Dear My Valentine 3

外出先で打ち合わせを終えて、いつもの店に向かう。
からん、という音をさせたドアをくぐって、階段を下りるとすでにジントニックを片手にした藤枝が待っていた。

「お疲れちゃん」
「早いじゃない。私の方が先だと思ってた」
「俺はね。女性は待たせない主義なの。たとえ、それが稲葉だったとしても」

はいはい、と頷きながらビールを頼む。
そういえばと、隣に置いたバックから来る途中にコンビニで買ったチョコレートを取り出した。

「はい。これ、来る途中のコンビニで買ってきたの。一応、義理だけど」
「お前、その余計な情報いらねぇよ。まあ、でもありがとな」
「どうせ、一杯、甘いチョコをもらうんだろうからいらないと思ったんだけどね」

これも日頃の感謝ってことでね、というリカに、肩を竦めた藤枝は、同じように傍に置いていたバックからバラの花を一輪取り出した。

「これ。稲葉宛に届いてた。バラの花だから、そのまま置いておくのもどうかなって持ってきた」
「ありがと。これ……?」
「ん。カードとそれだけ」

【帝都テレビ 稲葉リカ様】

ひらりとカードを裏返すと、『 Thinking of you 』と印刷されたそれだけで、記憶のどこかを掠めた何かにリカは眉間に指を当てて考え込んでから、あっと思いだした。

「これ!去年も届いた……かも」
「まじで?」
「うん。一応、阿久津さんには報告しておいたけど、別にそれだけでなんていうこともなくて……」

ふうん、と言った藤枝は、リカの手からカードを受け取ると、まじまじとその印刷された文字を眺める。

「これ……さ」
「ん?」
「赤いバラって、幸福を祈るって花言葉なかったっけ。割とレアなやつだけど」

まじまじと、一輪だけフィルムにくるまれたバラを眺める。少し見慣れない濃い茶色がかった赤い色のバラにそんな花ことばがあることは知らなかった。

「それ、もしかして空井君からなんじゃないの」
「まさか!そんなはずないよ。あの人はこんな、こう、洒落たっていうか、そういうことする人じゃないし、全然、私のことなんか覚えてないかもしれないし、そんなはず……」

弾かれたように否定したリカを見ていた藤枝は、ため息をついた。

「お前、まだそんなに……」
「違うよ?違う、藤枝が急に変なこと言うから」
「あれからお前、一度も泣いてないだろ」

ぐさっと藤枝の言葉が突き刺さる。
空井のメールが来てからずっと、ずっと。2年もたつのに、リカは一度も泣いてなかった。思い出し笑いや、寝ている間に、知らずに泣いていることはあっても、自覚して泣いたことは一度もない。

「そんなこと、あんたに関係ないじゃない」
「関係ないよ?関係ないけど、だから余計に忘れられないんじゃないの?」

思いきり、泣いて、吐き出したら少しは変われるだろうか。

首を振ったリカは、口角だけを上げてビールを口にする。
想いが伝わったと思った直後に、まるで泡のように消えてしまった人。

「それより、藤枝もキャスター順調そうじゃない。その髪型もだいぶ見慣れてきたよ」
「そりゃ、日々努力してますから。もう昔のミラクル藤枝はとっくに卒業したんだぜ」

目の前に置かれたサラミを口に入れた藤枝は、そういえばとニュース記事の話と情報局の話に話題を切り替えた。
リカのおかげで、色々なニュースの中でも、自衛隊関係の情報はいち早くキャッチするようになっている。もうすぐ、あれから2年がたとうとしていた。

行きたくない。もう一度、会って、揺れない自信がなかったから。
まっすぐに公正な目で取材できる自信がなかったから。

それでも、後押しされた力で、これまでの自分を認めてもらえた気がして、自分を奮い立たせて向かった先で、やはり私は動揺した。
一つも表情を変えずに現れた空井を見て、やはり、終わっていないのは自分の中だけなのだと突き付けられた気がする。

「お久しぶりです」

その声も、その眼差しも、リカにとっては心臓を鷲掴みにされたくらいだったが、大祐はあっさりと行きましょう、とリカを促した。
基地につくまでの間に、自分を立て直したリカは、少しずつ話を聞き始める。

その間も、頭のどこかで仕事をしている空井の姿に胸が揺さぶられた。
そして、空井がこの2年の間に、どれだけの仕事をしてきたのか、きちんと自分が伝えられてきただろうか。

「……ごめんなさい。私……、何にも伝えられてません」

自分を切り捨てて、どれほどの辛い時間と、たくさんのことをしてきた人を前に、まだ忘れられずに同じ場所で立ち止っていた自分が恥ずかしくて、申し訳なくて、涙があふれてくる。

優しく頭を撫でてくれた手が温かくて、それだからこそ、もうこれで最後なんだと強く思った。

鷺坂に会って、もう終わりにするつもりで自分なりに生きていくと言ったリカに応える声はなかったが、リカはそれでよかった。
きっと、誰に何を言われても、想いは変わらないだろうし、空井の仕事に向ける目はリカのこれからを支える指針になる。

会わずに帰ろう。

そう思っていたのに。

『稲葉さん!!』

強く呼ぶ声が聞こえた気がして、空に浮かんだハートはあの日隣で見たのと同じで。
何も考えられずに体が先に動いて駆け出したリカと同じように走ってきた大祐と向かい合う。
離れていた時間が、重なった。

投稿者 kogetsu

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