ブーケとブートニア14

合い鍵はもっているが、一応、律儀にチャイムを鳴らしてから鍵を開けた空井が表の空気と一緒に部屋の中に現れる。

「ただいま」
「っ!……おかえりなさい」

一番見られたくない、下着類を先に干してしまった後、タオルをぱっと広げていたリカが振り返る。玄関から数歩で現れた空井が片手に鞄を持ちかえてリカの目の前に立った。

「来ちゃいました」
「はい。ちょっとびっくり」

互いにくすっと笑いあった後、部屋に入った空井はひとまず鞄を置いた。スーツだけ広げていいかと聞くと、リカの服の隣に持ってきたスーツを吊るす。

もう随分暑くなってきたので、1着ではと持ってきたのだ。
着ていたジャケットも一緒にハンガーに掛けると、リカの傍に歩み寄る。

「手伝おうか?」
「ううん。大丈夫。もう終わるから」
「そっか。俺、汗臭いと思うんだけど」

それも一応断りを入れておいて、最後のバスタオルを広げていたリカを背後から抱きしめた。

「きゃっ」
「すごい嬉しい……。こんなにすぐ会えた」

ぎゅっとリカの細い体を抱きしめるとその腕にひんやりと濡れたタオルが触れる。
リカの手が軽く空井の腕に添えられて、空井を受け止めたリカが少しだけ首を傾けた。

「たまになんだろうけど、出張、嬉しい。……それに、“ただいま”って言ってくれた」

この部屋に『行ってもいいかな』ではなく、『行きます』と言ってきて、『お邪魔します』ではなく『ただいま』というのも今回が初めてだった。

「あれ……そうだっけ」
「うん」
「そか」

短い会話の後、空井が腕を緩めると最後の一枚を広げたリカは、新しいタオルを用意する。

「はい。汗、流しちゃってください。ワイシャツもなんだったら洗いますよ。明日着られるようにアイロンかけます」
「わ、なんか奥さんみたいだ」
「ひどい。奥さんになる予定なんですけど?」

リカがおどけてみせると、本気で空井が照れたらしい。口元を押さえて、小さくやばい、と呟いている。

「大祐さん?」
「……予想以上に照れる」

ぼそっと追加で呟いてからタオルを受け取ると、リカの顔を見ないように服を脱ぎ始める。だいぶ見慣れてはきたものの、つられて照れくさくなったリカはキッチンに立った。

「何か食べてきました?」
「いや。リカは?」
「私もまだ……。なにか、簡単に作りますね」

幸い、冷蔵庫には家からでなくてもいいように買い物をしてあった。うーん、と呟きながらも何を作ろうかと乏しいレパートリーから考え始めた。

 

 

「ん……。私より大祐さんの方がやっぱり手際がいいからかな。おいしい」

味まで違う気がする、といったリカに、まさか、と空井は笑った。
空井がシャワーを使っている間に、リカがズッキーニとトマトのパスタを作り始めると、濡れた髪を拭きながら空井がそれを手伝ったのだ。

利き腕を痛めているのにと言って、実はほとんどやってもらったようなもので、リカは気が引けてしまう。

「洗い物、俺がやるよ」
「あ。いいの、私。明日、休みになったからあとでゆっくりします」
「なんで?」

実は明日のリカの休みは知っているのだが、リカから直接聞きたくて、空井はわざと問いかけた。
流しに運んだお皿も使った鍋やフライパンも手際よく洗ってしまう。

「……やるって言ってるのに」
「いいから。で?なんで?」
「それは……。なんか腕を医者に見せに行かないといけなくて……」

ちらっとリカをみて視線を合わせたものの、ひとまず何も言わずに洗い終えてからお茶を入れた。

「今日は、お茶にしておこうか。俺も明日は仕事だし」

本当は酒を飲むと、痛み止めを飲んでいても痛むだろうから避けたのだ。
温かいお茶をテーブルに置いてからリカの隣に腰を下ろす。

「で?」
「で、……って?」
「怪我した理由、聞かせて」

そういいながら、リカがすっかり忘れていた右側の額の傷にそっと手を触れる。カサブタになっていて、指先に固い感触が残った。痛む腕はまだしも額の傷はすっかり忘れていた。

慌てて前髪を引っ張っても今更隠れるわけはない。

「あのドジっちゃって」
「だから、ちゃんと聞かせてよ。何がどうしてこんな風になってるの?しかも、こっちの腕、湿布かえた?」
「……今日はまだ」

ふーっと仕方がないという顔になった空井が片手を差し出す。え?と首を傾けたリカに湿布を、というとようやく意味を理解したらしい。渋々、白いジッパーのついた湿布の袋を差し出した。

「……その、取材中にね。ちょっと」

あくまで言葉を濁すリカをじっと見ていた空井は、黙って立ち上がるとタオルを濡らして戻る。額のカサブタは後回しにして、リカの腕をとると包帯を外した。

「!」

湿布をはがしたところで、黒々と色が変わって、未だにまだ腫れが引いたわけではない。
はっきりと眉間に皺を寄せた空井は、丁寧に濡れたタオルで湿布の後を拭った。

「なんで」
「え?」
「ちょっとぶつけたくらいでこんなにならないことくらいわかるよ。俺達は訓練の間にもいろんなことがあるから」

どの程度のひどさなのかよくわかる。筋肉か、筋を痛めたか。
そのくらいひどい。

なかなか話そうとしないリカに対して、ついつい怒りが声に滲みそうになる。

「話してよ」
「…… 取材中に、ちょっと悪そうな若い男の子たちの集団に囲まれて……。すぐに撤収したんだけど、取材車のところまでずっとついてきてて、珠輝も一緒だったか ら、何かあっても困るし、珠輝はね。坂手さんと大津君の間ですぐ車に乗らせたんだけど、私は最後まで絡まれちゃって。一人、こういう2Lのペットボトルみ たいなの持ってた奴が振り上げてきて」

怒らないでいよう。
そう心に決めていたのに、今はリカにではなく、その場面を想像しただけで相手の奴等に怒りが向かう。
もし、その場にいたら冷静に対処できただろうか。
今は事後で、なかなか話してくれなかったこともあって、余計に行き場のない怒りがわいてくる。

「でも、それはこっちの腕でよけたの。だから、全然平気だったんだけど……」

反対側の腕を反射的に上げて、相手の攻撃はよけたのだというリカの反対腕にもぶつけたような青あざがあった。
もう片方よりはましという状態に、言ったリカ本人も平気とは言い切れない腕を隠そうと手のひらで覆う。

その手をそっとどけて、様子をみた空井は、先にそこに湿布を張った。

「全然平気じゃないでしょ。こんなの」
「……ごめんなさい」
「それで?」
「そのペットボトルをよけた時に、道の脇の柵にぶつかって……」

唇を噛み締めたリカの頬にそっと掌を当てた。

「そんな顔しないで。僕は怪我をしたリカに怒ってるんじゃないから。相手の奴等と、話してくれなかったことに怒ってるだけだから」
「……ごめんなさい」
「うん。僕もごめんなさい」

唐突に謝った空井にリカが顔を上げる。
苦笑いを浮かべた空井は、リカの腕に湿布を張って、包帯を巻き始めた。

「本当はね。何があったのか知ってたんだ。佐藤さんと藤枝さんが教えてくれて」
「え?!大祐さん知ってたの?!」
「うん。こんなにひどいとは思ってなかったけど、話は聞いてた。だから、本当は明日休むつもりだったんだ」

互いに、仕事を休みたがらないことをよくわかっている二人である。
そんな空井に仕事を休ませてしまいそうだったと思うとそれだけでリカは申し訳なくて辛くなってしまう。

あんなに言ったのに、なぜ空井に知らせたのかと珠輝や藤枝に腹が立つ。

「二人は悪くない。ちゃんとリカが話してくれればよかっただけだからね」
「それは……、でも、心配かけたくなかったんだもの」
「教えてもらえない方がもっと心配する。……というより、信用されてないのかなって思う」

はっと顔を上げたリカが明らかに動揺した顔で空井の腕を掴んだ。

「違う、違うの!ただ、心配かけたくなかっただけで、信用してないわけじゃないから」

―― お願いだから嫌いにならないで

途中で途切れた言葉の先を聞いた気がして、包帯を巻き終えた空井は座った足の間にリカを引き寄せた。

「ちゃんと話そうか」

勢いで一緒になると決めて、進んでいても大事なことは疎かにはできない。
仕事は互いに今のままということも暗黙のままだったことを今は後悔していた。

「結婚すること、決めたけど……後悔してない?」
「そんなこと!するはずがない!」

噛みつくように言い返されても、空井は律儀にありがとう、と言ってから、言葉を探す。
きちんと、一つ一つ、話したいから。

「お互い、仕事は続けるつもりでいるけど、それもいい?」
「うん。まだわからないけど、やってみて何かあったら考えればいいかなって」
「でも、俺は奥さんがこうして怪我をしても知らなくていいの?」

別に責めてるわけじゃないよ、といいながら穏やかに空井は続けた。

「リカの仕事も、きっと俺とあんまり変わらないよね。いざ、世の中で何か大変なことが起こったら、動かなきゃいけない。お互いにきっと傍にはいられないけど、でも目指すものは一緒だよね」

こくん。
黙って頷いたリカにとって、異論はない。実際に、震災の時、リカも報道に張り付きになって、何日も家に帰れなかった。

「ただ、違うのは俺が男で、自衛官で、少なくとも何かあっても対応できるくらいには鍛えてるけど、リカは普通の女性で、そして、俺よりもそう言う場面に出くわす可能性が高いってことかな」
「そんなこと、危険は大祐さんの方が多いでしょう?」
「うん。危険度はね。でもその分、隊で扱う物は厳重に、何度もチェックがあるし、安全じゃない方がまずいでしょ」

苦笑いと共に、ね、と問いかけられる。
今までに空井や空幕の皆から教えられたように、ダミーのミサイルだったり、100項目以上の点検を経て、それでもまた点検を繰り返す人たちなのだ。

それに比べて、リカの方が世間という時に危険をもたらす場所と常に接する立場にあって、しかも、マスコミという立場は、自分達でも風を起こすこともあれば、常に世間から厳しい目で見られる。

「俺は、リカを守りたいと思うけど、でも必ずしもできるわけじゃない。それにこんな風に隠されたら、話を聞くこともできないよ」
「私は……。守られるだけでいたくないの。それが大祐さんと一緒になるって決めた時に私の中で決めた事」

一人で立てない人間にはなりたくない。男であっても、女であってもそれは同じことで、きちんと働いて、生活して、一人でもやっていけてこそだと思っている。
特に、自衛官の妻になることで家を守るということも難しいリカにできることはそれだと思っていた。

「どんなことがあっても、一人でも対処できてこそ、じゃない?きっと大祐さんだって同じことをすると思う。仕事でもし怪我をしても私には知らせないでって言うんじゃないかな」
「それはあるかもしれない。というか、……やりそう」

言われてみれば確かにそうだと空井は天を仰いだ。
もし、松島で何かあっても、自分は大丈夫だと連絡するだろう。そう思うと、偉そうなことを言える立場じゃなかったなと思う。

「ね?でも、それを教えてくれなかったというより、私もちゃんとしてから話たかったの。もう治りかけたんだけど実はって」
「治るまでおしえてくれなかったってこと?」

―― あ。拗ねた

空井の表情を見ていたリカは、ものすごくわかりやすい表情の変化にくすっと笑いそうになった。空井に言わせればお互い様なのだろうが、自分の方がポーカーフェイスだと思っている。

「なかなか会えないのに、心配かけた方がよかった?」
「でも言われないのも堪えるよ。言ってくれたら、もっと会いにくるし、電話もするよ」
「怪我がなかったら会いに来てくれないの?電話もしてくれないってこと?」
「「そうじゃなくて!」」

互いに言葉がかぶってしまい、顔を見合わせてぷっと吹き出した。徐々に本題からそれたことを笑いながらごつ、と額を合わせる。

「た だでさえ、離れてるから不安にさせたくないんだ。何かあったらちゃんと言うよ。だから、何もなくてもちゃんと話そう。それに、俺は傍にいられないことも多いけど、 こっちには俺の代わりに助けてくれる人がたくさんいるよ?佐藤さんや藤枝さん、阿久津さんもそうだし、比嘉さんもいるし、槙さんだって俺よりは近いし、柚 木さんもきっと助けてくれる」

そこまで引っ張り出すか?と思ったが、空井は真面目だった。

投稿者 kogetsu

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