仕事の合間に、サイトをあちこち見て歩いてもピンとくるものがなくて、うーんと唸ってしまう。
「稲葉さん、そんなの実物見なきゃだめですよ」
「そうかもしれないけど……。だって仕事してたら営業時間になんてゆっくり探せないし」
珠輝に横から叱られながらも、自分だけのものと違って、素直に見に行くのは抵抗があった。二人で見に行くならまだ敷居は低いかもしれないが、なかなか行こうという気になかなかならない。
いかにも一人で探しに来ましたというのが、尻に敷いているような感じもして気が進まないのである。
「パンフレットだけでも集めようかなぁ」
「そんなの、パンフレットなんか見たってわかんないですってば!家電じゃないんですよぉ?」
リカよりも珠輝のほうが隣で憤慨している。じれったいリカにどうしても我慢できなくなって、珠輝が携帯を取り出した。
「もう!あんまり乗り気じゃないと私から空井さんにメールしちゃいますよ?!」
「それは駄目!!」
はっしと珠輝の携帯に待ったをかけたリカをみて、にっこりと珠輝が微笑んだ。
「じゃあ、ちゃんとお店、行ってくださいね?時間がいるならロケ同行ってことにしてあげます」
「珠輝、ちょっと仕事とプライベートはねぇ」
「分けたいって言うならそれこそ、こんなところで眺めてちゃだめです!」
どういわれてもリカに勝ち目がない。はぁい、と渋々頷いたリカは、再び仕事に戻った。
最近、少しずつディレクターとして任せられるようになってきただけに、リカが表に出ることは減ってきていた。新コーナーの大人の遠足も、企画のOKが出るにはまだ間があるために、局の中での仕事が中心なことは良し悪しである。
表に出ない分、仕事が早く片付いて早く帰ることができるのは助かるのだが、なかなか難しいものだ。
ノートパソコンを叩いて企画書を書いていると、携帯が鳴った。メールの着信を確認すると、珍しく、藤枝である。
昼にも一緒に食堂で食べたはずなのに、何事かと思って開く。
『今日、飲みに行かないか?藤枝キャスター1周年を祝って!』
―― 1周年って……そう言う理由でいくなら女の子でも誘いなさいよ
肩を竦めたリカは、それでもOKのメールを返す。リカの方が先に上がることになるために、局で時間調整するか、店で待つかを打診してから、携帯を閉じた。
結局、店で待つことにしたリカは半地下のいつものバーで飲みながら待っていた。
空井には、ちょっと飲んで帰るので遅くなります、とだけ連絡してある。気を付けて、と帰って来たメールをみてから、スマホでジュエリーショップのサイトを見て歩いていた。
「……相場ってピンキリだし、大祐さんがどのくらいって思ってるのかもわからないんだよねぇ」
金銭感覚で言うと、それほど自分達の差があるとは思っていないが、具体的な金額となると話は違ってくる。婚約指輪などいらないと言ったリカに、空井が不満そうな顔をしていたのも覚えていた。
かつて、飲んだ帰りにタクシーで帰るというリカを終電に間に合う様にと帰したことからも堅実なことは十分に分かっている。
実際に生活を共にするとなれば、そのあたりも考えなければならなくて、いくら別居婚で今までとほとんど変わらないとはいえ、いずれ二人の往復の交通費も大きな出費になる。
ただ会いたいという感情だけでは済まないところが悩ましかった。
からん、と店の入り口があいた音がして、リカは顔を上げなかったが、がさがさという音と共に、カウンターの隣に人がやってきた。
「おまたせ~」
「お疲れ。何持ってんの?」
「ん?ちょっとな。すいません。俺もビールください」
ビールとつまみが来た時点で揃ってグラスを合わせる。一応、形ばかりだが一周年おめでとう、といった。
「やっぱり俺がさ。今こうしてキャスターやってられんのも稲葉のおかげじゃん?」
だからお前と祝いたかったわけよ、と珍しく殊勝なことをいう藤枝に肩を竦める。
「よく言うわよ。先週だって一緒に飲んだばっかりでしょ?」
「それはそれ。これはこれ」
都合のいい話だと思いながらも、長い付き合いである。
藤枝があちこちの女の子と飲み歩くのと同じくらいの割合でしょっちゅう飲みに行っているだけに、今更どうとも思わないのだ。
「で?空井君とはうまくやってんの?」
「はぁ?なんでそこ」
「当たり前じゃん?お前と空井君の話は俺も当事者みたいなもんだし?」
澄ました顔でビールを飲む藤枝に、なんでよ!と言い返す。
確かに、助けてもらったりもしたが、当事者というのはどうかと思う。だが、藤枝の追及は毎度容赦がなくて、広報室の面々の追及よりももっと突っ込んでくるのだ。
「泊まりに来るんでしょ?稲葉が向こうに行っても、あっちは官舎住まいで気を使うだろうけど、お前の部屋は普通に都内のマンション。周りの気兼ねもない」
「ちょっと!何が言いたいのよ、何が!」
「いやあ、あっちも相当きてるんじゃないのかなぁって」
「べ、別にっ何もっ」
真っ赤になってビールグラスに慌てて手を伸ばしたリカを見て、しれっと呟く。
「俺は心置きなく話ができるだろうって言ってるだけ~」
「……あんったに関係ないでしょ!」
「関係なくないって。珠輝ちゃんから聞いたよ~。お前、指輪探すって言っといて、ショップにも行ってないんだって?」
ちっと小さく舌打ちしたリカはあのおしゃべり、とぼやく。
泡の少なくなったビールをぐいっと飲むと、ぺろりと唇をなめる。
「だって……。一人じゃ行きづらいのよ。なんだか、いくら好きにしていいって言われても、女が一人で選びに来るのって、完全に女が主導してるみたいじゃない?」
「そういうカップルって多いんじゃないの?男なんてさ、女性が付けるようなジュエリーにそんなに興味があるわけでもないし?」
むぅ、と唇を尖らせたリカが指先でつまみのナッツを転がす。
わかってはいるのだ。普通の男性でもそうなのに、ましてや飛行機にしか興味がないような空井に一緒にジュエリーを選べと言っても無理難題だということもわかっている。
「ふーん?それでもいいから本当は空井君に一緒に回ってほしかったんだ」
「そんなこと言ってない。大体、貴重な休みをわざわざそういうことのために時間を使ってたらあっという間に休みなんか終わっちゃう」
「ああ、それはね。大事だね。頻繁に会えない分、ねぇ?」
わざと含みを持たせた言い方にかちんとしながらもこれ以上突っ込まれてはかなわないので、さらりと聞き流した。目の前に置かれた薄い生地のピザを丸めて口に運ぶ。
「それに……、相場って人によっても違うじゃない。なんかそういうの、高すぎてもねだるみたいだし、安かったら馬鹿にしてるみたいで……。なんていうか」
「お前ね。これから結婚しようって相手とそういうことも話して……ないか。お前ら2年ぶりに会って、話をするようになって数えるくらいだもんな。することする方が先で……」
「ストーップ!!何、下世話な想像してんの!?やめてよ!そういうことじゃないんだから」
どん、とカウンターに拳を当てたリカに諸手を挙げた藤枝が、はいはい、と頷いた。
「あ、お前さ」
「ん?」
「これやるよ」
来た時にがさがさと足元の方に置いていたビニールのそこそこ大きな袋に手を伸ばした藤枝が、ひょいっと取り出したものにリカは目を丸くする。
おおきな薔薇の花束に驚いたリカは、両手で受け取りながら思わず花束に顔を寄せた。
中心に真っ赤な薔薇があって、外側に向かってきれいなグラデーションになっている。
「どしたの?これ。すごーい」
「ちょっとね。お祝い、してなかっただろ?」
「お祝い?だって、あんたの1周年って」
この飲みなんじゃ、と言いかけたリカの額を藤枝が小突いた。どこまで鈍いのだ、この女は、という呆れた視線が突き刺さる。
「俺のじゃねぇ!お前のだ。空井君と結婚すんだろ?俺の祝いは結婚式の司会ってことになってるけど、それはそれ、これはこれ。お前も女だし?たまには花束の一つや二つもらってもいんじゃね?」
「それはそうなんだけど……。それがあんたからってのが複雑な気がするけど、まあ、ありがとう。花束なんてもらったのどれくらいぶりかな」
だいぶ女を捨てたような発言にも聞こえるが、あまりものや貰いものとして花束をもらって帰ることはテレビ局だけに意外と多い。だが、わざわざリカのために買った花束、というのが久しぶりだったのだ。
嬉しそうに薔薇を眺めているリカを見て、満足そうに笑った藤枝がふっと何かを思いついた。
「あ、あのさ」
「んー?」
「一人で回るのが嫌だったら、俺が一緒に回ってやろうか」
「えっ?」
「ジュエリーショップ」
何を言うのかと驚いたリカがうっかり花束を落としそうになって、バランスを崩す。椅子から滑り落ちそうだったリカを咄嗟に藤枝が腕を伸ばして支えた。
「……ごめん」
「……勘弁してくれよ」
リカの手から花束を取り上げると、フラワーショップの袋に戻してリカの足元に置く。眉をあげて見せた藤枝に頭を下げて、椅子に座りなおした。
「……私は助かるけど、あんたこそいいの?」
「いいのって?」
「女の子たち。私、誤解されてあれこれ言われるの嫌なんだけど」
これまでも、珠輝だけでなく、空井も誤解したくらい二人が付き合っていると誤解するものは多かった。藤枝の周りを取り巻く女性たちからの嫌がらせもなかったわけではない。その都度、藤枝と、リカの両方が付き合っているわけではないと否定に否定を重ねるという、定期的に持ち上がる面倒にうんざりしていたのだ。
「休みの日に俺が誰とどこに出かけようと、俺を愛してくれる女子の皆は心が広いからなんの問題もない」
「ああ、そう。じゃあ、そこまで言うなら行ってもらおうかな。一応、男性の意見も聞けるわけだし」
「喜んで。お供しますよ、お姫様」
「やめてよ。もう」
薄ら頬を染めたリカがつん、と澄ましてビールのおかわりを頼む。
ふっと笑った藤枝は、目の前のスティック状のつまみを手にすると、ひょいっとリカの口に放り込んだ。
「んっ!……なにすんの」
「いや。稲葉も変わったよなぁ。いや、変わったっていうより、鎧を脱いだって感じ?」
鎧ってなんだ、と突っ込み返したかったが、ビールがきて、口に残るプリッツの後味を流すように口に運ぶ。
こく、こく、と飲んだリカを眺めた藤枝も、残りのビールを飲み干して、おかわりを頼む。
―― 昔は、俺だけが知ってるいい女だったんだけどなぁ
分厚くて、固い鎧の内側を知るのは数少ない一握りの人間だけで、しかも一番身近にいたのは自分だったという自負がある。あの辛い日々をリカの隣で支えたのは藤枝だった。
隣でひょいっとつまみを口に放り込んでいる女が、なんだか妙に近くて遠い。
「俺も純愛でもしてみっかな」
「あんたには無理!」
「お前なぁ!速攻、否定しすぎだろ」
間髪おかずに言い返された藤枝は、びしっと言い返しながらも視界の向こうでテーブルに置かれたリカの携帯が光っているのを黙殺した。
振動音が聞こえると、まずい場面もあるだけに、リカも藤枝も、普段は着信音だけでなく振動も切っている。代わりに、着信を知らせるのは光だけにしているのだ。
きっとそのメールか着信の相手は、空井なのだとわかっていたからこそ、リカには言わなかった。