ブーケとブートニア17

実物を見た空井は、迷うことなくこれにしよう、と言って指輪を決めた。
指輪のサイズを計って、そのままではやはりいかないらしい。プラチナの指輪だけに、今すぐ、と言ったら店員さんに笑われてしまった。

「お客様。大丈夫ですよ。ここまで来たら彼女も指輪も逃げませんから」
「あ……っ、はい……」

はい、と言いながらもリカの顔をちらりと見た空井をぺろりと唇を舐めたリカがじろりと睨んだ。

「なんですか、その目は」
「い、いや……。なんでもないです」

くすくす笑う店員が気を利かせて伝票を作りに奥に入っていくと、小声でリカが苦情を言い立てる。

「そんな不安そうな顔しなくたって!」
「いや、リカは大丈夫だって思ってるけど、ほかにもいろいろと……」
「色々ってなんですか!」
「色々はいろいろで……」

追及されればしどろもどろになって、ますますリカに怪しまれるのはわかっていても、ついつい本音が出てしまいそうになった。
まさか藤枝との場外戦を口にするわけにはいかない。

「一緒に、写真、撮りたいなぁって……」
「……写真?」
「そ。僕ら、式はあとでって決めてるけど、せめて、そのくらい駄目かな……?」

上目づかいで空井に見上げられると、うっと言葉に詰まる。
駄目押しとばかりに、入籍の記念になる様にしたいし……、と呟かれると、それ以上は何も言えなくなったリカは、ぷいっと顔を逸らすと、ぶつぶつこぼし始めた。

「それは……いいですけど。私も、嬉しいし……。でも、はっきり何日って言えないし……」
「じゃあ、もう決めましょう!」
「えっ?!」
「本当のところ、取材、どうなんですか?」

リカの反応よりも、先に先に走り出した空井が脳裏にカレンダーを思い描く。

「正直、もう系列局にお願いしてしまっているので、そこにこういうところも取材に加えてくださいってリクエスト出すくらいになりそうかなと思ってます」
「じゃあ、お休み?」
「だと思います」

よしっとガッツポーズの空井がじゃあ、とリカの手を握った。

「僕、室長たちと一緒に移動してますが、よかったらブルーのフライト見に来ませんか?大通りの上を飛んだり、飛行ルートも随分調整したんですよ。だから、すごく見応えもあると思うんです」
「それはまあ……」
「で、僕らは交代でメイン広場のブースに入るんですけど、二日目はブルーの隊員たちがサイン会をやるので、また入らないといけないんですね。それで、その分、一日目は早く上がれると思うので、一緒に松島に行って、出しちゃいましょう!」

えぇ?!と驚くリカに勢いづいた空井が、駄目ですか?と繰り返す。

「だ、だって、そんなどこに出してもいいんですか?」
「現住所、僕が松島なので、大丈夫です。そして、届は24時間受け付けしてくれるので問題ありません」

自信満々でそういいきられると、抵抗する理由もない。
どうしようもこうしようもないし、特にここがいいという日があるわけでもないのだ。

「でもっ、大祐さん。大変なんじゃ」
「全然大丈夫です。じゃあ、終わり時間に連絡しますから、一緒に松島に向かいましょう。それから、市役所に出しに行って」
「でも、でも、鷺坂さんにも書いてもらわなきゃいけないし、阿久津さんにも……。あ、それに、大祐さん。謄本とかすぐには取れませんよね?!」

次々と不安要素を並べ始めたリカをじいっと空井が見つめる。
徐々に、その視線に負けて語尾が弱くなっていくリカにしみじみと空井がため息をついた。

「やっぱり……」
「あ、あ、違っ!別に、全然!ただ、大祐さんが大変じゃないかなって」

慌てたリカに空井がにこーっと笑った。

―― は、嵌められっ……

リカが慌てているのをたっぷりと楽しんだ空井がすみません、と店員を呼んだ。

「すみません、先ほど、イニシャルだけをお願いしましたが、日付も入れられますか?」
「はい。もちろんです。どのように?」

今度はリカをそっちのけで、空井と店員が、入れる場所、日付を伝票に書き足すと受け取れる日を確認する。

「最短で頑張らせていただきますけれども、26日……か、27日でしょうか」

連絡はリカの方へ入ることにしてある。わかりました、とリカが頷くと、福島に行くときにリカが指輪を持っていくことに決めた。
代金はそれぞれの指輪の分を負担して会計も済ませてしまう。伝票を受け取ったリカが丁寧にバックにしまうと、二人は店を後にした。

「すっごい空……」

紺碧というくらい青が濃くて、ほとんど雲がない快晴だった。
結局、取材は系列局に申し入れだけで帝都テレビとしては、提供素材を編集することになった。その分、リカは土日でもあり、しっかりと休みになっている。

朝から来てもよかったのだが、ブルーのフライトに合わせて移動することにしたのだ。

『お仕事中にごめんなさい。つきました。すごい青空』

そこまで打ってから、どうしようかと思う。きっと、今頃、展示飛行前で忙しいんじゃないかと思っていると、メールの着信が表示された。

『もう着いた?』

それだけなのに、仕事中に気にかけてくれていることが嬉しくなってしまう。書いていたメールを今度こそ送信した。

―― きっと、すごく映えるだろうな

そう思うと、前に見たときを思い出す。
あの空も一緒に見たのに。

もう一度、携帯が鳴った。今度は着信。

『もしもし!』
「もしもし?」
『今、どこ?』
「え?えっと……国道四号線に向かって人の波と一緒に移動してます」

事前に調べておいた。道路を封鎖して会場にしているはずだとわかっている。だが、そんなことをどうしてと思っていると、ざわめいた場所から、空井の声が聞こえた。

『合同庁舎があるんだけど、わかるかな』

そういわれて、近くの建物の目印になりそうなものをあげられると、少し離れたところにそれが見えた。

「あ、ちょっとまだ先だけど」
『わかった?じゃあ、そこまで来て』
「え?」
『ついたらもう一度教えてくれる?』

用件だけに絞られているから、仕事中に急いでかけていることはわかっている。だが、妙に後ろがにぎやかな気がした。

「?……わかったけど」
『うん。じゃあ、待ってるから』

そういって、通話が切れると、なんだったのかと首をひねりながらも陽射しが強いので立っていると汗が滲んでしまう。再び人を避けながら歩き出したリカは、何とか庁舎だと言われたところまでたどり着いた。

ただ、休日の上、関係者のための場所になっているらしく、普通には立ち入れないようになっている。ひとまずついたとメールをするとそのまま、待っていて、と返事が来た。

「リカ!」
「え?!」

どこからともなく、空井の声がして驚いたリカは、立ち入り禁止の庁舎の中から空井が出てきたのを見た。
今は、空幕時代の制服とはまた少し違っていて、基本は変わっていないのに、かぶっている帽子だけでもだいぶ印象が違う。

「よかった。これたんだね」
「あ、うん。でも、大祐さん、今忙しい時間じゃ……」
「僕はもうすることはないよ。あとは、飛ぶのを見るだけ。だから呼んだんだ。来て」

そういわれて、三角コーンの隙間から中へと呼ばれる。これが基地ならそうもいかないだろうが、祭りの関係者も出入りしているので、ある程度は一般に見えても咎められなかった。

中に入ると、休みなので建物のほとんどの電気は消えていたが、会議室や、休憩用の部屋は灯りがついていた。空井と共にエレベータに乗ったリカは、どこに行くの?と聞いた。

「まあ、いいから来て」

にやっと笑った空井が意味ありげなので、また何か……と、身構えてしまう。ポーンと音がして最上階についたらしい。
薄暗い中をこっち、と言われてさらに階段を上がった。

鉄の重い扉を押し開けると、そこは真っ青な空が広がっていた。

「屋上?」
「そう。ここに地上からの……うわっ」

屋上には専用の機材が並んでいるところに、制服を着た隊員たちがいて、空井がそれを説明しようとした瞬間、背後から思い切り襲撃され始めた。

「まじか!前に取材に来てた!!ほんとに彼女だったのか!」
「違うだろ、空井の“リカぴょん”だろ?!」

一気に押すな、押すなと目の前に集合した隊員たちに、気圧されたリカがじりじりと後ろに下がりかけると、渉外室の山本の声が響いた。

「こぉら!!お前ら!始まるぞ!」

野太い声で一斉に機材に駆け寄ると再び忙しく動き始める隊員たちから解放された空井は、頭もぐしゃぐしゃ、制服のシャツも裾がはみ出している。

「まったく、ひどいなぁ。呼んでいいって言っといてこれだもの」

ぶつくさと文句を言いながら制服を直して髪を手櫛で整える。呆気にとられているリカに向かって手を差し出すと、山本のもとへと連れて行った。

「やぁ!どうもどうも、わざわざこんなところにすいませんねぇ」

相変わらずの体格の良さから滲み出る豪快さはそのままに、山本の笑顔はどこか、この前逢った時とは違う気がした。
差し出された手をみて、握手に応じると、がしっと両手で握りしめられた。

「おめでとう!ありがとう!空井をよろしく頼みます」
「あ、はいっ。いえ、こちらこそよろしくお願いします」

いきなり頭を下げられて驚いたリカが、いつになく素で応えてしまってからはっと我に返る。
するっと手を引くと鞄の持ち手を掴んで深々と頭を下げた。

「お仕事中にお邪魔して申し訳ありません。ご厚意に感謝します」
「いや、空井から聞きましたよ。僕もねぇ。色々考えてるくらいならもう決めちゃってるんだし、さっさと籍をいれちまえってハッパかけた一人でして」

えっとリカが振り返ると空井が慌てて山本を止めようとしたが時すでに遅し。
機材の前でスタンバイしているはずの面々から拍手とひゅーひゅーという声が上がった。

「話したの?!」

声を潜めたリカにがっはっは、と山本が豪快に笑った。
ますます空井を冷やかす声が上がる。

「松島に来てからずっと、もう、他の誰よりも堅物で頑固で仕事しかしないような男だった空井がもう、あなたにはメロメロでしてね。基地でも大変ですよ。会いに行く週末はそわそわして落ち着かないし、帰って来た月曜日はにやにや笑いで、周りが不気味なくらいで。そんな空井が、入籍したいから時間がほしいって言ってきたので、もう、我々も全員一致ですよ。これ以上惚気られたらたまりませんからね」
「し、室長!!勘弁してください!!」
「事実だろうが。ま、そんなこんなで、今日はブルーのフライトが終わったら空井は松島に戻ります。そのあとはご自由に。そして、その代り、噂の稲葉さんに会いたいというので、こちらに来てもらったわけですよ」

リカの腕を引っ張って、違うから!ごめん!という空井を振り返った隊員たちがくすくすと笑う。

「取材の時は知らなかった奴の方が多いんですよー!」
「そうっす。今日は隊長が、見に来てくれた皆さんと、空井と稲葉さんのために飛ばしてやるって言ってましたからね!」

まさか、そんな個人的なことは余談だろうが、明るく陽気な彼らに恥ずかしいやら、嬉しいやらで怒るに怒れなかった。
ちらっと空井が時計を見るのとほとんど同時に、それまでふざけていた隊員たちがまるで別人のように黙る。どうやら管制と会話しているらしい声が聞こえて、庁舎の下の方から放送の声が聞こえた。

「始まります。今日は隊長が紹介をするんです」

スピーカーを通して聞こえてきた声と、恐ろしいくらいにタイミングを合わせて白とブルーの機体が向こうの方から飛来する。
基地で見かけた時よりももう少しだけ近い気がした。

BGMは流れているのに、それも耳に入らないくらい、青空に映える機体に釘付けになる。
そんなリカの手をそっと空井が握った。

隊長の声で次々と、各演技の名前がアナウンスされる。
だが、それよりも一足先に空井の耳にリカの小さな声が聞こえた。

「ワイドデルタローパス……スワン・ローパス……ダブルナイフエッジ……さくら……ダブル・クローバーリーフターン」

驚いた顔でリカを見つめた空井に、へへ、と小さく舌を出して見せたリカにふっと笑って、握った手に力を込める。

「ターン……チェンジ・オーバーターン」

三度目のバーティカルキューピッド。

「だてに飛行機馬鹿、ブルーインパルス馬鹿の妻になるわけじゃありませんから」
「覚えてきたの?」
「以前、資料でいただいたのを見返してきました」

もうそんな資料も何年前になるだろう。
そんなリカの様子はほかの隊員立ちにも伝わったらしい。地上で上がる歓声と同じくらい嬉しいものだった。

「本当にお好きな方たちは、僕らが舌を巻くくらい詳しくて……」

眩しそうにリカを見る空井の眉が八の字になっていて、眉間に皺が寄っている。
たった20分の飛行なのに、何時間にも思えた。

「ここから基地までまっすぐに帰るんですか?」

視線で飛んでいく機体だとわかると、空井が頷く。ちらっと、時計をした腕を上げてみせた。

「およそ、7分後には帰投してますよ」
「えぇっ?!7分?」

もちろん、全機がハンガーに収まるにはもっとかかるがおよそそんなものだ。
ついうっかりとリカの口から呟きが漏れた。

「2秒が長いはず……」
「……!それは……言わないでください」
「あっ!いや、そういう、違う意味じゃなくて!」

今となっては懐かしい思い出を振り返って互いに赤くなる。スピーカーからは感謝の挨拶が流れて、山本が振り返った。

「空井。じゃあ、稲葉さんを一緒に車に乗せてったらどうだ」
「いや、自分、基地に帰るまでは」

勤務中ですから。

という言葉は再び飛び掛かってきた隊員たちにかき消された。

「ばっか野郎!嫁さん置いて行く気かよ!」
「そうだそうだ!着替えに官舎に戻ってそのまま家から出られなくなんじゃねぇぞ!」
「そんなことしませんよ!!」

髪の毛もぐしゃぐしゃで、さっき以上に制服もぼろぼろにされた空井が、ぐいっとリカの方へと押し出されてくる。

「ほら!さっさと行っちまえ!」

笑い声に押し出された空井が転がり出た勢いのままリカの手を掴む。

「あーっもう!」
「大丈夫?」
「いいよ。もう。行こう」

そういうと、皆に頭を下げた空井がリカを連れて屋上を抜け出した。

「車、地下に止めてるから」
「あ、だって、私、新幹線で」
「まさか!ちゃんと一緒に乗せていきます」

そういうと、エレベータの中で制服を直した空井が一瞬、ぎゅっとリカを抱きしめた。

「行きましょう!」

その日のうちに、二人で入籍を済ませた後、出来あがった指輪を互いの指にした姿で空井念願の写真を撮った。
青空を背にして。

投稿者 kogetsu

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