現場に到着したNPSの指揮車は銀行の目の前に止まっていた白いワゴンの背後にゆっくりと近づいて止まった。
「隊長。周囲に不審な車両はありません。犯人がどこで見ているかわからないので帝都テレビの車両に近づくには……」
「わかった。速田を行かせよう」
運転席の梶尾からの報告はインカム越しに全員に届く。香椎の言葉を聞いて速田はすぐに立ち上がると、上に来ていたものを脱ぎ始めた。防弾チョッキを脱ぎ、ジャケットも脱いで腰の周りに巻き付ける。
白いTシャツとブルーのパンツにジャケットを腰に巻き付けた姿はどこかの作業員に見えた。
香椎にむかって一つ頷いた後、素早く車両の後方から滑り出た速田は、ポケットから小銭でもだして数えるような姿でワゴン車に近づくと、ごく自然に後部ドアを開いてあっという間に取材車に乗り込んだ。
「何、あんた」
後ろの席にいた大津を押しのけるようにして強引に乗り込んだ速田はドアを閉めてから、周囲を警戒した。
「帝都テレビの方ですね。藤枝さん?」
隙のない身のこなしと耳にインカムを付けている速田を見て、藤枝は大津の肩を引いた。身構えた藤枝は、探るような目で問いかける。
「……NPSの方ですか」
「先ほど電話を受けた速田といいます」
ジャケットの裏を素早く返してNPSのエンブレムを見せる。ほっ、と力を抜いた藤枝は、すぐ後ろを振り返った。そのまま大津に自分の後ろ側へ来るように促す。
黒い車両に乗った、梶尾がニッと笑って見せた。
「もっとかかるかと思いました」
「電話をもらってすぐ、こちらにも動きがありました。とりあえず、すぐにこの場所から離れてもらいます」
「離れ……ってここから移動しろってことですか」
「ええ。車はそのままここに置いておいて、皆さんはすぐにこの場を離れてください。あの銀行には今、外につながるシャッターに爆発物を仕掛けたという情報がありましたので」
速田の言葉を聞いて、反射的に藤枝も坂手も銀行の降りてしまったシャッターに目を向けた。
外からは何事もないようにしか見えないというのに何を言うのかと思ってしまう。場所を考えれば、考えられないとしかいえない。
「この車両は我々が責任をもって後ほどお返しします」
「おい、待てよ。あの中にはうちの稲葉が」
「わかっています。ですが、今は爆発物が仕掛けられたこの場所からはすぐ避難をしていただきます」
車を置いて今すぐ避難しろ。
断定的な速田の指示に坂手が反応した。
「聞こえねーな」
「何……」
「聞こえねぇっつってんだよ」
坂手は助手席に置いたカメラを左手で掴んだ。
「現場を目の前にしてこのまま退けるかってんだ」
「……しかし」
「速田さん」
そのままでは、絶対に交わらない平行線な言い合いになる。
そう判断した藤枝が坂手に片手を上げてから硬い声で遮った。
「うちの稲葉が中にいます」
「それはわかって」
「わかってません。仮にも稲葉はアレでマスコミの人間です。そして俺たちも」
言うことを聞かない彼らに、インカムを片手で抑えた速田の腕を掴む。このまま表に出されてはたまらないと思ったからだ。
「状況がわかるまで、ここにいます」
「状況は伝えたとおりで」
「ここにいます」
じっと睨み合いが続いたかと思ったところで速田が視線を後ろに向ける。仮にも鍛えている速田の腕を掴んでいても到底、押さえられるとは思っていなかったが、藤枝も引くに引けない。
そこにインカム越しの声が聞こえてきた。
『速田。とりあえずそのままで事情聴取を優先しろ』
「しかし」
ぱっと耳に手を添えた速田は、後ろを振り返らないように意識して車の前方を向く。
『テレビ局にとっても、特ダネなんだろ。本当に危なくなったら強制的にでも撤収してもらうまでは仕方ない』
「……承知しました」
速田を見ていた藤枝にも、その会話の中身は推測できた。いくらかその目が和らいだところで、携帯を取り出す。
リカから届いたメッセージを速田に差し出した。
「さっき電話でお伝えしたとおりです。それから直後の様子はカメラに収めてます。見ますか」
「見られますか」
頷いた藤枝が坂手を振り返る。運転席にいた坂手は握っていたカメラを持ち上げた。
「どこで見る。これはご家庭用じゃねぇんだよ。機材あんだろ?」
モニターにつながなければならないカメラだと速田もすぐに理解する。インカムに向かって話しかけた速田は、坂手がカメラを持って後ろに止まっている指揮車へ向かうことを決めた。
軽くドアを叩いてから後ろ側のドアを開けるように言って、坂手の代わりに運転席に移動する。
より近い場所から見えるようになった銀行を見るのではなく、速田は周りのビルや歩いている人々に視線を向けた。
「これからどうするんですか?」
坂手が車から降りて言った後、待ちきれなくなった藤枝が周囲へを目を向けながら速田に問いかける。周りを見たからといって、異常がわかるとは思えなかったが、なんとなくつられたのだ。
すぐ突入の準備を始めるのかと思っていたが、NPSにはどうもそんな雰囲気はない。
速田は答えずに黙って周囲の様子を見ている。顔を見合わせた藤枝と大津は、ついさっき車から出て行った坂手がもう随分前に出て行ったように思えた。
エンジンを切っていた車内の温度に、速田は挿しっぱなしになっていたキーを回す。
息を吹き返したエアコンの吹き出し口から流れてきた冷風は、妙な緊張と焦りを感じていた藤枝と大津にほっと息をつかせた。
後ろの車の中はきちんと空調が効いていて、その中で坂手はモニターにカメラをつないでいた。
カメラを指揮車のモニターにセットした坂手は、誰に向かって話せばいいかわからないままモニターを示す。
「シャッターが下りてすぐカメラを回してある。おかしな騒ぎがあればわかるだろ」
「助かります」
一歩進み出た香椎が体の脇に手を添えて頭を下げる。特ダネがほしかったのだろうが、協力しようという姿勢が見て取れたからだ。肩をすくめた坂手は、空いていた椅子に腰を下ろす。
「俺たちは素人だけどな。わかるんだよ、何がいるかってことは」
素材がなければテレビでは使いようがない。そして動かしようもないリアルな画像は、証拠にもなる。
ゆっくりと降りていくシャッターとその周囲をカメラが捉えている。中に入ろうとしていた人々は、降りてきたシャッターに慌てて足を止めていた。
それから、シャッターが下がりきったところへ足を向けた人々が、何人か驚いて見上げてから何度も振り返りつつ歩み去っていくところまで、カメラはゆっくりと確実に周囲の様子を捉えていた。
「……犯人はどこから見てるんだ」
思わず古橋の口から呟きが漏れる。銀行の中にいるなら、リカのメッセージはもっと違うものだったはずだ。
支店の中にいないとしたら。
「よし。古橋。この映像を横川警視にも回して解析してもらってくれ」
「わっかりましたっ!」
指揮車からすぐデータを横川のもとへと転送する。
それを見ながら銀行周辺の地図を見ていた香椎は、無線の呼び出しに反応した。
『NPS、NPS基地局。こちらSAT基地局』
「こちらNPS基地局」
『香椎か。中丸だ。状況は』
無線をつかんだ香椎は、モニターをみながら言葉を切った。
「現着しています。帝都テレビのスタッフと合流しました。テレビ局のカメラがシャッターが下り始めてからしばらくの間を撮影していたのでそれを確認しているところです」
『よし。その映像をこちらにも回せ。爆発物についての情報はあるか』
「いえ。それはまだ」
NPSとほぼ同時に現着したのだろう。指揮車の後部からは周囲を確認できるような窓はついていないが耳につけているインカムに運転席に座っている梶尾から一報が入る。
『前方、向かい側の交差点間際にSATの指揮車、それと後方の路地にSATと思われるマイクロが入りました』
無線に音声が入るわけもないが、指を離していた香椎は、一呼吸おいてから指先に力を入れて握りしめた。
「周囲に大きな騒ぎは起きていません。これから周囲の捜査に移ります」
『……こちらは犯人がしかけたという爆発物の捜索に入る』
「わかりました。くれぐれもまだ状況がわかっていません。慎重に」
『わかっている。俺たちに捜査権はない。またリベロであることもわかっている』
まだ、今は。
こんな都内の中心部で爆発物を立てに人質をとるなど、テロ行為に等しい。
中丸の無言のプレッシャーに香椎は無線から手を離した。
くっと口元を引いてから顔を上げる。
「周囲は捜査員がすでに配置されている。俺達はまずどうにかして中の様子を掴むのが先だ」
「周りのビルに比べて古いビルっすからね。地下からの侵入経路は?」
到着までの間にビルの見取り図を入手済みである。モニターの一つに建物の平面図を映し出した。慣れない者には一見、わかりにくいが彼らの目にはそれが建物として画を描く。
「地下には……、入れそうな場所はないっすね」
「そうだな。初めからここは銀行を想定して作られたビルだ。だから、ビル自体の壁も厚い。地下と一階にはおそらくここだ」
とん、とモニターの中の壁とも、パネルともとれる場所を指した。
分厚く大きな扉からして大金庫なのだろう。表面的には今の施設として改築されているだろうが、元々の構造体は大幅には変えられてないはずだ。
金庫の位置から推測して、カウンターの場所、ほかの配置を記すためにモニターに透明なフィルムを一枚かぶせておいて、マジックで印をつけていく。
「こんな感じだろうな。多少の誤差はあるだろうが……」
椅子や受付カウンターのサイズはわからないが、場所の推測はつく。
同時に、フロアのメンテナンスを請け負っている業者には最新の図面を取り寄せるように手配済みである。
「天井はどうすかね。こういう施設ですからダクトやなんかがあるんじゃないすか?」
速田が取材車にいる今、指揮車の中では古橋が副官補佐として動いている。香椎と二人、平面図だけを元にあれこれと話し合っているのを見ながら、一號は眉間に皺を寄せて拳を握りしめていた。
自分がこの手の頭を使うことには向いていないことを自覚があるだけに、今はこれといって役に立つこともない自分が悔しい。
―― ちくしょう……。なんだってんだ
まだ犯人の動きがわからないからこそ、もやもやとぶつけようのない怒りがこみあげてくる。
片隅の椅子に腰を下ろしていた坂手は、立ったままの一號をじっと見ていた。
「……あんた」
「え?」
「いや」
レンズ越しにものをみることに慣れた坂手は、一號の熱さの向こう側に揺れる不安定さを見て取る。
一度はやめようと思ったが、黙っていられずにぼそりと口を開いた。
「あそこにいるうちの稲葉は、苦労して、苦労してようやく一緒になった旦那と暮らすようになったばっかりなんだ。なんかあったら犯人だけじゃねぇ。あんたらの事だって許さねぇ」
「……わかってます。俺は……、俺達は中にいる人たちだけじゃなくて、犯人も全員、絶対無事に開放してみせます」
一號と坂手の会話に手を止めた香椎は、思い出したように顔を向ける。
「映像の提供、ありがとうございました。データは後ほど必ずお返しします。ひとまず、お車のほうへ戻っていてください」
耳につけたインカムを押さえて速田を呼び出した。これから坂手を取材車に戻すと伝えると、一號が後部のドアに手をかけて坂手を見る。
「絶対、無事に助け出します!」
カメラを掴んだ坂手が躊躇いながら一號の肩に手を置くと、開かれたドアから出て行った。
「隊長!」
坂手と入れ替わりに速田が指揮車に戻って来てすぐ、何台か並ぶノートパソコンの一台を見た速田が声を上げた。
「犯人から次のメールです」
「なんだって?」
速田の座る背後に皆が集まる。簡易テーブルに手をついて画面を覗き込んだ。
「現金で支店にある二億を分けて梱包しろと言ってます。それを一時間に二十個ずつ発送しろと」
「発送?」
「ええ。宅配業者の指定があります」
二億の現金をどのくらいに梱包すればいいのか、メールには細かく指定されている。
「二億?!二億なんてあるんすか?しかも、宅配なんてどこに送られるかわかるじゃないすか!何考えてるんすか、犯人は!」
「一般の銀行支店でも二、三億は用意がある。だから用意ができない額ではないだろうが……」
それにしても額が大きい。
銀行を襲撃するだけに額も並ではないと思っていたが、それだけの額を要求するなら爆発物というのも本物かもしれない。
ブラフの可能性はこれで低くなった気がする。
同じ要求メールがSATの指揮車にも届いているはずだった。
「とにかく、中の様子がわかる方法を探ろう」
香椎の指示に頷いて今度は古橋が身につけていたジャケットを脱ぐ。工作班である古橋は、防弾チョッキだけはそのままに、手早くラフなジャケットに袖を通す。都内のこのような場所だけに念のためにと変装ができる用意を積み込んできていた。
キャップをかぶった古橋は携帯だけをポケットに入れて、インカムを帽子の影に隠すと表に出る。侵入できそうな場所、爆発物の設置された場所を探るために古橋はさりげなく遠回りをしながら銀行の入ったビルに近づいた。
携帯に届いたメールを見ていた正木は、くいっと首を回して明るい日差し溢れる都内を見下ろす窓へと近づいた。
“成功を祈っていてください。無事に成功したらお約束どおりお支払いします”
「……成功ねぇ。本当は、俺にはどっちでもいいんだよ」
ビルが立ち並ぶ中で都内とは思えないような緑が広がる一角が見える。
それほど高いフロアではないが屋上にヘリポートがある警察庁も見えないわけではない。
“成功を祈る”
なんとも思っていないというのにそんな返事を返すのもなんてことはない。
テーブルの上に放り出していたカードキーと、妙に重いジャケットを手にすると正木は部屋から出る。内ポケットに収められている銃はやはり、銃身の長いリボルバーだ。
「前は馬鹿なガキに遊ばせてやったが、今回はもう少し頭がよさそうだからな。少しは楽しませてくれるだろ」
日本中央銀行襲撃の際は、ネットで見つけたガキ共に武器を提供してやった。
デパート爆破から赤坂のビルへの爆破、銀行の周囲への爆薬設置まではよかったが、結局つまらないオチになってしまった。
SATの動きも素早く、影響としてはNPSが表に出るためには一役買ったが、狙いとしてはもっと派手な騒ぎであるべきだった。
派手になればなるほど、特殊部隊が必要な時代になったということが世間に広く伝わるはずだ。
こうしたテロ行為が多くなればなるほど。
ありえないと思われていた事件が起これば起こるほど。
治安維持という名の下に、特殊部隊の存在価値が、その制圧力が認められるはずなのだ。
鼻歌交じりに部屋を出た正木はその成り行きを楽しんでいた。
「七海!」
汗を拭きながら現れた男性に怒鳴りつけられてまたかと思いながら振り返る。
「お前!何やってるんだよ!状況わかってるのか?!」
「あの……」
「あのじゃねぇよ!帝都銀行の担当はお前だろうが!」
帝都警備のセキュリティシステムを担当しているリーダーは、伊藤である。振り返った七海が斜め前に座っている伊藤のほうを見たが、素知らぬ顔で座ったままだ。
「普段、偉そうにしてるくせにこんなときに役に立たないのか!」
フロア中に響く怒鳴り声に、何かを言っても無駄だと思った七海は黙って画面に視線を戻す。男性は、リーダーのさらに上の課長である。リーダーが動かないことも、この課長に目をつけられた七海が目の敵にされるのもいつのものことだ。
がん、と背後から椅子を突かれたが再び手元に目線を落とす。
「ここからでは今はコントロールが……」
「こっから繋がらないんだったら現場に行けよ!警備室に行って直接やるしかないだろうが!」
リーダーが指示をしないのに、勝手なことをすれば怒るだろうに。
言いたいことは山ほどあったが、いっても無駄だと言うこともよくわかっていた。諦めと共に大きく息を吸い込んで、引き出しを開ける。出張用の黒い大きなバッグをとりだして、立ち上がった。
「伊藤さんは行かないんですか」
リーダーですよね。
どうしても飲み込めなかった一言がつい口をついて出てしまう。
「いいんだよ!伊藤はこっちで警察の対応をするんだから、お前が現場に行け!」
難しいユーザーや、仕組みを複雑にしなければならないような客先のほとんど七海のところに回ってくる。正式な社員ではなく、契約社員という立場にもかかわらず、その腕は誰もが認めていて、セキュリティシステムの構築では一目も二目も置かれていた。
だが、女性であり年齢もそこそこである。
そんな七海のことを会社としては、他の正社員の下につけることはあってもリーダーにすることはなかった。
機材をしまってあるキャビネに近づくと、貸し出し申請に名前と行き先を書き込む。壁にかかった時間を見ながら席のところで地団太を踏むくらいの勢いで立っていた上司に差し出した。
「……サイン、お願いします」
ちっと舌打ちをした上司は、持ち出し申請に名前を書くだけは書いてファイルをつき返す。
キャビネに戻った七海は、中から出張用のPCや機材を抱えると、自分の席に戻ってバッグにしまう。
自分の鞄と一緒に肩にかけて、デスクのモニターを切った。
「現場に行ってきます」
「何かあったらお前が責任を取れよ!」
罵声ともとれる一言を聞きながら、七海は事務所を出た。大きなビルのフロアから階下へ降りるエレベータを待ちながら、バッグに入れていた新しい携帯を見る。
時間を見ながら電車の移動を確かめて歩き出した。