夢の行く先 3

「だからちゃんと聞いてってば」
「聞いてます」
「そうじゃなくて、ちゃんと」

目の前にいれば、肩を掴んで自分の方へ向かせるくらいはしたかもしれない。
だが、電話越しではそれもままならない。

「……ちゃんと聞いてます。無理はしてません」
「そうじゃなくて、リカが何か考え込んでることくらいわかるつもりだけど」
「……」

ついに黙り込んだリカにもどかしくなって、だんだん気を付けているのに声が低くなって苛立ちが滲む。

「言ってくれなきゃわからないよ!」
「……何も。何もありません」
「じゃあ、その話し方は何」

なんでそんなよそよそしい話し方になってるの。

「なんでもないのに、大祐さんが何度も聞くからです。ほかに、答えようがないもの」
「……仕事?俺には話せないことなの?それとも……、俺じゃ頼りにはならないの」
「違、なんでそんな話になるの?違うって言ってるのに」

大祐が電話越しに、苛立っていくのはわかったが、リカのなかでもまだ迷っていることを垂れ流すように口にすることはできなかった。

「もう、やめましょう。この話。大祐さんこそ、疲れてるんじゃないですか?」
「わかった。やめよう。もう遅いし、リカも早めに休んだ方がいいよ」
「はい。じゃあ、そろそろ寝ますね。おやすみなさい」
「お休み」

ぷつ。

いつもならリカが切るまでは通話を切らない大祐が一言の後すぐに電話を切った。
眉間に皺を寄せて、携帯ごとそのまま寝ころぶ。疲れているのではとリカは言っていたが、そんなことはなかった。少なくとも普段と何も変わりはない。
それよりもいつもと違うのはリカの方だった。

このところ、チーフに昇格したというリカの仕事は、以前のように現場に出ることも少なくなって、会議が増えたと零していたが、このところ妙に口数が少なかったり、かと思えばハイテンションで無理矢理明るくふるまっているような気がして、気になっていたのだ。

そして、今日のリカははっきりと言えば何かに“頑な”だった。

電話をかけてきたのは彼女の方で、いつも通りの話をしているだけだったのに、ついにその違和感に耐えられなくなった大祐が切りだしたのだ。

「リカ。何か悩んでることとか、困ってることあるの?」
「何?急に」
「ここんとこ、様子が変だったし、今日はなんか……。とにかく、何かあったなら話して?」

話してと言って、すぐに話してくれるならとっくに話しているはずだ。そうは思ったが、どうしても言わずにはいられなかった。

そこから、そんなことはない、ちゃんと話を聞いてる、聞いてないの言い合いになってしまったのだ。

―― どうして、ああなんだか……

それがリカだとわかっていても、こうして傍にいて顔をみて話をできない時にまで頑なだとさすがに大祐も苛立ってしまう。
心配事があるなら話してくれればいい。不安なあるなら、屈託があるなら。

要するに、どんな些細なことでも話してほしいと思ってしまったのは、我儘だったのだろうか。

ベッドまで移動するのも面倒な気がする。そのまま寝てしまおうかとさえ思ったが、身についた習慣は変わらずに、起き上がると携帯を充電器につないでから電気を消してベッドに潜り込んだ。
大祐の頭の中には、なんでだよ、という言葉だけが繰り返しぐるぐると渦巻いていた。

―― 本気で怒ってる……

電話を切った時の大祐の気配に、リカは泣きそうな気分で、通話が切れた手の中の携帯を見つめていた。
なんでこんなにみじめな気分になるのか、わからなくて泣きたいのに泣けない。

こんな気持ちになるくらいなら初めから言えばいいのに、何で言えないんだろう。

民間企業では個人が与えられた仕事をきちんとこなして成果を上げていれば、それでいい。プライベートに口をはさむこともなく、逆にプライベートで会社に損害を与えればペナルティをとられる。

それは当たり前のことで民間企業に勤めていれば自然と身につくことだ。
それでも、働いているのは人だからそうならないことも多い。かつて、大祐との関係と、仕事を混同しているということで局内での噂にさらされたことは今でも忘れていない。

忘れていないからこそ、公正な目を持つことと、それでもどうしようもないこと。
その狭間に身を置いていた。

大祐のように、周りが受け入れて、身内のようにリカを扱ってくれるのとは違う場合の方が多い。

「私だって……」

―― 間違ってないって思えるようになってからにしたいんだもの

局では藤枝にも同じようなことを言われた。

「お前さ。なんなの」
「はぁ?何が」
「おかしいだろ。ここんとこ。わかんないと思ってんの?それともあれか、旦那と喧嘩でもしたのか?」

ちょっと来い、と言われて昼に食堂に引っ張り込まれたリカは不機嫌そうな藤枝に畳みかけられた。

「してないわよ。なんなのよ。こっちが聞きたいわよ」
「おかしいって、俺はいってんの。いいか、俺の耳に入るってことは少なくともお前の周りでお前がおかしいと思ってる奴がいるってことだぞ」
「そんなこといわれたって……」

藤枝の耳に入った、と言っても話が広まっているほどのことはない。ただ、リカのことに関しては耳が早いということくらいで。
とん、と箸の先を皿につけた藤枝は、眉を上げて話にならない、と首を振った。

「旦那と喧嘩してるわけじゃないなら、そっちにもいわれんじゃないのか」
「……まだ言われてないわよ」
「まだ、ね」

ってことはいずれ言われるってことだろ、と突っ込んだがむぅ、と口元をへの字に歪めてカレーをつついているリカの様子にいつもなら追及の手を緩めるところだが、今回はそうもいかない。
そもそも藤枝の耳には意外な人物から入ってきたのだ。

「で?」
「でって……。だから何もないわよ」
「嘘つくなよ」

―― 嘘じゃないわよ。ただ、考え事をしているだけで……

スプーンを置いて、水を飲んだリカはスプーンをもう一度取り上げると、勢いよく食べ始めた。
口数が少ないのは考え事をしているからで、テンションが高いのは、気持ちを切り替えようと集中しているからだ。

「何もないのに、何かあったって大体どこから聞いたのよ」
「どこからって?」
「あんたの耳に入ったって誰から聞いたのよっ」
「そこは気になるんだ?」

余計なことを言っている相手をシめてやろうと思っただけである。
いいから言いなさいよ、と言うリカに藤枝は首を振った。

「自分が言わないのに俺から聞き出そうってのがおかしいだろ」
「何もないのにそんなこと言われたら気になるのは当たり前でしょ?」
「藤枝。それくらいにしておけ」

ぼそっと割り込む声が聞こえて顔を上げて振り返った藤枝は、背を向けた先に最近はあまり食堂で見かけなかった大きな背中を見た。

投稿者 kogetsu

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です