言いません。ただ、稲葉さんを気にかけてあげてください」
きっちりと座ったままだというのに全身全霊をかけて頭を下げる姿にしばらく藤枝は固まってしまった。
「……なんだよ……」
「は?」
頭を下げていた空井が顔を上げると心底ふて腐れた顔を目にする。
そのむしゃくしゃを示すように、諸手を上げたり掌に拳をあてたりした挙句に、藤枝はビールの中に目の前にあった指輪を放り込んだ。
しゅわしゅわとグラスの底で細かい泡が立つ。
「ふ、藤枝さん!」
「もとから勝てるなんて思っちゃいなかったんですよ。2年ですよ2年。傍にいない上に、自分のことを切り捨てた男を思い続ける女なんて、振り向くわけがないでしょ。ありえない」
二人がようやく付き合いだしたからこそ、フェアに割って入った。
負けるのは覚悟の上だったがこの仕打ちはないだろう。
「……それ、本気で言ってんですか。仮にも、自分の惚れた女のことでしょ」
「本気じゃなかったら、こんなことは言いません」
―― そういえば、この男が戦う男だったと忘れてたかもしれない
手放す気などないくせに力を貸せというのはある意味、ひどく傲慢にも聞こえる。
それでも空井が真剣に言っていることが藤枝にはわかった。
それは、空井の覚悟なのだろう。
「……降参」
何度も視線を彷徨わせて、何かを言おうとして結局、口から出てきたのはそれだった。
純愛など、自分にはできないだろう。こんな風に捨て身で守ろうとするなんて、自分には到底できないと思う。
「冗談、冗談ですよ。俺はあんなガツガツした奴なんて御免です。女の子は可愛くて、優しくて、それだけで十分です。いいですよ。俺にもたくさん彼女がいますけどね。その合間に稲葉の様子を見るくらい」
「……ありがとうございます」
「はいはい。俺もね、あいつと同期なんてもうこれは運命ですよ。貧乏くじを引くって言うね。だから甘んじて受けましょう!男、藤枝。女の子との約束は守れませんけど、男同士の約束は守ります」
まだビールの残ったグラスをぐーっと押しやって藤枝は新しいビールを注文する。
目の前に並んだナッツを手にしてぽいっと口に放り込むと、今更のように片手を振った。
「あ。もういいですよ。気にしなくても。早く稲葉のところに行ってやってください。今日、こっちに来てるの知らないんでしょう?驚きますよー。それに、あいつとも話しなきゃでしょ」
「……すみません」
元々、早い時間からだったのに、テーブルの上にはビールとつまみしかないのはそういうことだろう。リカのもとに行ってから、一緒に食事をするつもりなのだという意思をはなから見せていたのだ。
追い払うようにひらひらと片手を振った藤枝に頭を下げて椅子から立ち上がる。自分の分をと財布を出そうとした空井を藤枝が軽く睨みつけた。
「ここ。俺の奢りです。そのくらいは俺にも譲ってくれますよね?」
「了解です」
ふっと笑った空井が鞄を手にしてテーブルを回り込む。じゃあ、と言いかけて振り返った空井は、ナッツの殻を割っている藤枝の背中を見た。
「でも、藤枝さん」
「はい?」
「可愛くて優しいですよ。稲葉さん。藤枝さんもそう思ってるでしょう?」
顔だけを藤枝に向けた空井に言われて、振り返った藤枝はその日で一番、正直に思った。
―― ムカつく!!
指先に持っていたナッツの殻を空井の方へと投げつける。
「さっさと行っちまえ!色男」
「僕は色男なんかじゃありませんよ」
「うっせ……。ああ、空井さん」
階段に足をかけた空井を今度は藤枝が呼び止める。
「次は稲葉と一緒に飲みましょう。あいつを肴にして」
「……いいですよ。楽しみにしてます」
そして、今度こそ、空井は店を後にした。
店を出て数歩歩いたところで、膝からかくっと力が抜けそうになった。
「うわっ……!」
何もない道路でコケそうになった空井は、一人でわたわたとしてから再び駅に向かって歩き出す。気づけば掌も緊張で強張り汗ばんでいた。
「どれだけ緊張したんだろ、俺」
ぐーぱーを繰り返して自分の掌を見つめながらふう、とため息をついた。
―― やっぱ、藤枝さんはもてるだけあって格好いい。それにくらべて俺は……
全力で戦ったつもりではあったが、どちらかというと、捨て身な戦い方ともいえる。
きっと情けない自分を見かねて藤枝の方が譲ってくれたのだろう、と勝手に考えながら、駅に着くと携帯を取り出した。
「もしもし」
『もしもし?大祐さん、どうしたの?』
電話に出た瞬間、向こうからは疑問符が飛んできた。
「どうしたのって?」
『今、外?なんか珍しいなと思って』
ああ、そうか、とようやく疑問の中身を理解する。基地の周囲ではこんな風に賑やかな場所などほとんどないからだ。
「それで電話したんだ。今、どこ?家?」
『うん。もう家に帰って来たんだけど』
「そっか。じゃあ、あと30分くらいで着くから」
『……は?!』
思わず叫んだリカは、耳に当てていた携帯を話すとまじまじと眺めてしまった。
―― 今、30分くらいで着くっていった?!
「え、ちょちょ、どういう事?」
慌てたリカは、散らかった部屋の中をみて、即座に立ち上がって片付けながら問いかけた。
あまりの慌てぶりが伝わってしまったのか、電話の向こうから笑い声が聞こえる。
『実は、僕、明日空幕なんです』
「え?!」
『あ、正確に言うと今日から出張で。そのままこっちにいて日曜に帰ればいいことになってるんで、今から行きます』
行っていいですか、ではなく行きます、ときっぱり言い切った相手に、ああ、色々まずい、と思ったのも束の間で、じゃあ、電車来ちゃうんで、と言ってあっさり通話を終了された後、呆然と部屋の中を見回してしまった。
「やばい……」
利き腕が痛いのもあって、繁忙期並みに散らかっている。慌てて、洗濯物を洗濯機に放り込み、放り出していた雑誌類を片付ける。うっかり右腕を使うと、時々痛みが走ったが、とりあえず急いでいるので構わないことにして、次々と目につくところから済ませて行った。
手早く掃除機をかけてベッドを整えたあたりでぎりぎり30分である。洗濯物を干しだした最中にチャイムが鳴った。