ブーケとブートニア15

誰の手を借りてでも、自分が守れない分、補ってくれる人の手を借りても守りたい。

―― こんな風に前なら思えなかったな

自ら、険しい道を選びがちなリカを常に支える男でなければと思っていた。でも、きっとリカはそんなことは思っていなくて。
きっと、誰の手も借りずに一人で立って、自分の元に走ってくるだろう。

「俺、なんかすごい嫌な奴になってない?」
「はい?」

眉がハの字になって、ひどく情けない顔になった空井の唐突な質問に、嫌な奴という意味が分からなくてリカがはぁ?と首を傾げる。

「一緒にいられるようになって、すごく好きすぎて困るなって初めは思ってたんだけど、今は、そうやって時々、俺が嬉しいと思うことを言ってくれるのがめちゃくちゃ嬉しくて、可愛いなって思ってて」

それだけでも十分、聞いている方も恥ずかしいが、ええと、その、とまだ続きを言おうとしている空井を見てリカはじぃっと待つ。

「ちょっとだけ、こういう風に話してると、なんか……」
「なんですか?はっきり言って」
「……好かれてるなって、自惚れるっていうか……」

男のくせに、自分よりもこんな時は可愛くて、それでいてしっかり男で。
全力で大事にしてくれる人。
自分で言いだしておいて、めちゃくちゃ照れまくっている空井にリカの方から一瞬だけのキスをした。

なんだかもっと、自惚れてほしくて、自分からキスしてみたら、空井が目を真ん丸にしている。

「……初めて」
「え?」
「リカから俺にキスしてくれたの」

自分ではそんなこと意識したこともなかったが、乙女心はリカにもしっかり存在していて、普段から素直にできない自覚がある分、二人きりでいるときにはなるべく素直になろうと努力はしていた。
それでも恥じらいとか羞恥心が邪魔をしてリカの方から行動を起こすことはなかなかできないことが多いのだが。

「……駄目だった?」

半分、目を伏せたリカにそう言われると、一気に空井の心拍数が上がった気がした。
そんなわけがあるはずない。
ちゃんと話さなければと思っているのに、目の前にこんな誘惑があって逆らえる男などいないだろう。

今度は空井の方から啄むようなキスを何度も繰り返す。
唇で交わす会話の方が雄弁で、不安や小さな行き違いを吹き飛ばしてくれる気がした。

幾度目かでリカの頬から耳元へ口づけた空井が耳たぶを優しく食みながら囁いた。

―― この前みたいにはしないから、いいかな

答えの代わりに、リカは包帯の巻かれた腕を空井の首筋に回した。

 

 

「じゃあ、そろそろ行きます」
「はい」
「俺も早く終わったら連絡するね」

たくさんの小さな約束と予定を話し合っていたから、一緒に眠ったのはかなり遅かったが、朝、目が覚めてからの感覚は全然違った。
市ヶ谷に向かう空井に、乗り換えを伝えた後、何となく玄関まで見送りに出てしまう。

「やばい。これ、まずいね」
「うん。ちょっとね」

互いに照れながらも何度あるかわからない朝の見送りである。

「行ってきます」
「行ってらっしゃい」

はにかみながらドアを開けて出て行った空井を見送った後、リカも出かける支度を始めた。
病院は予約してあるし、何か用事を済ませるにも出勤時間よりははるかに遅い。軽く部屋を整えて朝食の後片付けを済ませたリカは時計を見て家を出た。

病院では、少なからず治りが思ったより悪いことを注意されたが、初めに来た時から仕事は伝えてある。そういうお仕事ですから仕方がないのかもしれませんが、と前置きつきで、大事にするようにと言われた。

診察と処方箋はすぐに出てきても、診断書の発行には随分待たされる。その間に、つい、いつものようにスマホをチェックして空井にメールを送りそうになってしまった。

「っと。今日は比嘉さん相手だって言ってたから邪魔しちゃうな」

止めた手を再び動かすと、次々入ってくるMLやツイッターをチェックする。そろそろ昼近い時間で病院のロビーも清算を待つ人たちでいっぱいになりだしていた。

操作している最中に勝手に画面が変わって着信相手が表示される。
ついさっき自分がメールを送りそうになった空井だったことに驚きながら、席を立ったリカは電話OKのエリアまで移動した。

『あ、リ……っと稲葉さん?』

呼びかけを変えた空井に気づいて、はい、稲葉です、と答える。この雰囲気だとどうやら仕事場にいる状態でかけてきているらしい。

『今、大丈夫ですか?』
「ええ。診断書待ちなので大丈夫です」
『そうですか。それ、あとどのくらいで終わりますか?』
「は?……もうそろそろ呼ばれると思いますけど……」

なんだか久しぶりに聞く、空井の仕事モードの声に懐かしさと同時にドキドキしてしまう。
どうも、何かを思いついたのか声がひどく楽しそうだった。

『じゃあ、お休みのところ申し訳ないんですが、仕事の話をしてもいいでしょうか』
「はい。何でしょう」
『僕ら、東北六魂祭で、松島基地からブルーインパルスを飛ばすんですが、メイン広場にもブースを出すんです。それ、取材しませんか』

仕事の話はプライベートではしない。二人の間の小さな約束にも入っていたが、話せることは話して相談するというのも約束したばかりだった。
帝都テレビの情報局でも系列局が取材することにはなっていたが、わざわざ空井が言ってくるにはわけがあるのだろう。

リカも腕時計を見てから仕事の顔に切り替えた。

「即答はできませんが、一度お話を聞かせていただけますか?上司と相談してみます」
『やっ……、ありがとうございます。じゃあ、午後からお時間いただけないでしょうか。あ、良かったら終わってこっちに来てくれれば……』

急に声が低くなって、口元を覆ったらしい。小さな声で、お昼、比嘉さんが一緒にどうですかって、とプライベートな話が差し込まれる。

―― 嬉しい。こんなこと馬鹿だって言われるかもしれないけど

仕事で出会った空井と一緒にいられるようになって、きっと仕事で関われることなどなくなるだろうと思っていたが、こうしてその機会がありそうなだけでも嬉しくなる。
いろんな顔を知る様になっていても、やはりリカにとっての空井は、あの制服を着た姿が根本にある。

「わかりました。終わってから一度、局に電話を入れてからそちらに向かいますね」

じゃあ、と言って一度電話を切った後、すぐにリカは阿久津に連絡を取った。
実は、福島の系列局は地方局ではあったが、系列局の中でも独自性を持ちつつ、パイプの太い関係でもある。電話に出た阿久津に、休みくらいはまともに休めと叱られはしたが、診断書を無事にもらったことを報告すると少し応対が和らいだ。

そのうえで、六魂祭についての話を振るとしばらく考え込んでいるようだった。

「系列局に取材も振ってる話だろう?」
「ええ。ですから、大きく何か変えたいという事ではなくて、協力という形で取材方針や内容について入るのはどうかと」

以前と同じことを繰り返すつもりは毛頭ない。系列局は系列局ですでに事前準備から取材に入っているはずだ。そこに今更というのも筋が違う。ただ、松島に戻ったばかりのブルーインパルスは祭りの目玉であることも確かだった。

「よし。俺から系列局には連絡を入れる。お前はひとまず空自側の話を聞いてどこまで協力できるかまとめてみろ」
「わかりました。ありがとうございます」
「稲葉」
「はい」
「今日は半休扱いにしてやるから月曜にはまとめてもってこい。旦那によろしくな」

最後の一言が余計です、とくってかかったものの、配慮してくれたことには感謝して電話を切った。
顔を上げると、すでに呼び出し番号が表示されている。急いで窓口に向かったリカは、手早く会計を済ませると移動しながら空井にメールを打った。

途中で差し入れを買ってからしばらくぶりの正面入り口に近づいた。
はたと気が付けば、今日は面会の申請などは出していなかったが、ちゃんと入り口脇で大祐が待っていてくれた。

「お待たせしました。いつものように?」
「はい。いつものように」

なんだか、こそばゆい気がしたが、慣れた面会の手続きを踏んで、中へと入る。ここを並んで歩くのはどれくらいぶりになるだろうか。

「すごく、久しぶりです」

え?と隣を歩く空井を見ると同じことを考えていたらしく、眉間に皺が一本。

「稲葉さんとまたここにいる」
「……そうですね。もう二度とないのかなと思ったこともありましたけど、来れてよかったです」

空井の口元がへの字になったが、にこっと笑って一緒に庁舎に入った。
いつもと違う場所へと向かう空井にこっちじゃないんですか?と問いかけると、悪戯でも仕掛けた子供のような顔が頷く。

「稲葉さんは初めてですよね。見学者は普通、入れないんですけど」

そう言って、初めて入る建屋に向かうとそこだけ一変した光景が広がっていた。

「え?!スタバ?」
「はい。そうなんです。で、その向こうが食堂」

教えられた先で比嘉が手を上げた。
松島に向かう前に会って以来の比嘉に頭を下げる。

「少しぶりです。まだ、稲葉さんですよね?」
「……ご無沙汰してます。仕事の時は稲葉で通すつもりです」

初手から穏やかな一撃を食らったリカが目を細めて少しだけ比嘉を睨む。とはいえ、あの時比嘉が皆に声をかけて松島に送り出してくれなかったら今はない。

「その節はお世話になりました」
「いえいえ。じゃ、お昼、食べましょうか」

普通の食堂のようなメニューが置いてあって、カウンターに沿って、メニューを各自がトレイに乗せていくらしい。
通常見学者の利用はできないために、空井が代わりにリカの分も注文を済ませた。

「普通のオフィスビルみたいですね」
「そうですね。我々はあまり普段は来ませんけど。遠いし、混みますんで」

席を確保して腰を下ろすと、ぱあっと比嘉が空井とリカをにこにこと交互に見た。

「なんだか、新鮮ですね」
「別に本人は変わり映えしませんけど」
「あれ?ガツガツは小出しになったんじゃないんですか?」

相変わらずのやり取りに、リカの顔にも笑みが浮かんだ。一応、仕事で来てもらっていると思いますが、と前置きした比嘉が、今はお昼休みですからね、と目を輝かせる。

「僕、あのメンバーの中で、鷺坂室長以外ではお二人に会うの、初なんです。メールや電話はやり取りしてると思うんですけど、改めておめでとうございます」

きっちりと頭を下げた比嘉に慌てて空井が止めてくださいよ!と手を伸ばした。

「比嘉さん!ここじゃ、あの」
「そうですよ。だったらりん串にでも呼んでください」

周りの目もあるだけに空井とリカがあたふたしていると、食えない男は当然のように頷いた。

「大丈夫です。お二人がよろしければ今夜はすでに予約してあります」

うっと、顔を見合わせた空井とリカは、そこに選択肢がないことを悟る。

「お心遣いありがとうございます……」
「いえいえ。逆にお二人には申し訳ないかもしれませんよ。槙さん夫妻は臨月なのに柚木さんが来ると言っていて、喧嘩が勃発しましたけど槙さんが車で連れてくることで何とか収まりましたし、片山さんは、遠距離の彼女に会いに来るのでちょうどいいと言ってました」

鷺坂も当然来ると言っていたらしく、律儀に空井はありがとうございます、と言っているが、どうなることかと思うとリカも空井も夜が恐ろしかった。
ひとまず、昼休みの時間もあるので、箸を手に取って各々食事を初めながら話はまだ続く。

「で、事前に伺っておきますが」
「はい」
「入籍とか結婚式はどうするんですか?」

直球な質問にごふっ、と空井がむせた。ごほっごほっ、と咳き込んだ空井の背に手を伸ばしたリカを比嘉の生暖かい視線が追う。

「そんなに動揺しなくても。どうせ夜になったら片山さんからもっとすごい追及が入りますよ?」
「ちょ、比嘉さん!絶対に止めてくださいね!!」
「稲葉さんの立場を考えると、僕は極力努力しますが……」

にやぁ、と笑って箸を進める比嘉が一番怖い気がしてくる。
なんとか落ち着いた空井が、リカをちらちらと見ながら、一応互いの親に挨拶を済ませたことを話した。

「式はとりあえず後にしても、先に入籍することはどちらの親も納得してくれているので……」
「ほほう。じゃあ、お二人次第なんですね」
「そうですね。今、指輪を探しているところで」

躊躇いがないからなのだろうが、するすると比嘉に聞かれることに答えていく空井に、眩暈がしそうになる。どこまで暴露するのかと、リカの顔が引きつってきたことも察しのいい比嘉にはわかっていた。

「空井一尉。僕にはいくら惚気ていただいても構いませんが、りん串に行ってからは気を付けないと稲葉さんが、ね。困ったことになりますよ?」
「あっ!!稲葉さん、自分、余計な事、しゃべりすぎてます?」

見事な誘導。

彼らの関係は相変わらずなんだなぁと思いながら、こっそりとため息をついた。

「そのくらいで控えていただけると助かります。特に、皆さんの前では」
「……はい」

しゅん、としてしまった空井に、いくら昼休みでもここは職場じゃないのかと突っ込みたくなる。
比嘉の温い視線がなければの事だが。

肩を竦めたリカは時間もないことなんで、と箸を進める。

「それよりも、片山さん。彼女とうまくいってるんですね」
「はい。それはもう、付き合い始めた直後は毎日のように脳みそに花が咲いたようなメールが来たくらいです」

辛辣な比嘉のコメントは、いかに片山が浮かれていたかを物語るようでぷっとリカは吹き出しそうになる。

「片山さんらしいですね」
「ええ。まあ、惚気具合で言えば空井一尉もあまり」
「わわわわっ!!!ひ、比嘉さん!!」

一気に顔面蒼白になった空井が椅子をひっくり返しそうな勢いで立ち上がった。
距離がある面々には、一応電話やメールで報告をしておいたが、基地内は別である。週末になれば彼女に会えると浮かれ、週明けにはいかに彼女が可愛いかと浮かれている空井の話が比嘉の耳に入らないはずはない。

「先日も、山本室長とお電話で話したんですけどね?空井一尉がことあるごとに」
「わーっ!!」
「そんなこと言ってるんですか?!」

慌てた空井と、恥ずかしさのあまり真っ赤になったリカがそれぞれに叫んだ。

「まあまあ。ここはね、ほら。周りの目もありますから穏便にね」

話題を振った張本人にとりなされてはどうしようもない。渋々、それぞれに椅子に座りなおしたが、リカの空井を睨む眼は鋭かった。

―― もうっ!そんなしょーもないこと言ってるなんて!!

投稿者 kogetsu

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