出張と言っても、行く先が市ヶ谷だけということはないのが自分達の仕事だ。
つまり、仕事があれば、基地を行き来することはある。
槙三佐のいる十条の基地に出向いていた自分が仕事が終わってこれから帰るとメールをすると、リカからすぐに返事が返ってきた。
『お疲れ様です。まだ出先からもどっていないの。一度、局に戻ってから帰ります。先に帰ってゆっくりしていてください』
―― 可愛いなぁ
俺がそう言われて、はい、そうですか、と帰ることなんてないってわかってるだろうに、こうやって気遣ってくれる。
疲れているだろうから、待たなくていいからゆっくりしてて。
いつもそう言われるけど、男としてはたまには甘えられたいくらいだ。たとえば、『寂しいから迎えに来て』とか。
「……っ」
自分で想像しておいて、どうしようもなく口元がにやけそうになって慌てて掌で覆った。まだ人気のまばらなホームでの電車待ちでよかったと思う。
これが乗り込んだ電車の中だったりしたら、随分変な人に見られるところだ。もちろん、局までは迎えに行く気、満々で電車を乗り継いでいく。
『迎えに行くよ』
そう送ると、あとは携帯を見ない。
どうせ、いいからかえってと言われるのが関の山で。それはもう押し切って、局まで来てしまったから待っていると言えば仕方ないと言って、受け入れてくれるからだ。
JRを乗り継いで、それから少し歩いて。
ふと、帝都の前のベンチのあるあたりに近づいた時に、携帯が鳴った。それが着信だったから、相変わらずのガラケーを開く。
「もしもし」
『大祐さん?』
妙に響く場所で話しているのか、リカぴょんの声が耳元だけでなく、向こう側で広がった気がする。
「うん。どうしたの?」
『今どこ?』
「帝都テレビの前」
もしかして、と疑っている口ぶりがおかしくて、素直に答えるとやっぱり、と電話の向こうから聞こえた。
駄目って言ったのに。
そう言われるかと思ったのに。予想を裏切る言葉が聞こえてきた。
『もう少しで終わるから、待っててくれる?』
「ここまで来てるんだから」
―― 当たり前だよ。
そう言いかけた、電話の向こうで違う声が聞こえた。
“稲葉!さっきの原稿、俺にも送って”
『わかった。ちょっと待って。あ、ごめんね。大祐さん。急ぐから、本当にごめんなさい』
「いいよ。気にしないで仕事終わらせて。後でね」
何度も謝りながら通話が切れた後、自分でも自覚がある。手にした携帯を睨みつけていること。
背後で聞こえた藤枝さんの声は、実は昼間にも聞いている。
リカ宛に、十条に出張になったから、今夜からそっちに行くから、と連絡した電話に何と、その藤枝さんが出たのだ。
「もっしもーし。お久しぶり。空井君」
「え?え?あの、藤枝さん?」
今思い出しても、俺は情けないほど驚いた声を出して、慌てていたんだと思う。飲みに行こうよと言う誘いを言いたくて、リカから携帯を奪ったらしい。
「ご無沙汰してます。いつもリカがお世話になってます」
無意識に口から出たその言葉に相手が反応したのが分かった。
「たまには一緒に飲みましょうよ。可愛げのないおたくの嫁も一緒で」
しまった。自分で相手の間合いに入ったくせに、こっちがロックオンする前に相手に気取られるなんて、久しくなかった気がする。
あと少し、という瞬間に相手が反撃に出てきたと思った。
「うちのリカは可愛いですよ」
空の上なら身をひるがえして相手を追い回すあの瞬間。狭いコクピットの中でせわしなくあちこちに目を向けるのに似ている。
すぐに相手は、領空から飛び去って、じゃあまた、と携帯がリカにわたった気配がした。
「もしもし?ごめんね、藤枝が」
「いいよ。それよりね」
いいんだ。その謝罪は聞きたくない。それよりも、会えるんだよと、上書きするように伝えたんだった。
―― 余裕、なんていつまでたってもないよ
待ち受けには愛しい人の笑顔が映っているのに、その向こう側で飄々とした顔が見え隠れする。
携帯に罪はないのに、電波で視線は送れないのに。
それでも、眉間に皺が寄って、目つきが鋭くなっているのは自分でもわかる。
―― 目の前に今、もしいたら……